聖書の新解釈

B5 神の正義と人の正義



そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ兄弟が私に対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」 イエスは言われた。「あなたに言っておく。7回どころか、7の70倍までも赦しなさい。」

日本聖書協会 新共同訳聖書 マタイによる福音書18章21-22節


聖書の中には「悪を限りなくゆるしなさい」という言葉があちこちに出てきます。冒頭に掲げた聖句もその一つです。聖書には、その他にも有名な言葉があります。

 「悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタイによる福音書5章39節)
 「敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書5章44節)
 
私たちの理性は「悪を無制限に赦したら、正義が成り立たない。」と考えます。人間にとって、正義とは悪と戦うことであり、悪に負けないことであり、悪を抹殺することであり、悪に懲罰を加えることです。けれども、神の正義は悪を赦すことであり、悪を愛することであり、悪のために祈ることなのです。なぜ、神の正義と人の正義がこんなに違うのでしょうか。そのちがいは、人間が愛というものの性質を知らないところから生まれます。
 
私たちはふつう愛を「行動」として理解しています。愛とは何かを「する」ことだと考えています。人にやさしくしたり、親切にしたり、人を助けてあげたりするのが愛だと思っています。けれどもこれらは愛の特殊な現われに過ぎません。愛そのものは一種のエネルギーなのです。それはすべてのものの存在と生命を支える神のエネルギーです。
 
愛エネルギーはちょうど物質の熱エネルギーのような性質を持っています。人の心に愛エネルギーが充満すると心の温度が高くなります。人の心に愛エネルギーが欠乏すると心の温度が低くなります。私たちが「心の冷たい人」という表現を使うのは偶然ではないのです。
 
人は愛エネルギーの欠乏に耐えられないので、愛エネルギーが不足するとどこからか補充しなければなりません。本当は愛エネルギーは神から直接もらうべきものですが、それを知らない人たちは他の人の愛エネルギーを奪おうとします。奪われた人は取り返そうとします。こうして人々の間に愛エネルギーの奪いあいが起こります。これがすべての悪の源泉なのです。人間の行動は基本的には二種類しかありません。一つは愛による行動であり、もう一つは愛の欠乏による行動です。すべての善は愛エネルギーを与える行動であり、すべての悪は愛エネルギーを奪う行動です。
 
人間の正義は、悪人が不当に――と正義の側の人たちは考えます――奪い取った愛エネルギーを奪い返すことです。人間は何千年もこのようにして愛エネルギーの奪い合いを繰り返してきましたが、それによって地球の上から悪をなくすことはできませんでした。それは基本的に地球の上に愛エネルギーが不足しているからです。

これに対し、神の正義とは、悪を癒すことです。人が悪を犯すのは愛エネルギーが欠乏しているのであるから、悪人に愛エネルギーを与えようというのが神の正義です。たとえば、ある種のビタミンが不足すると人間が凶暴になるとしましょう。ビタミン不足で凶暴になった人が犯罪を犯したとき、それに罰を与えるのが人間の正義で、ビタミンを与えて凶暴性を癒そうとするのが神の正義です。
 
人に愛エネルギーを与えようとすると、自分にたくさんの愛エネルギーがなければなりません。愛エネルギーが本当の物理的なエネルギーであれば、人に愛エネルギーを与えれば自分の分が減ってしまうことになりますが、そうはならないところが愛エネルギーの不思議なところです。もしあなたが人に愛エネルギーを与えようとしたとすると、送ったあなたともらった人の両方の愛エネルギーがふえることになるのです。同じように、人から愛エネルギーを奪おうとすると、奪った人と奪われた人の両方から愛エネルギーが減っていきます。

したがって、愛エネルギーの奪いあいをしている社会では、社会全体の愛エネルギーの量が次第に減っていきます。逆に愛エネルギーの与えあいをしている社会では、社会全体の愛エネルギーの量が増えていきます。悪の問題を根本的に解決する方法はこの方法しかありません。互いに愛エネルギーの与えあいをすることです。それによって社会全体の愛エネルギーの量をふやさなければ、愛エネルギーの欠乏がある限り、それはトランプのばば抜きゲームのように、ばばがあちこちに移動するだけで、絶えずばばの周辺で紛争が起こることになるのです。
 
熱エネルギーが伝わるには二つの方法があります。物と物が触れあっているときに熱が伝わる現象を「接触による熱伝達」といい、離れている物体の間を熱が伝わる現象を「輻射による熱伝達」といいます。熱は電波の一種である赤外線になって物体の間の空間を飛び越えるのです。

愛エネルギーも人と人が触れあっているときに流れます。これが普通にいう「愛の行い」です。また、ちょうど輻射による熱伝達と同じように、離れている人の間でも愛エネルギーは伝わります。これが「敵のために祈りなさい」というイエスの言葉の意味なのです。愛エネルギーを送るには、まず心の中で愛エネルギーを送ろうという思いを起こし、次に自分の中に愛エネルギーが充満しそれが相手の方に流れていく様子を想像します。あとは神に任せればいいのです。ただし、心の一部だけで送るのではなく、潜在意識まで含めた心を100パーセント使って、身も心も集中して、全身全霊をこめて、愛エネルギーが流れていく様子を想像してください。効果は、あなたの心の何パーセントがこの祈りに参加したかによって決まります。目に見える行動はなくてもかまいません。特別の行動が必要なときには、自然にそれがわかります。
 
自分が直接事件に巻き込まれたときに、加害者に愛エネルギーを送るのは難しいかも知れませんが、第三者的立場にあるときにはそれほど難しくないはずです。あなたは世の中の事件に対して、第三者である場合の方がはるかに多いはずです。そのようなときに、事件の関係者すべてに愛エネルギーを送ってください。被害者がかわいそうだから愛エネルギーを送るわけではありません。被害者も加害者も愛エネルギーが不足しているので、そのような事件が起こるのです。被害者にも加害者にも愛エネルギーを送ってください。社会全体にも愛エネルギーを送ってください。

このようにして、愛エネルギーの与えあいによって社会全体の愛エネルギーをふやすほかに、悪の問題を解決する方法はないのです。

 ( これと同じ話をもう少し詳しくA8愛のエネルギーに書いています。 )
2001.7.14 第5回エノクの会
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