多次元性
霊的存在である人間は、心の中の仮想体験スクリーンに自分の分身である肉体を送り込んで、地球世界という仮想の世界を体験しています。肉体が死ねばいったん地球世界の体験は中断されます。けれども、またあらためて肉体をつくり何度でも地球世界の体験をすることができます。また地球世界とは異なる他の仮想世界を体験することもできます。それどころか、肉体がまだ死なないうちでも、ちょっと地球世界の体験を中断して他の世界を体験し、また地球世界に戻ってそれまでの続きを体験することもできます。地球世界に分身を複数個作って送り込むこともできます。あるいは心の中にスクリーンを複数個作って、同時にいくつもの仮想体験を並行して進めることもできます。これは、人間が霊的存在として持っているふつうの能力です。これを人間の多次元性といいます。
それは人間界のインターネットの上で子供たちが仮想世界ゲームをするのとまったく同じです。人間界のインターネットでも、一つのゲームを中断してあいだに他のゲームをはさんだり、パソコンを二台おいて同時に二つのゲームをしたりすることができます。霊的世界には時間の流れというものがないので、人間界のインターネット以上に自由です。同時並行的に体験するのも、前後して体験するのも、たいして違いはないのです。
けれども、私たちはふつう自分がそういう別の世界の体験をしているとは思っていません。私たちが地球世界の一つの人生を体験する過程において、そのような別世界の体験を覚えているかどうかということは、私たちが自分の意識の中でそれらの体験を混ぜ合わせることをゆるすかどうかということによります。私たちはふつう前世の体験というのを覚えていませんが、中にはそういうことを思い出す人もあります。前世の体験を思い出したからといって、その前世自体にそれほど重要な意味があるわけではありません。むしろそれを思い出すことによって、現在体験している人生に何を混ぜ合わせようとしているかに注目してください。私たち人間は、前世の体験が事実であるかどうかについて強い関心を持ちますが、むしろその体験が何を教えてくれたかに関心を寄せてください。前世の内容が事実であろうと、夢であろうと、それほどたいした違いはありません。すべての形ある体験は仮想体験なのです。それ自体が夢のようなものです。
地球以外の世界における体験や、地球の上の別の人間である体験など、場合によっては常識では考えられないような体験を「思い出す」人もあります。そういうものも同じです。人間は霊的存在としては、非常に豊かなバラエティに富んだ体験をする存在です。同時並行的な体験も、過去や未来の世界の体験も、時間の解釈は単に解釈に過ぎません。たとえ未来を体験したと思っても、それが未来であるということにそれほど重要な意味があるわけではありません。人間は物質世界が客観的に存在していると思うので、その事実関係に気を取られます。けれども、すべては心の中の内面的体験であり、それが持つ内面的意味だけが重要なのです。
体験というものは、それが記憶の中に何を残したかが重要なのです。肉体人間の世界でのコミュニケーションは不完全なものですから、他人の体験の話をいくら聞いても、それを自分の体験にすることはできません。けれども霊的世界においては完全なコミュニケーションが可能です。もしある人の体験の記憶をそっくりコピーしてもらったら、それは自分が体験したのと同じになります。地球世界の中のある特定の人物、たとえばジュリアス・シーザーを体験した、つまり自分はシーザーであった、と思う人が何人かいても不思議ではありません。その中のだれが本当に体験した人で、だれが記憶のコピーをもらった人かということを確かめようとしても不可能ですし、そのようなこと自体が無意味です。記憶のコピーというのはどちらがどちらに渡したかという性質の問題ではなく、複数の霊的存在が一つの体験を共有しているという性質のものだからです。
霊的存在が仮想世界の中で人生を体験するというのは、私たちが本を読むのに似ています。私は学生時代に三日間朝から晩までぶっ通しでドストエフスキイの「カラマーゾフの兄弟」を読みましたが、現実世界の存在感が希薄になって、まるで自分がカラマーゾフの世界に入り込んでいるような気分でした。本の場合は、同じ本をたくさんの人が読むことができます。そして同じ本を読んでも、そこから得られる感動や啓発の体験はみんなそれぞれに違うはずです。同じように、霊的存在としては、同じ人生を体験をする人が大勢いても不思議ではありません。けれども、そのような霊的存在も、それぞれの意識の中では異なる体験をしているはずです。
肉体人間の世界においては自他の区別というものははっきりとした意味を持っていますが、霊的世界においてはこのように仮想世界の体験を共有することが可能ですから、仮想世界の中における自他の区別というものは霊的世界においてはそれほど意味がありません。これは、肉体に固執している現在の人間の意識にとっては非常にショッキングなことだと思いますが、自分は肉体ではない、永遠不滅の霊的存在であるということがしっかりと意識の中に定着すれば、それほど違和感を覚えることではないはずです。
私たち人間は、現在自分の意識を非常に小さく限定しています。これ以上小さくはできないというところまで縮小させているのです。けれども、これからはそういう限界を超えて、意識を拡大させるようにしてください。霊的存在である本当の人間は、今のあなたからは想像もできないくらい大きな存在なのです。したがって、霊性回復のためには、現在の限定された意識を拡大することが必要です。そして意識を拡大すればするほど、霊性回復への道自体も容易になって行くのです。