聖書の新解釈

B8 永遠の命



神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

日本聖書協会 新共同訳聖書 ヨハネによる福音書3章16‐18節


聖書を読むときに、無意識のうちに、常識的観念に縛られないようにしなければなりません。

その一つが「取引」という観念です。取引とはギブ・アンド・テイクのことです。人間の世界はいたるところ、取引で成り立っています。この聖句もうかつに読むと、「独り子を信じたら永遠の命をあげます」という交換条件のように見えます。けれども、神は人間と取引をすることは絶対にありません。したがって、永遠の命を、信仰に対する褒美であると考えないようにしなければなりません。

もう一つの注意すべき観念は「時間」です。時間と空間は、私たちの認識の根本的な土台です。したがって、私たちは無意識のうちに、神も時間の流れの中にあると思ってしまいます。けれども、神は時間を超越しています。神は時間に支配されません。神のわざが人間の眼に見える形に表れる時には、時間の流れに従って展開するように見えますが、それは人間の眼にそう見えるだけであって、神のわざそのものは時間を超えています。神のなさることは、人間の言葉で表現すれば、永遠の過去から永遠の未来まで同時に成就するのです。このことがわからないと、「キリストが現れる前に死んだ者たちは救われないのか」というような疑問が生まれることになります。キリストがこの世に生まれる前から、救いのみわざは完成しています。そうでなかったら、キリストがこの世に下ることはなかったでしょう。同じように、キリストが生まれる以前から、永遠の命は与えられています。なぜなら、救いとは永遠の命のことだからです。
 
冒頭の聖句には、「独り子」という言葉と「御子」という言葉が出てきます。表面的にはどちらもイエスのことを指していますが、私は、二つの言葉は使い分けられていると思っています。「御子」はイエスを指しますが、「独り子」という言葉は、永遠の命そのものを指している、と私は考えます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」というのは、「神は、人間に永遠の命をお与えになったほどに、人間を愛された。永遠の命を信じるものが、独りも滅びないで、永遠に生きるためである」という意味なのです。
 
神は人間と取引をすることはありません。神が「永遠の命をあげよう」といわれたら、それは無条件です。神は時間を超越しています。神がなさることは、人間の時間でいえば、永遠の過去においてすでに完了しています。永遠の命はすでに私たちに与えられているのです。それなのに、なぜ、私たち人間は永遠の命を持っていないのでしょうか。それは、私たちが神を信じず、永遠の命を信じていないからです。
 
それは、たとえていえば、誰かが私に無限億円の預金通帳をくれたようなものです。私が、その預金通帳に無限のお金が預金されていること、そして、私がそのお金を自由に使ってよいのだ、ということを信じることができたら、私は決してお金に困ることはないでしょう。けれども、もし私がこれらのことを信じられなかったら、私は無限億円の預金通帳を握り締めたまま、飢え死にするかも知れません。その通帳をくれた人は、「どうして、このお金を使わなかったのか」と言って嘆くことでしょう。これが、今の私たち人間の状態なのです。神も嘆いておられます。「どうして、あなたたちは永遠の命を信じないのか」と。
 
聖書は続けてこう書いています。
「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである」。

この聖句は次のように理解してください。
「神がイエスを世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、イエスによって世が救われるためである。イエスを信じるものは裁かれない。信じないものはすでに裁かれている。永遠の命を信じていないからである」。

神がイエスをこの世に遣わされたのは、この世を裁くためではありません。「お前達は、永遠の命を信じない。けしからんやつらだ」というために、イエスはこの世に来られたのではありません。イエスは、人間に、何とかして永遠の命を信じさせようとして、そのために来られたのです。
 
この世はイエスを受け入れず、「とんでもないことをいうやつだ」と言って、殺してしまいました。けれども、神は人間と取引をすることはありません。よいことをしても褒美をくれることもなければ、悪いことをしたからといって、罰を与えることもないのです。ただ、人間はイエスを受け入れなかったので、永遠の命も信じませんでした。その結果、人間はいまだに、永遠の命を自分のものにすることができないでいるのです。 

2001.10.6 第8回エノクの会
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