聖書の新解釈

B33 私に従いなさい


ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるのでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると議員は、「そういうことはみな、子供のときから守ってきました」と言った。これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。

日本聖書協会 新共同訳聖書 ルカによる福音書 18章18−23節 


この話は11月の集会でしましたので、アドベントの話から始まっています。インターネットでこのページを見られる方の中には、キリスト教になじみのない方もおられると思いますので、まずアドベントとは何かということからお話しましょう。
 
簡単に言えば、アドベントとはクリスマスの前の3週間のことです。日本では「待降節」と訳されています。この訳語からもわかるように、なんとなくクリスマスの準備期間のように考えられています。けれども本当は、アドベントには、「待つ」とか「準備する」という意味はありません。

アドベントという言葉を辞書で引くと、「重要な人物やイベントの到着あるいは到来」と説明されています。そして、キリスト教でいうアドベントには三つの意味があります。第一は、キリストの降誕そのものです。二つ目は、キリストの再臨を指します。「再臨」とは「世の終わり」にキリストが再び現れることです。この場合はセカンド・アドベント(第二のアドベント)という言い方も使われます。 これらを見れば、アドベントという言葉は、キリストの来臨を待ち受けることではなく、来臨そのものを指していることがわかります。そして、三番目の意味として、11月の最後の日に最も近い日曜日をアドベント・サンデーと言い、アドベント・サンデーからクリスマスまでの期間をアドベントと言う、となっています。これが日本で待降節と呼ばれているものです。
 
アドベントの第一の意味は、2000年前の出来事を指しています。第二の意味は未来の出来事を指しています。では、三番目の毎年繰り返される「現代のアドベント」は、私たちにとって何を意味しているのでしょうか。それは、2000年前の出来事を思い出すことでもなければ、いつかわからない遠い未来のできごとに期待をかけることでもありません。アドベントとは、キリストの来臨そのものなのです。現代にアドベントがあるということは、現代においてキリストの来臨があるということを示しているのです。
 
きょうの聖書もよく知られた個所です。「永遠の命を得るために何をしたらよいでしょうか」と尋ねた人に対して、イエスは「持ち物をみんな売り払って、私に従いなさい」と言われました。
 
この聖書の言葉に従っているわけではないでしょうが、「全財産を教団に寄付したら救われます」と言う宗教団体がときどき現われます。皆さんは、間違ってもそんなことをしないようにしてください。このイエスの言葉が、非常に重要な真理を教えていることは間違いありませんが、それはこの言葉を文字通りに読んでも理解できないのです。
 
同じ聖書に、こういう言葉があります。「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」(「コリント人への第一の手紙」13章)。それと同じように、あなたが全財産を売り払って貧しい人々に与えてしまったとしても、あなたが「ある一つのもの」を捨てなかったら、あなたには何の益もないのです。
 
その「ある一つのもの」とは何でしょうか。それは「財産を頼りにする心」です。財産をもっていることが問題ではないのです。財産を頼りにする心が問題なのです。財産を頼りにする心を捨てずに、財産だけ捨ててしまったら、たいへん困ることになります。「全財産を売り払いなさい」という言葉は、「財産を頼りにする心を捨てなさい」という意味なのです。
 
財産を頼りにするとは、物質を頼りにすることであり、物質世界の法則や力や経験を頼りにすることです。「全財産を売り払いなさい」という言葉は、「物質世界を頼りにするのをやめなさい」という意味なのです。
 
けれども、物質世界を頼りにするのをやめたら、私たちは頼りにするものがなくなってしまいます。財産を頼りにせず、物質世界を頼りにしないとしたら、何を頼りにすればいいのでしょうか。それが「わたしに従いなさい」という言葉です。「財産を売り払いなさい」という言葉と「わたしに従いなさい」という言葉は、ワンセットになっているのです。それは、「物質世界を頼りにせず、神を頼りにしなさい」ということなのです。
 
これまで、私たちはこの個所を善悪・道徳の立場から読んでいたのではないでしょうか。その結果、お金を持つことは悪いことであるとか、たくさん献金するのがよいことであるとか、神に従うとはお金や自分を犠牲にすることだ、というような考えが生まれました。
 
けれども、神が語られる言葉は、すべて私たち人間のためなのです。神が人間に犠牲を強いることはありません。イエスはみずから、自分を羊飼いにたとえられました。羊飼いが羊に「よいことをしなさい」と言うでしょうか。羊飼いが羊に道徳を要求するでしょうか。羊飼いが要求することは、ただひとつ、「私についてきなさい」ということだけです。「物質世界のものはみんな頼りにならないのだから、そんなものを頼りにするのはやめて、私についてきなさい。そうすれば、私はあなたたちを永遠の命の国に連れていってあげよう」というのが、ここでイエスが言われていることなのです。
 
アドベントはキリストの来臨そのものを意味しています。「現代のアドベント」は、過去でも未来でもなく、この現代において、キリストが私たちのところに来てくださることを示しているのです。
 
けれども、キリストは、目に見える形で来られるのではありません。キリストは、私たちの心の中に来られるのです。キリストは、私たちに「内面の声」という形で語りかけてくださいます。「わたしに従いなさい」というのは、よいことをしなさいという意味ではありません。毎日の日常の生活を内面の声、すなわち「私の声」にしたがって進めなさい、ということなのです。
 
そのためには、私たちが心にキリストを迎えなければなりません。そのために必要なこと、それが「物質世界を頼りにする心」を捨てることです。私たちが物質世界を頼りにする心を完全に捨て、全面的に神に信頼するという決心ができたら、キリストは私たちの心に降りてこられます。それが本当のアドベント(キリストの来臨)です。
 
以前に「人は神と富とに仕えることはできない」というお話をしました(B20 二人の主人)。私たちはこれまで、物質世界を信じた上に、更に神への信頼を積み重ねようとしてきましたが、それは不可能です。私たちが物質世界を頼りにしている間は、神を頼りにしていないのです。私たちは、物質世界か神か、どちらをかを選ばなければならないのです。 「全財産を売り払って」というのは、そのことを指しているのです。

2002.11.15 第33回エノクの会
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