魂のインターネット

死後の世界


この地上に生きている間、私たちの意識は肉体に強く結び付けられています。人間が本来霊的存在であることを知り、それを気持ちとしては受け入れたとしても、肉体を持ったままで霊的世界へも意識を拡大するということは、かなりの修練を積まないと難しいようです。肉体の死は依然として大きな問題として残っています。そこで、本書が提示するインターネット型世界像では「死とは何か」あるいは「死後に何が起こるのか」ということについてどのように考えるのか、述べておきたいと思います。

図6に、死後の世界を表すことができるように、すこし詳しく霊的世界のインターネットを描きました。
図の上の方に「宇宙の意識」があり、物質世界の物理法則をはじめとする広大な宇宙の姿をあらわすソフトを提供しています。その下に「地球の意識」があって、地球の姿や環境条件を成り立たせるためのソフトを提供しています。地球の意識は単一の存在ではなく、山や海や川や湖の「意識たち」、さらにさまざまな種類の動物や植物を受け持つ「意識たち」で構成されるグループです。
 地球の意識のすぐ下に、人間の意識を描きました。ここまでは図3と同じ構図ですが、人間の意識には「生きている人たち」というラベルをつけました。つまり地球の意識と生きている人間の意識とで、地上の世界が構成されているのです。

 けれども、地球世界ゲームの参加者全体としては、これだけで終わりではありません。その他に二つのグループを描いてあります。一つは「死んだ人たち」のグループであり、もう一つは地球世界ゲームに参加しているけれども「物質世界に肉体を持たない存在」のグループです。

 これらのいくつかのグループの存在たちが霊的世界のインターネットにつながる様子が、みんな同じように描いてあるのに注目してください。生きている人も死んだ人も同じように霊的世界のインターネットにつながっています。肉体がなくなっても、特に何か違ったことが起こるわけではありません。ただ、インターネットからどんな情報を取り入れるか、ということが変わるのです。

 私たちは地上に肉体を持って生きている間は、肉体の五感を通して得られる情報以外は読んではならないというルールにしたがっています。これは、地球世界ゲームの前半で霊性を放棄していくプロセスでは非常に重要なルールでした。物質世界だけに自分の能力も関心も集中させる必要があったからです。その結果として、私たちは完璧に霊性を忘却し、自分を肉体だけの存在であると思い込むようになりました。それでも本質的に霊的存在であるということは変わっていないので、心の奥底に永遠の生命に対する消えることのない憧れだけを持ち続けているのです。

 肉体が死ぬと、このルールに従う必要がなくなります。そこで、今まで読まなかった「地上に肉体を持たない存在たち」の情報を読むようになるのです。それは大きく分けて、過去に死んだ人たちの情報と、もはや地上に肉体を持つことはないけれども、地球世界ゲームの中に残っていて、いわばインストラクター(教師)やアシスタント(助手)の役割を果たしている存在たちの情報です。過去に死んだ人たちの情報の中では、やはり自分の家族、親兄弟や親戚がどうしているのか、ということに関心があるので、真っ先にそのような情報が入ってくることになります。これが、人が死ぬときには、先に死んだ親や兄弟が迎えにきてくれるということの意味です。

他人の姿」という章で述べたように、私たちが人に出会うのは、霊的世界のインターネットを通じてその人の情報を入手することです。それによって、その人の姿を自分の心の中のスクリーンに描き出すことができるのです。この点については、相手が生きている人であろうと死んだ人であろうと変わりはありません。肉体がなくなったときに、先に死んだ人の情報を読むことができるというのは、その人と「会う」ことができるというのと同じ意味です。

私たちは肉体がある間は、肉体のある人の情報だけを読み、肉体のない人の情報は読まないことにしています。それで、私たちは死んだ人に会うことはできないのです。けれども、肉体を失った人は肉体を持っている人の情報も、持っていない人の情報も同じように読むことができます。したがって死んだ人は生きている人の姿を見ることができます。多くの臨死体験や退行催眠による死後の世界の話などを読むと、死んだ人が残された家族を慰めようとして一生懸命努力する様子が描かれています。死んだ人は、生きている人の姿を見ることもできるし、話し掛けることもできます。けれども、生きている人の方が死んだ人の情報を読まないので、話が通じないのです。

肉体を失った人は、今まで読めなかった情報が読めるようになるので、新しい世界に入ったことがわかります。けれども、そこは物質世界ではありません。宇宙の意識が提供する物質宇宙の姿を読むことはできるでしょうが、物質の物理法則に従うのは肉体であって、肉体を持たない存在は物理法則に従う必要はないのです。霊的世界の法則に従い、思考や感情や愛のエネルギーがつくり出す別の力学にしたがって動き、動かされることになります。死んでからまだ間がない魂たちは、そのような新しい世界に慣れていないので混乱するものもあります。そこで、インストラクターやアシスタントの役をする霊的存在たちは、このような新しい魂が新しい世界に早くなじむように、世話をしてくれるのです。

このようなインストラクターやアシスタントは、新しい魂から見ると光り輝く存在に見えることがあります。それは地球世界ゲームで地上の生活から帰ったばかりの魂は、潜在意識にいろいろなものを持ったままなので、そのようなものがないインストラクターたちはいずれも光り輝いて見えるのです。新しい魂はこのような光り輝く存在を見て、阿弥陀様が迎えにきてくれたとか、キリストが迎えにきてくれたと思うことがあります。それは、このような光の存在の情報を読んだ魂が、その存在の姿を自分で自分のスクリーンに描くからです。仏教を信じている人は阿弥陀如来の姿を描き、キリスト教を信じている人はキリストの姿を描くといわれます。特別の宗教を信じていない人は、ただ純粋の光や愛を感じたと報告します。描かれた姿がだれであろうとそのちがいに意味があるのではありません。ただその存在が光と愛と知恵の存在であるということを示しているのです。

肉体を離れた魂は、霊的世界に慣れると、インストラクターたちの助けを得ながら、自分の心の中の整理をはじめます。今回の地上の生活を体験することによって、心の中に何を取り入れ何を捨てたか、霊性を回復するためにこれから何をするべきか、ということを明らかにし、次に進んでいく方向を決めます。ある人は再び地上に戻る道を選びます。地球世界ゲームにはもうしばらくかかわるけれども、当分地上には戻らないという人もいるでしょうし、もう地球世界ゲームは終わりにするという人もあるでしょう。どのような方向に進むことも可能ですが、地球世界ゲームを離れてまったく自由に動ける霊的存在に戻るためには、地球世界ゲームで忘れてしまった霊性を、ある程度のレベルまで回復しないといけないのではないかと思います。それまでは多分地球世界ゲームから離れることはできないでしょう。

私たちは、地球世界ゲームの前半で霊性を忘れるために、肉体を持っている間は肉体を持たないものの情報は読まないということにして、自分の能力を強く制限してきました。けれどもそれは、霊的インターネットの構造が変わったわけではなく、ただ自分で自分に制約を課してきただけなのです。霊性回復に向かう今は、もうこのルールに従う必要はありません。先に死んだ人たちや、インストラクターやアシスタントたち、昔風の言葉でいえば天使や守護霊などの情報を読み、そのような存在と交流してもかまわないのです。そうすれば、物質世界に凝り固まった意識を揺り動かし、霊的世界の方に意識を拡大していく助けになると思います。
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