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大人の童話3 外なるクリスマスと内なるクリスマス


皆様はミズスマシという昆虫をご存知でしょうか。池や沼の静かな水面を、一時も休まずにクルクルと円を描いて泳ぎ回っている体長1センチに満たない黒い豆粒のような虫、それがミズスマシです。

では、このミズスマシが目を四つ持っていることはご存知でしょうか。ミズスマシも人間と同じように二つの目が一対になっています。つまりミズスマシは二対の目を持っているのです。でも、いったいなぜミズスマシには目が二対必要なのでしょうか。

ミズスマシはいつも水面にいます。水の上の空間と水の中の空間のちょうど境目にミズスマシは住んでいます。そこで、ミズスマシは二対の目を持ち、一対の目で水の上の世界を見、もう一対の目で水の中の世界を見るようになっているのです。

さて、では皆様は、人間が二対の目を持っていることをご存知でしょうか。そんなばかな、とだれもがおっしゃるでしょう。でも、本当です。ただ、私たちはふだん、そのことに気づいていないだけなのです。

人間も二対の目を持っています。一対は、外なる世界を見るため、そしてもう一対は、内なる世界を見るための目です。人間も、ミズスマシと同じように、二つの世界の境目に住んでいる生物なのです。けれども、私たち現代人はそのことをほとんど忘れています。外なる世界ばかりに関心がいっているため、内なる世界を見る目を持っていることを忘れてしまっているのです。

外なる世界、それは私たちが普通に見ている物質世界です。私たちは心の中から一対の目を通して、身体の外にある世界を眺めています。

いま、外なる世界ではクリスマスを迎えています。商店街にはジングルベルが鳴りわたり、トナカイの引くそりに乗った赤い衣装のサンタクロースがデパートの入り口を華やかに飾ります。人々は、赤いリボンをかけたプレゼントやクリスマスケーキの包みを抱えて家路を急ぎます。賑やかなパーティを楽しむ人たちもいます。このような様子をみて、クリスマスが商業主義に毒されていると非難する人もあります。けれども、私は非難はしません。一年に一度、人々がお互いのことを思い出し、やさしい気持ちでプレゼントを交換しあったりするのは悪いことではありません。できればそのとき、身内や友達のことだけでなく、ふだんお付き合いはないけれども近くに住んでいる貧しい人たちや、遠く離れた世界のどこかで飢えや寒さや病気に苦しんでいる人たちのことを思い出すことができれば、もっと素晴らしいと思います。

一方、教会に集まって、あるいは自分の家で、もっと静かなクリスマスを過ごす人たちもいます。世界中で多くのクリスチャンが、暗闇の中にある世界に光を与えるキリストを象徴するローソクに火を灯し、その光を手から手へ移していきながら
  神の御子(みこ)は今宵しも
  ベツレヘムに生まれたもう
と歌います。

私たちの住む北半球では、季節は冬です。冬至を過ぎた太陽は、きたるべき春に向けてすでに回復の途についています。暦は年末が押し迫り、一週間後には新しい年の始まりが待っています。闇の世から光の世へと変わる予感に満ちたワクワクするような時です。これが外なる世界のクリスマスです。

内なる世界にもクリスマスがあります。内なる世界は、私たちの一人一人の心の奥にあります。静かな場所で、心の奥深くに意識を集中して、かすかな直感の訪れに耳を澄ましてください。人間の心の奥の奥、ついには心の裏側に突き抜けてしまったと感じるようなところに、人間が神と出会う場所があります。ときにはそこで明るい「光の存在」に出会う人や、真理の象徴として夜空に輝く星の映像を見る人もいます。けれども、何も見えず、何も聞こえず、ただ人間の思考がたてる雑音がザワザワしているだけという人も大勢います。

何も見えなくても、何も聞こえなくても、心配はいりません。私たちの内なる世界を見る目は、あまりにも長いこと使っていないので退化してしまい、神のけはいを感じ取れないことの方が多いのです。けれども、そこに静かにとどまって、ローソクではない本物の「光」を待ってください。キリストである「光の存在」に会いたいという望みを持ち続けてください。三分でも五分でも、十分でも二十分でも、続けられるだけ待ち続けてください。昼でも夜でも、できる時にはいつでも、心の奥に入っていってキリストとの出会いを待ち続けてください。何も起こらず、何も感じられなくても、そのことを通じて神のエネルギーは確実にあなたの中を流れます。あなたは気づかぬうちに変わっていきます。そしていつの日か「確かに私は神の衣の裾に触れたのだ」と思える時がきます。

外なる世界では、キリストは二千年前に、日本から一万キロも離れた中東のユダヤの地に生まれました。時間的にも空間的にも、はるかにはるかに遠いところでの出来事です。
 けれども、内なる世界には時間も空間もありません。内なる世界では、キリストがあなたの中に生まれるのはいまです。現在のこの瞬間です。そして、あなたにとっては生まれたばかりであっても、キリストは無力な赤ちゃんではありません。無限の愛と、無限の知恵と、無限の力である永遠の命の光です。

すべての人間、すべての人は、心の奥底に神との接点を持っています。すべての人が、自分自身の心の奥深くで神と出会うことができるのです。例外はありません。男か女か、年寄りか若者か、金持ちか貧しい人か、健康な人か病気がちの人か、良い人か悪い人か、キリスト教を信じているかいないか・・・。そのようなことは一切関係なく、すべての人が心の中に神とつながることのできる聖なる場所を持っているのです。

内なる世界のクリスマスとは、そのことを思い出すことです。私たちが神と出会い、私たちの一人一人に贈られた神の御子を拝む場所は、私たちの心の中にあります。そこに行くのに物理的な距離は何もありません。けれども心理的には、そこは私たちからとても遠いところかも知れません。二千年前、東方の博士たちが遠い遠いところからベツレヘムをめざして旅をしました。ひょっとしたら、私たちが自分の心の奥底にあるベツレヘム、神の御子との出会いの場所に行くには、それよりももっと遠い旅行をしなければならないのかも知れません。

多くの宗教に聖地への巡礼の旅というのがあります。私は、そのような巡礼の旅は、すべての人が自分の心の中でしなければならない旅の象徴だと考えています。本当の聖地は私たち一人一人の心の中にあるのです。
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