魂のインターネット

人間の創作活動


人間は、この地球に住みはじめてからいままで、絶え間なく創作活動をしてきました。その中にはいわゆる芸術的な創作活動もあり、また科学や哲学による真理の探究もあります。自分たちの住む社会をよりよいものに変えていこうとする社会的な活動もあります。その中には、社会資本と呼ばれるような交通機関や公共の設備の整備に関わるもの、法律や道徳・倫理といった社会の実際的なあるいは精神的な規範に関わるもの、政治体制や基本的人権や自由・平等・博愛といった人間観や社会思想に関わるものなどがあります。どのような分野であれ、今までになかったものを生み出す努力、人間の物質的な生活、精神的な生活のすべての面において、よりよい方向への変化を生み出そうとする努力は、創作活動であるといえます。

一見これらの創作活動は、活動する当人の自由な意志に基づいてなされているように見受けられます。けれども実は、人間の一人一人が意識しているわけではありませんが、これらの創作活動の根底にはある一つの方向性があると、私は考えています。それは霊的世界における環境条件と同じものを、この地球という仮想世界の中につくり出そうという方向性です。それは人間の潜在意識の中に埋め込まれた基本的な欲求なのです。

たとえば人間は、太古の昔からいかに早く移動するかということに心を砕いてきました。あくことなくスピードを追い求め、遂には超音速の飛行機まで開発しました。けれども、人間はその成果にもあきたらず、さらに東京からニューヨークまで2時間で飛行するという超高速の航空機の開発を夢見ています。地上の交通手段としては、十九世紀末に開発された自動車がわずか百年で世界中に普及しました。空想小説の世界では、究極の移動手段としてテレポーテーションつまり遠隔の場所に瞬時に移動することが定番になっています。なぜこのように人間は移動のスピードを追い求めるのでしょうか。なぜ人間は移動の自由をこれほどまでにほしがるのでしょうか。それは霊的世界においては、移動にまったく時間がかからないからです。霊的世界には、時間も空間もありません。移動というのは意識の焦点をどこにあわせるかという問題です。それは本を読んでいるときに、別のページを見たいと思えばそのページをめくればよい、というのと同じです。途中のページを1枚ずつ順番にめくっていかなければならないというような規則はありません。人間の潜在意識にはそのような霊的世界の記憶が残っており、移動に時間がかかるということが我慢できないのです。そのような内的衝動に突き動かされて、人類はあくことなく高速の移動手段を求め続けているのです。

また有名なギリシャ悲劇に代表されるように、人間は古代から数々の物語や舞台劇をつくってきました。日本でも、千年も前に書かれた紫式部の源氏物語をはじめ、数々の文学作品や歌舞伎、演劇など、さまざまな作品が数多く知られています。人間がこのように文学や演劇における創作活動を続けるのはなぜでしょうか。それは、現実の束縛を離れて自由に人生を描くことによって、その中に作者の世界観や人生観や感動やその他の何らかの思想や感性を表現したいからです。作者の心の中にあるものが具体的な表現を求めるのです。ところが実は、それこそが、人間がこの物質世界に入り込んでくる理由なのです。人間は、この地球という仮想世界の中に自分の分身である肉体を送り込み、それを通じて自らの意識の中に持っている生命と愛のドラマに具体的な形を与え、それを自ら演じ体験するために地球ゲームに参加するのです。人間は、霊的世界における文学者あるいは劇作家であり、地上の人生はその作品なのです。

人間は最近さまざまなロボットをつくりはじめています。はじめは姿かたちは人間と似ても似つかない単機能の専用ロボットばかりでしたが、最近は人間の形をした人間型ロボットが視野に入りはじめています。鉄腕アトムで代表されるように、このような人間型ロボットも技術屋たちの夢でした。これは工学的手段による人間製造です。最近はクローン人間という生物学的手段による人間製造も話題になりはじめています。制止しようとする側と、強行しようとする側がホットな論争をはじめるほどになっています。なぜ人間は、自分と同じ人間をつくることに、これほどの執念を燃やすのでしょうか。それは、自分自身がつくられたものだからです。人間の霊的レベルから見れば、人間は自分で自分の肉体をつくってこの物質世界に送り込んだのです。それは卵子と精子の結合によって自動的に生み出されるように見えますが、それは意識が肉体をつくる過程が、物質という側面から見ればそのように見えるということです。

通信の速さも人間が執拗に求め続けた分野でした。長い間、紙に書いた郵便物を運搬する以外に通信の手段はありませんでしたが、十九世紀の終わりに電気による通信が発明されてから様子が一変しました。二十世紀の終わりには電話は場所につくものから個人に所属するものに変化しました。今では、多くの人が毎日四六時中携帯電話を持ち歩き、いつでもどこでもだれとでも、即時にコミュニケーションを取れる環境を手に入れています。イリジウム計画(66個の人工衛星を飛ばし、極地や砂漠の真中からでも携帯電話で世界と通信できるようにするという野心的な計画。経済的に成り立たず、計画は縮小して実施される見通し。)という一見して経済的には成立しそうもない計画が多くの人の心を捉えたのも、瞬時にだれとでも直接つながることができる霊的世界の状況をこの地上に再現したいという欲求を、私たち人間が無意識に感じているからです。

インターネットも通信の世界における革命でした。それは、最初は米国の軍事目的で開発されたものですが、民間に開放されてからあっという間に世界中にひろがり、今では世界中の人が、パソコンを持ちさえすれば、世界のどことでも、だれとでも、データのやり取りをできるようになっています。世界中の人が提供する個性的なホームページは、全世界の人の共有するデータベースの役割を果たしはじめています。これも、霊的世界においてはあらゆる情報に時間と空間の制約なしにアクセスできるということを、この地上に再現しようとする試みなのです。

人間は無意識のうちに、霊的世界と同じ状態をこの物質宇宙の中につくり出そうとしています。したがって技術が進歩するにつれて物質世界は霊的世界に似てくるのです。釈迦の時代にも、キリストの時代にも、インターネットのようなものはありませんでした。したがって霊的世界のことを説明しようにも、適切なたとえがつくれなかったのです。もし釈迦やキリストがいまおられたら、きっとインターネットをたとえ話の材料に使われるでしょう。

どんな世界像も霊的世界の真実にくらべたら、おおざっぱな比喩に過ぎません。けれども、人間の理解力は、適切なイメージが描けたときに大きく進歩します。本書に紹介した新しい世界像は、霊的世界が持っているさまざまな性質を理解する助けになると思います。
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