魂のインターネット

空間を超えて


物質宇宙という仮想世界は二つの強固な枠組みによって規定されています。それは、時間と空間です。地球世界ゲームの前半で、私たち人間は霊性を忘れるために、霊性が持っていたあらゆる自由を捨て、自分自身を時間と空間の枠組みの中に閉じ込めました。その結果としていま私たちは、時間や空間が存在しないという状態はとても考えられないようになっています。けれども、いまは霊性への帰還の段階です。今度は時間と空間の枠組みを超えて、霊性の自由を取り戻すときです。

 私たちが昔から持ち続けてきた大広間型世界像によれば、私たちは宇宙という広大な空間の中に点々と離れて存在しています。私たちは広い空間によって相互に隔てられています。地球の上だけに限っても、その上に住んでいるといわれる60億人のうち、私たちの一人一人が一生のあいだに直接触れることのできる人はごくわずかな人たちだけです。他の人たちについては、私たちは「そういう人がいる」という観念を持っているに過ぎません。アフリカのどこかで何万人もの人が飢え死にしているといわれても、私たちは新聞やテレビがそう報道するので、そうだと思っているに過ぎません。実際にその場所を見たこともなければ、その人たちに会ったこともありません。何か助けになることをしてあげたいと思っても、そういう援助活動をしているという人たちにお金や贈り物をことづけるくらいが関の山で、直接的には何もできません。

 私たちは、物質宇宙の広さに素晴らしい美しさと開放感を感じる一方で、無意識のうちに孤独感と無力感を植え付けられています。私たちは、この広大な宇宙の中で「わたし」というものがどんなに小さなものか、痛いほど感じています。それは大嵐の中で吹き飛ばされている枯れ葉の一枚ほどにも、自分を保つ力も、他のものへの影響力も持ってはいないのです。

 けれども霊的世界には空間的なひろがりはありません。霊的世界のインターネットには線の長さというものがないのです。地球の裏側にいる人の本体である霊的存在とつながるために、インターネットの線を地球の裏側まで伸ばさなければならないわけではありません。

 それは一つの部屋に大勢の子供たちが集まって、自分のパソコンをインターネットにつなぎ、仮想世界ゲームをしているようなものです。
ひとりの男の子が自分の分身をパソコンの中につくってこう言います。
 「ぼくの分身は東京にいるんだぞ。」
隣の女の子が言います。
 「じゃあ、あたしの分身はニューヨークにいることにするわ。」
するとその向こうの男の子が言います。
 「僕のはロンドンだ。」
このようにして仮想世界の中では、三人の分身はそれぞれ東京とニューヨークとロンドンに離れ離れに住むことになります。けれども、その分身の本体である子供たちは、すぐ隣に机をならべているのです。

霊的世界も同じです。すべての霊的存在たちは「すぐそばに」いるのです。もしすべての存在たちが重なり合っているというイメージを受け入れることができるなら、そう考えてください。中世ヨーロッパの神学者たちは、針の先端で何人の天使がダンスを踊れるかということを議論したそうです。役に立たない学問の代表例として揶揄されていますが、案外本当のことを言っていたのです。天使たちがダンスをするのに、どんなスペースもいりません。何万人の天使でも針の先端で踊ることができます。そして、あなたも私も、その同じ針の先端にいるのです。

したがって、もしあなたが何かを霊的世界のインターネットに送り込むなら、それは一瞬の内に地球上のすべての人の心に届きます。それどころではありません。全宇宙の全存在に、それは瞬時に届きます。あなたが思うこと、あなたが考えること、あなたが感じる感情のすべては、あなたが考えたり感じたりしたその瞬間に、霊的世界のすべての存在に送り届けられているのです。

ただし、相手がいつもその情報のすべてを読んでいるかどうかは相手次第です。肉体として生きている地球上の人々がそれを意識して受け取ることはないでしょう。それは、あなたが世界中の人から送られてくるそのような思考や感情を意識して受け取ることがないのと同じです。けれども、霊的世界のインターネットの中に送り込まれているそのような意識の「波動」は、私たち一人一人の心に無意識の影響を与えます。もし私たちが意識的に自分の心の中に取り入れるものをコントロールしなかったら、私たちはそのような人類の意識の集合的な波動に翻弄されてしまいます。それをコントロールするのが、「仮想現実の作成メカニズム」で述べた「外界作成装置」なのです。それは、インターネットを流れる波動の中から自分が共鳴するものだけを取り入れます。したがってもしあなたが「明るい」人生を選びたかったら、あなたの外界作成装置を「明るい」波動だけに共鳴するようにしなければなりません。あなたがいくら「明るい」人生を望んでいても、外界作成装置が暗い波動に共鳴するようにセットされていたら、あなたの人生はいくら待っても明るくはなりません。

逆にあなたは、全世界のすべての人に「明るい」波動を送り届けることもできます。距離は問題ではありません。霊的インターネットには距離というものはないのです。あなたは、全世界に対して、全宇宙に対して、愛の波動、喜びの波動、感謝の波動、勇気の波動を送り届けることができます。

ギリシャの北東部に「聖山アトス」と呼ばれる山があります。その山は全部が修道院になっていて、2000人ほどの修道士がひとりずつ庵を結んで、毎日朝から晩まで祈りと瞑想の日々を送っているのですが、あるときその修道士のひとりが修道院を尋ねた人にこう言ったそうです。
 「修道士の暮らしは、確かに世の中の政治や社会と直接繋がっているわけではない。でも、アトスでわたしが祈っていることは、貴方が生きていることと無縁ではありません。」(川又一英、聖なる山アトス―ビザンチンの誘惑―、新潮選書、p181)
修道士たちの祈りは、地球の上の人間の心に届けられるだけではありません。それは、宇宙の意識が受け取り、地球の意識が受け取ります。山や川や雲や海の意識たちも受け取ります。あなたが霊的インターネットに送り込むすべての「意識の波動」も、全宇宙の全存在が受け取ります。彼らは人間のように無意識ではありません。そのような波動を受け取り、その波動に対する返信の波動を全宇宙に対して送り出します。このようにして、全宇宙の全存在は互いに呼びかけ答えあっているのです。その中には孤立している存在はありません。あらゆる存在があらゆる存在とつながっています。ただ、人間の意識だけが、ゲームの一環として、そのことを忘れたのです。人間の意識は、自分が全宇宙の全存在に対してメッセージを送り出していることも、全宇宙の全存在がメッセージを自分に送ってくれていることも忘れています。

けれどもいまは、それを思い出すときです。霊的世界には時間も空間もありません。神の意識の中は無限に広いように見えますが、それはその中に無限の多様性を含んでいるということであって、距離的にそれぞれが離れているということではありません。神の中には如何なる距離もありません。神の中におけるすべての存在は常に一体なのです。
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