魂のインターネット

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私たちは自分では気づいていませんが、一人一人が霊的世界のインターネットにホームページを開いています。その中には、私たちのすべてが書き込まれています。潜在意識の中に隠しているさまざまな観念や信念も、仮想世界の中で体験した事件によって受けた心の傷も、現在参加している仮想世界の経験だけでなく「以前に」経験した仮想世界の記録も、ありとあらゆるものが書き込まれています。もしこのホームページを読むことができる存在がいたら、その存在に対しては私たちのすべてが明らかになってしまいます。これは、私たち人間が持っているプライバシーの感覚からいえばとんでもないことです。

けれども、霊的世界においては基本的にプライバシーというものはありません。ありとあらゆるものが完全に透明になっているのが霊的世界です。けれども、このホームページを隅から隅まで読むことのできる存在は限られています。数において限られているのではなく、質において限られているのです。それは、私たちが自分以外の存在のホームページを読むときに、自分自身の意識で障壁をつくるからです。たとえば、私たち人間は、現在、自分の意識の中すらすべてを見ることができずに、潜在意識と称して自分自身に対して隠してしまっています。そのような存在はまして他人のホームページを読むことなどできません。読むとしてもほんのわずかな表面的な情報だけです。これが図5に描かれている「外界作成装置」の働きです。それは他の意識との「共鳴装置」として働きますが、また他のホームページを読むときの「選択装置」として働きます。たとえていえば、ホームページにはセキュリティレベルが定められていて、それぞれの意識の状態によって、他の存在のホームページをどのレベルまで読むことができるかが決まっているといえます。自分の心を完全にオープンにすることのできるものだけが、他のホームページを完全に読むことができるのです。

自分の心を完全にオープンにできるとは、何ものをも批判しないということです。どんなに「悪」と見えるようなものを見ても、どんなに「醜い」ものを見ても、どんなに「恐ろしい」ものをみても、心を乱されることなく、愛と受容と尊敬の念を持ち続けることのできる心だけが、他の心のすべてを知ることができるのです。本当の霊的存在とはこのようなものです。神も同じです。神は何ものをもとがめないので、神の目にはすべてが見えています。神が何かをとがめるということはありません。なぜなら、すべては神の中に存在するものだからです。

「悪」とか「醜い」といった価値判断を伴う言葉を知っている存在には、このようなことはできません。「道徳の根拠」という章で述べるように、私たち人間は、霊性への帰還の途上で、善悪を判断することを学びました。これは肉体の自己を保存することを唯一の目的としたエゴの判断以上のものがあることを知るためです。けれども、霊性回復の道をさらに進むためには、今度はこの善悪の判断を超える必要があります。私たちは善悪ではなく、神の唯一最高のエネルギーである「愛」によって満たされ、愛によって判断し、愛によって行動するようになって行くのです。
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