魂のインターネット

テレパシー


これまでの大広間型世界像にはテレパシーや透視といった超能力を受け入れる余地がありませんでしたが、インターネット型世界像では、本来このようなことが可能であることが示されます。

たとえば私が東京にいて、ニューヨークの五番街にいるマリーの姿を見ることにしましょう。「他人の姿」の章で述べたように、私たちは人と出会うときに直接相手を見ていると思っていますが、本当は霊的世界のインターネットを媒介として、そこから得た情報を元に、自分で相手の姿を描いているのです。したがって、私がマリーを見るということは、霊的世界のインターネットのなかでマリーのホームページの情報にアクセスするということです。物質世界のインターネットが距離を超越しているように、霊的世界のインターネットも距離を超越しています。それどころか、もともと霊的世界には距離というものがないのです。マリーのホームページを見ることは世界中どこからでも可能です。そして東京にいる私が、ニューヨークにいるマリーのホームページを読んで、マリーの姿を自分のスクリーンに描き出すことができれば、それは物理的には見ることのできない人の姿を透視したということになります。テレパシーも透視も本来ごく自然にできるはずなのです。

ふだんそれができないのは、私たちが自分を肉体と同一視しているからです。肉体は仮想体験スクリーンの中につくられた仮想の存在で、それは仮想世界で使うことができると決められた仮想の感覚、すなわち視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感しか使うことができません。したがって私たちは視覚の届かないところにいる人のホームページを見たり、手の届かないところのものを動かしたりするようなことはしないように、自分で自分を制限しているのです。、もちろんこれは潜在意識の中で行われますから、私たちがそのことを意識することはありません。

これは人間が「地球世界ゲーム」に参加して霊性を忘れたために起こったことです。これから私たちが自分の本質である霊的存在に立ち返り、霊的世界のインターネットを十分に使いこなすことができるようになったら、テレパシーも透視もテレポーテーション(瞬間的な移動)も自由自在です。テレポーテーションは、単に自分の分身が仮想世界の中のどこにいるかということを示すデータを、仮想体験スクリーンに入力しなおすだけのことです。世の中には時々超能力者と呼ばれるような人たちがいて、テレパシーを使ったり、自然と話をしたりする人がいますが、このような人々はいくらかでも意識が肉体へのとらわれから離れることができるようになっており、霊的存在として人間が持っている能力を取り戻しかけているのです。

霊的世界のインターネットは、人間同士のあいだだけにつながっているのではありません。第1部「宇宙の意識」の章で述べたように、霊的世界のインターネットには「地球世界」というゲームの枠組みを提供する宇宙の意識や地球の意識がつながっています。他の恒星や惑星を担当する「意識」たちも同じインターネットにつながっています。地球世界の中でも、海や山や川や植物や動物などのあらゆる存在のすべてにそれぞれを担当する「意識」たちがいて、それらのものの姿や性質をインターネットを通じて地球世界ゲームに提供しています。さらに物質世界にはまったく姿を表していない霊的存在のホームページもつながっています。霊的世界のインターネットに自由にアクセスできるようになると、このような存在たちと話をすることもできるようになるのです。

