魂のインターネット

あとがき


今から45年ほど前、私が24歳の誕生日を迎える直前の秋のことです。勤めていた会社の勤務を終わって独身寮に帰り、寝転がってぼんやりしていた私は突然、自分の体の中に宇宙があるという幻覚を見たのでした。私の腹の中あたりに、真っ暗な広々とした空間があり、その中を太陽系が百科事典の挿絵にあるような姿で静々と運行していました。

それはおそらく1秒にも満たない短い時間だったと思います。けれどもその一瞬の幻は、私の心の中に大きな変化を引き起こしました。私はそのとき、宇宙というのはそれ自体が一つの生き物なのだと感じたのです。それは巨大な巨大な意識体であって、その中心には強力な意識が銀河系の中心のように強烈な光を放って輝いています。それが神だと思いました。人間はその巨大な意識体の表面にある小さな突起のような部分的意識です。それは本質的には宇宙という巨大な意識の一部であるけれども、本体の方とのつながりが何かの理由で遮断されているために、自分を孤立した存在だと感じているのです。

それ以来、私は日常の生活をコンピュータソフトの研究者として送りながら、一方で宗教や心理学関係の本を手当たり次第に読み漁り、自分が見たものは何だったのかと尋ね求めてきたのでした。その過程で、ヤコブ・ベーメやマイスター・エックハルトなどの中世キリスト教の神秘思想家や、ウィリアム・ジェームスなど宗教的体験について考察した心理学者などを知りました。洋の東西を問わず、何千年も前から、人類は同じ問題に取り組んできたのだということを知りました。

本書に提示したような、インターネットをモデルにして人間の霊的側面と物質的側面を一つの世界像の中にまとめようという試みは、これまでになかったことと思いますが、その根底にある考え方は決して私が独断的に発明したものではありません。本文中にも述べたように、物質世界が幻想と考えた人たちは東洋にも西洋にもいました。仏教の唯識という思想もこのようなものであろうと考えています。

けれども私たちは、単に物質世界が幻想であると理解するだけでは、何も得るものがありません。そこからさらに進んで、その幻想をこえ、幻想でない世界を知り、幻想でない世界に自らの意識の中心を確立することが必要なのです。多くの宗教がそのためにさまざまな修行や祈り、念仏、座禅、黙想、瞑想といった方法を考え出してきました。本書で提示したのは、いわばそのような方法の現代版です。霊的世界と物質世界の関係を現代的なインターネットのイメージで理解して受け入れやすくし、その上で物質世界という仮想の世界の中で出会うすべての人やすべての出来事に愛エネルギーを送ります。愛エネルギーを送るというのは、結局自分の心を癒すことであり、その結果として自分の意識の中がクリーニングされ、仮想世界である外界にも霊的世界の真実が現れてくるのです。

私はいま、四十五年前の幻にはっきりとした意味付けと表現を与えることができたことに深い喜びを感じています。人間は物質ではありません。肉体ではありません。永遠不滅の霊的存在です。人間は、何万年も、何十万年も忘れていたそのことをそろそろ思い出し、地球世界のゲームを卒業する時期にきているのです。

けれども、本文の中で何度も述べたように、霊的世界に関する限り、正しい世界像というものはあり得ません。霊的世界の真実は、決して言葉にも絵にもならないのです。本書で述べた新しい世界像は、古い世界像に代わる新しい世界像を提供するというよりは、むしろ私たちが深くとらわれている物質的世界像を破壊するためのものなのです。あらゆる固定観念を破壊し、あらゆる常識を捨ててください。最終的には、私たちは如何なる世界像にもとらわれないところにまで進んでいかなくてはならないのです。本書で提示した世界像がそのために少しでも役に立つことができれば、これ以上の幸いはありません。
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