聖書の新解釈

B7 神の声を聞く



サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかしエリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。
 ・・・・・(中略)・・・・・
 主は三度(みたび)サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております』と言いなさい。」 サムエルは戻ってもとの場所に寝た。
 主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」 サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕(しもべ)は聞いております。」

日本聖書協会 新共同訳聖書 サムエル記上3章1-10節


キリスト教になじみのない方のために、簡単な解説をしておきます。
サムエルというのは、紀元前1000年頃のイスラエルの祭司で、イスラエルの歴史における理想的な人物の一人とされています。上に掲げたのはその少年時代の伝説で、歴史上の事実であるかどうかはさだかではありません。
エリというのは、少年時代のサムエルを指導した祭司です。
旧約聖書で「主」と訳されるのは、神のことです。


神の声を聞くことは人間にとって最も重要なことです。けれども、現代人は、神の声を聞くということを忘れ、それがどんなことかさえ理解できず、自分勝手な判断で動き回るので、世の中がめちゃくちゃになって、破滅しかかっています。一方で、世の中には、神の声を聞いたと信じて身を誤る人もたくさんあります。神の声とはどのようなものなのか、どのようにして聞こえるのか、ということについて、基礎的な知識とそれを聞いたときの対応方針をもっておくことが重要です。
 
人間が霊性を回復するとは、意識が神と一つにつながることです。そのためには、潜在意識の中にある膨大な観念や感情の蓄積を浄化し、神の光をさえぎるものが何もないようにしなければなりません。そのことはこれまでにもお話ししました。けれども、意識の中に神の光を迎え入れるのは、すべての潜在意識がクリアされるまで待たなければならないわけではありません。神の光を太陽の光にたとえれば、潜在意識は雲のようなものです。厚い雲が太陽を隠しているときでも、時々雲の切れ目から光が差すことがあるように、私たちも、現在のような状態のままでも、時々は神の声を聞くことができるのです。
 
サムエルは神の呼びかけを聞いて、自分の指導者であった祭司エリが呼んだものと勘違いしてエリのもとに走っていきました。神の声は、本当にこのように、人間の言葉として聞こえるのでしょうか。たしかにそのような場合もあります。耳元で誰かがしゃべったように神の声を聞いた人もいます。頭の中に声が響いたという人もいます。夢の中で神と話をした人もあります。

けれども、神の声はそのような人間の言葉を語る声として聞こえるものばかりではありません。むしろそのようなことはめったにないと考えておくほうが間違いがありません。また耳元で聞こえた声がすべて神の声ではありません。 神の言葉は自分自身の考えのようにして現れる場合もあります。何かをしたい衝動となることもあります。友達のなにげない言葉や読んでいた本の中の一つの語句が神の言葉を語る場合もあります。 それだけではありません。鳥の声、風の音、谷川のせせらぎ、小さな花の色、木の葉の上を這う毛虫・・・大きな出来事、小さな出来事、ありとあらゆるものが神の声を伝える媒体になります。神の声が聞こえていないときは、神が語っていないのではありません。神は常に、絶え間なく、あらゆる物事を通して、私たちに語りかけています。ただそれは、私たちのほうにその声を聞く用意ができたときだけにしか聞こえないのです。
 
どのような媒体を通して伝えられたものであっても、神の声は最終的にはすべて自分自身の内面の声として心の中に定着します。それは、自分自身の理解であり、考えであり、意志であり、感情なのです。

けれども、ここに注意しなければならないことがあります。それは「内面の声」のすべてが神の声ではないということです。私たちの心の奥には、神の声が入ってくる心の出入り口があります。けれども、この出入り口と私たちの顕在意識とのあいだには潜在意識の大きな塊があり、私たちの顕在意識が心の出入り口につながるのをさえぎっています。このため、私たちは神の声を聞くことができないのです。そして、私たちの顕在意識から見れば、自分の潜在意識も出入り口の外におられる神も同じ方向にあるように感じられるのです。エゴから発生する欲望の声も、癒されていないインナーチャイルドのおびえた叫びも、身体に染み付いた固定観念の価値判断も、すべて神の声と同じ方向から聞こえてくるのです。(心の出入り口についてはB3 内面の世界を読んでください)

そこで私たちは、心の奥から聞こえてくる声を無条件に神の声と信じ込むのではなく、ほんとうの神の声とそうでない声を聞き分けなければなりません。神の声には、いくつかの特徴があります。それを手がかりにすれば、エゴの声を神の声と思い込んでしまうような、大きな間違いは避けられます。

次のようなものはすべて神の声ではありません。
  @恐れや怒りから発するもの
  A何かから逃れようとするもの
  B他人や自分を非難するもの
  C疑いを含んでいるもの
  D自分の弱さやみじめさを感じさせるもの
  E自分の強さや偉さを誇るもの
  F大きくわめきたて、せきたてるもの

逆に次のようなものは、神の声の特徴です。
  @愛から発するもの
  A高い目標に近づこうとするもの
  Bすべてをゆるすもの
  C平安に満ちているもの
  Dおだやかで、しかも力強さを感じるもの
  E静かに落ち着いて語るもの
  F自分も他人も傷つけないもの
 
神の声を聞くためには、つねに、神の声を聞きたいという思いを持ち続けてください。そして、自分の心の最も深いところから来る思考や感情にしたがってください。心の奥の最もかすかな、静かな、ひそやかな声に耳を傾けてください。
 
もし、神の声があからさまな声として耳に聞こえたりすることばかりを求めていると、それは神の声に対する依存症を引き起こすことになります。そして、それらしく装ったエゴの声や欲望の衝動に、簡単にだまされるようになります。人間は決して他に依存してはなりません。神にさえも依存してはなりません。神が自分の外におられるように感じ、その神が自分の人生についてのこまかな指示を与えてくれるように考えているなら、それは神に対する依存症です。
 
そうではなく、どこまでも自分が浄化されることを求めてください。浄化された自分の中で神が働かれることに信頼してください。浄化されるための手段として礼拝や祈りや瞑想をします。自然の中に出て行って、風のそよぎや、小川のせせらぎに耳を傾けるのもよいでしょう。愛や知恵の言葉に満ちた本を読むのもいいでしょう。あなたのハートをすみずみまで愛で満たし、神のエネルギーが身体の中を流れるのを感じるように、心を静め注意を集中してください。やがて、あなたの浄化された心を神のエネルギーが豊かに流れるようになり、あなたは、自分の直観の中に、思考の中に、感情のゆらぎの中に、神が静かに語られるのを感じることができるようになるでしょう。



2001.9.15 第7回エノクの会
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