その一つの事例として、アフリカのドゴン族という原始部族が、シリウス星の二つの伴星(二つ以上の恒星が引力を及ぼしあっている系を連星系という。その中で最も明るい星を主星といい、暗い方を伴星という。)について、きわめて正確な天文知識を持っているという話があります(ロバート・テンプル、並木伸一郎訳、知の起源、角川春樹事務所)。シリウス星というのは、地球から八・七光年の距離にある恒星で、二つの伴星を持っています。シリウス星自身は全天で一番明るい恒星で、北半球では冬の南の夜空に見えますが、これらの伴星は肉眼では見えず、最も暗い二つ目の伴星が発見されたのは1995年のことです。ところが、アフリカのドゴン族という部族の伝承では、シリウスが二つの伴星を持っているということが古くから伝えられており、その公転周期まで正確な数値を知っていたというのです。このことから、ロバート・テンプルという人は7000年前にシリウスから知的生命体が地球を訪れたと推論していますが、仮にシリウスの生命体がどんなに進んだ科学を持っていたとしても、7.8光年という距離は無視できる距離ではありません。それは、光の速さで走って7年9ヶ月かかるという意味で、宇宙の星のあいだの距離としてはきわめて短い距離ですが、それでも地球人が現在開発しているようなロケットを使ったとすると、シリウスから地球までくるのにほぼ十万年のオーダーの時間がかかることになります。少々科学が発達したとしても、このような物質的な乗り物では到底この距離を越えて地球を訪れることは不可能です。むしろドゴン族の伝説は、古代のドゴン族に霊的世界のインターネットの情報を読み取ることができ、シリウスの知的生命体と話をすることができる人物がいたことを示しているのではないかと思われます。また、もしシリウスの知的生命体が本当に地球を訪れたとすれば、それはテレポーテーションを使ったと思われます。

また、マイケル・ローズという人は、木や河や岩や動物たちなどの自然と話をする出来事をたくさん伝えています(マイケル・ローズ、飛田妙子訳、魂との対話、徳間書店)。それはまるで木や岩に意識があって話をしているように見えますが、新しい世界像の立場からいえば、木や岩に意識があるのではなくて、木や岩を担当する霊的存在がいて、それらが物質世界の中に木や岩を出現させているのです。

これらの霊的存在たちは、基本的には人間の心と同じ心を持っていますが、潜在意識の塊で自分の意識を神の意識から切り離すようなことをしていません。これらの霊的存在たちの心の中は常に神の光に満ち溢れ、神のエネルギーがスムーズに流れています。そうでなければ、宇宙や地球を支えるというような大きな役割を果たすことはできないでしょう。したがって、もしこれらの存在たちと話をすることができるようになると、これらのものが人間よりもはるかに深い智恵や知識を持っていることに驚かされることが起こります。マイケル・ローズの本にはそのような対話が随所に出てきます。

それは、人間がこれらの存在たちにくらべて本来的に劣っているということを示しているのではありません。人間はこれまで自分の本質を忘れるというゲームをしてきたのです。その結果でそうなっているのであり、それはゲームの中間的な目標そのものでした。そしてこれからは、それを克服して再び元の霊的存在に戻ることが、私たちのゲームの目的なのです。

霊的世界のインターネットには、その他にも、かつては地上に生きていたけれども、いまは死んでこの世にいないという人のホームページもつながっています。人間は、霊的存在としては永遠の存在ですから、どんなに昔に死んだ人でも霊的世界には存在しており、そのホームページもインターネットにつながっています。これについては「死後の世界」という章に述べますが、ときどきそのような存在のホームページを読む人がいます。そのような人たちは、死んだ人の姿が見えたりして、しばしば不気味な思いをすることがあります。その理由は、一つは死に対する恐怖があることと、もう一つは自分のそのような能力に対して不安や怖れを持っているからです。現在の人間社会では、そのような能力のことを人に話すと、異常だと思われてしまいます。そのために、自分でもそのような能力を正常なこととして受け入れることができず、他人にも隠し、自分でも扱いかねている状態です。それがそのような体験を不気味なものにする原因です。

霊的世界はもともと神の意識の中なのです。本質的に不気味なものや恐ろしいものがあるわけではありません。それは人間が霊的世界となじみが薄いために、自分の心の中にある未知のものに対する怖れを体験しているだけです。

存在するものの中で人間だけが意識を持っているわけではありません。物質世界の中に存在するすべては、人間と同じような意識を持った存在がわざわざ物質世界につくり出している姿なのです。「草木国土悉皆成仏」とはこのことです。そのようなものと心を通じる人たちを異常と思うのではなく、その方が正常なのだと考えてください。霊性を回復すれば、すべての人がそのような能力を使うことができ、それがあたりまえの状態になるのです。
inserted by FC2 system