魂のインターネット

時間を超えて


時間は空間とともに物質宇宙を規定する強力な枠組みを構成しています。物質宇宙では、時間は一定の速度で、止まることも休むこともなく、ただひたすら流れつづけます。だれもその流れを止めることはできません。私たちは時間がない世界を想像することはできません。科学者たちが、宇宙が始まる前には時間はなかったといっても、ただその言葉を鵜呑みにするだけで、その状態を本当に理解することはできません。

けれども、このような一方向に休みなく流れる時間というのは、物質宇宙という仮想世界の約束事に過ぎません。神の意識の中である霊的世界には、時間の流れはありません。そこでは、過去も現在も未来もすべて同時に存在しています。過去だとか未来だとかいうのは、人間の意識がさまざまな体験を一列にならべて、その順序に体験することを選んだということです。

それは映画のフィルムに似ています。映画の撮影は、映画の物語の始まりから順番に行われるわけではありません。しばしば最後のシーンから撮影が始まったりします。いろいろなシーンがそれぞればらばらに撮影され、最後に一本のフィルムに編集されます。そしてそれを最初のシーンから順番に映写して行くときに、はじめてそこに時間の流れの感覚が生じます。観客は、その時間の流れに釣り込まれ、主人公とともに長い感動の物語を経験します。それがたとえ80年もの主人公の波乱の人生であったとしても、映画が終わってみれば実際の時間は2時間あまりが過ぎただけです。

映画をフィルムとしてみれば、そこには過去も現在も未来も同時に存在しています。けれども、私たちがそのフィルムを映写して映画の中の世界を体験するときに、その映画の中の世界に時間の流れを感じるのです。

霊的世界から仮想世界の体験を見るのもこれと同じです。霊的世界ではあらゆる仮想体験が同時に存在しています。それは霊的世界からは、仮想体験のあらゆる場面をいつでもどんな順序にでも取り上げることができるという意味です。けれども、私たちはこれを物質宇宙という仮想世界の中で特別な順序に並べ替え、仮想の約束事として時間の流れを体験するのです。

時間の流れは仮想世界の中の仮想の体験ですが、だからと言ってそれがつまらないものであるとか、無意味なものであるというわけではありません。もしそうだったら、宇宙の意識はそのような時間をつくり出しはしなかったでしょうし、私たちがそれを利用して地球世界ゲームに興じることもなかったでしょう。物質宇宙に約束されたこの一方向に流れる時間というのは、独特の感動を生み出します。私たちの人生経験において、すべての「悲しみ」が時間の流れという感覚から生み出されるということに注目してください。悲しみとは、基本的に「取り返しがつかない」「元には戻れない」という感覚なのです。そして、そこから生み出される「悲しみ」という感情は、私たちの人生の出来事を私たちの意識に深く刻み付ける働きをします。すべてが時間の流れに容赦なく押し流されて行き、二度と戻ることがないということが、素晴らしい感動を生み出すのです。マリリン・モンローが歌った「帰らざる河」という歌が感動的なのはそのためです。流れ去った時間は二度と戻ってはきません。さまざまな出会いと別れ、生と死、栄光と挫折の物語が、時間の流れから生み出されます。「青春」という言葉は、過ぎ去って二度と戻ってこない光り輝く時間を惜しむ言葉です。失われる時があるので、失われる前の青春が一層光り輝くのです。私たちが肉体として物質世界の中に生きるということは、このような時間の流れを体験するということでもあるのです。その体験が生み出す感動を惜しみなく味わってください。

けれども、時間の流れが生み出す感動を価値あるものとして受け取ることと、時間の流れという観念に制約されることとは別の問題です。霊的世界には時間というものはありません。私たちは霊的存在であって、仮想世界の中の如何なる時間にも縛られてはいません。もし私たちが霊性を回復して、潜在意識をクリアにし、肉体の管理をエゴという自動操縦装置に任せることをやめることができたならば、肉体が年を取ることすらやめさせることができるのです。

霊的世界のインターネットは、現在の物質宇宙に姿を見せている存在たちだけでなく、物質世界の過去に現れたことのある存在、物質世界の未来に現れる存在、そして一度も物質世界には姿を見せたことがなく、これからも見せることがない存在たちまで、あらゆる存在とつながっています。あなたが霊的世界のインターネットに送り込む意識の波動は、そのような「現在の物質世界」にいない存在たちにも伝えられて行きます。死んだ人たちの意識にも、これから生まれてくる予定の人たちの意識にも届きます。これらの存在たちは、いまも私たちといっしょにいるのですが、ただ私たちが経験している仮想世界の現在の場面にその姿を見せていない、というだけのことです。生も死も霊的存在を隔てることはできません。なぜなら、肉体の生と死そのものが仮想世界の仮想体験だからです。

霊性を回復するということは、時間の流れを超えることです。あなたが時間の流れの中にあるのではありません。時間の流れがあなたの心のスクリーンの中にあるのです。あなたは時間以上の存在です。あなたは、時間が存在する前から存在し、時間の流れが終わりを迎えた後でも存在するのです。

霊的世界には時間の流れはありません。したがって、霊性を回復するための都合のよい時というものを待っていても、そのようなものはありません。もし、あなたが霊性を回復するために物質世界の中がある状態になるまで待たなければならないと考えているなら、それはあなたがその考えに縛られているだけです。地球世界という仮想世界は、これから霊性回復ゲームの終わりに向かってどんどん変化して行くことでしょう。その場合でも、仮想世界が勝手にあなたの霊性回復を引き起こしてくれるわけではありません。「仮想」の世界にはそのような力はありません。あなたに起こることはすべてあなたが決定することだけです。仮想世界の時間がいつであろうと、仮想世界の状態がどのような状態であろうと、あなたがいまだと決心すればそれが霊性を回復するための最適の時です。霊性を回復するために時間の幻想を超えてください。それによって失われるものは何一つありません。
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