魂のインターネット

仮想体験


仮想世界に入り込むということがどんなことかというイメージをつかむためのたとえ話を一つしておきます。
 
あなたが数人の親しい友人とゲームセンターに遊びにきたと思ってください。このゲームセンターはかなり高級なゲームセンターです。ゲーム機は飛行機の操縦シミュレーターです。

飛行機の操縦室だけを切り出したような形をしたゲーム機がたくさん並んでいます。あなたたちは一人ずつ別れて操縦室に乗り込みます。ドアを閉めれば、中はあなた一人だけの世界、外の世界とは完全に遮断されてしまいます。あなたは操縦席に座ります。外の物音も聞こえず、窓には飛行場の景色が映っています。それはコンピュータでつくられた仮想の飛行場の景色です。あなたの乗った飛行機は滑走路の手前にいます。他にも赤や黄色や青やさまざまな色に塗られたたくさんの飛行機が見えます。どの飛行機にだれが乗ったかはわかりません。友達が乗っているのもあるし、知らない人が乗っているものもあるはずです。

一番向こうに並んでいた飛行機が動き出しました。一機だけ滑走路の方へ出て行きます。滑走路に入ると、その飛行機は猛然とスピードを上げて走り出し、やがて滑走路の向こうの端から離陸して行きました。続いて次の飛行機が動き出し、滑走路に入って行きます。この飛行機もすぐに空へあがって行きました。

そのうちにあなたの順番がきます。あなたはエンジンをかけ、ゆっくりと滑走路に向けて動き出します。あなたはまだこの飛行機に慣れていません。無事に離陸できるでしょうか。あなたはエンジンを全開にして走り出します。何とか無事に離陸しました。飛行機は快適に上昇して行きます。窓の外に地上の景色が見えます。飛行機が傾くと地平線が斜めになるので、はじめはすべり落ちそうな気がして緊張します。他の飛行機はどこに行ったのでしょうか、一機も姿が見えません。進路方向は大丈夫でしょうか。計器をチェックしたりしているうちに、突然窓の外が真っ白になってしまいました。雲の中にはいってしまったのです。何も見えません。計器を頼りに飛ぶほかはありません。もっと高度を上げれば雲の上に出られるはずですが,思うように飛行機は上昇してくれません。そうこうしているうちに、突然目の前に大きな山が現れました。避ける暇はありません。ドカン! あなたの第一回の飛行は、あっという間に悲惨な結果に終わってしまいました。

あなたの乗った飛行機は山腹に突っ込んでめちゃめちゃに壊れて燃え上がってしまいました。けれども、それはすべて仮想の出来事です。ゲーム機自体が空を飛んだわけではなく、山に突っ込んだわけでもありません。自分の飛行機が燃えている風景が窓の外に見えているのを横目で見ながら、あなたはドアを開けてゲーム機の操縦室を出ました。そこにはゲームのインストラクターが立っていました。
  「もっと高度を上げて雲の上を飛ぶと楽だよ。」
とアドバイスしてくれます。よし、もう一度挑戦です。あなたはまた操縦室に戻ります。今度は離陸するとすぐにどんどん高度を上げます。やがて雲の上に出ました。まぶしいほどの青空です。下の方は真っ白な雲の海です。遠くの方に尖った山の頂上が見えます。前回ぶつかった山です。「あの山はこんなに高かったんだ。」とあなたは前回の飛行のことを思い出します。けれども、今度は遠くから山が見えていますから、悠々とよけて飛ぶことができます。二回目の飛行は大成功でした。

何度か飛行して飛行機になれたあなたは、もっと冒険がしたくなりました。今度は雲の下を飛びます。雲の中に入らなければ窓の外は見えますが、高度が低いので狭い谷間を曲芸飛行のように飛び抜けなければならないのです。何度か失敗し、同じように谷間を飛ぶ他の飛行機と衝突したりもしますが、やがてうまく谷間を抜け出すことに成功します。あなたはこうして、次第に難しい飛行を選びながら、何度も飛行ゲームに挑戦するのです。

そのうちにあなたはもうゲームをやめたくなりました。そこで何度目かの飛行の後、操縦室を出て、友達が出てくるのを待ちます。やがて隣の操縦室から友達が出てきました。
 「そろそろやめようか。」
とあなたはその友達に声をかけます。友達も賛成していっしょに他の友達を待ちます。やがてみんなが揃ったところで、あなたたちは二階に上がり温泉に入ります。ゆったりと暖まった後、今度は三階に上がりレストランに入ります。みんなでおいしいフランス料理を食べ、ワインを飲みながらゲームの思い出話をします。

仮想世界で遊ぶのは、たとえてみれば、こんな感じです。

地球世界ゲームでは、飛行機の代わりに、私たちは肉体を操縦します。理性と感情という二つのエンジンをつけた肉体という難しい乗り物を操縦して、私たちはさまざまな人生の谷間を飛行します。男の人生、女の人生、金持ちの人生、貧乏な人生、商人の人生、芸術家の人生、聖人の人生、人殺しの人生、・・・ありとあらゆる人生に挑戦します。地球ゲームに慣れれば慣れるほど、困難な人生に挑戦します。さまざまな環境の中で、自分はどんな操縦士であり得るかということに挑戦するのです。

そして、このように人生への挑戦を何度も繰り返しながら、同時にその全体を通じて、「地球という世界」の章で述べたように、私たちは物質世界という巨大迷路から脱出して霊的世界に戻るというスーパーゲームをしているのです。
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