聖書の新解釈

B19 平和を作り出す者


平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

日本聖書協会 新共同訳聖書 マタイによる福音書5章9節


地球環境問題がだんだん深刻になっています。一昔前は、エアコンやスプレーに使われるフロンガスが問題でした。最近は温室効果を引き起こす炭酸ガスが問題になっています。
 
物質的な排気ガスについては、人間はようやく気がつき、対策を考えるようになりました。けれども、人間が意識の排気ガスを出していることについては、ほとんど誰も気づいていません。一部にそのことを警告する情報はあるのですが、ほとんどの人はそういうことを知らないし、知っても信じません。意識の作用について、ほとんど無知だからです。自動車が排気ガスを出しながら走っているように、人間も意識の排気ガスを出しながら生きています。意識の排気ガスは、地球の意識の環境の中に蓄積します。そしてあるとき、意識の環境の弱いところに、一挙に噴出してくるのです。それは大量の雨が降ると、堤防の弱いところが決壊して洪水が起こるのと似ています。

意識の排気ガスとは何で、それがたまると何が起こるのでしょうか。
 
意識の排気ガスというのは、私たちが日常生活の中で抱く感情の波動です。激しい感情もありますが、大部分は自分でも気づかないほどの、小さな何気ない感情の動きです。それは人々の心から放出され、地球を取り巻く意識の大気のなかに蓄積されていき、ある程度たまると、目に見える形の社会的事件となって物質化します。人間は、物質的存在の法則しか信じなくなっているので、社会的事件の背後にこのような集合意識の作用があることを知りません。けれども、物質世界に起こるあらゆる出来事は、背後に意識の作用があって起こるのです。

私たちは日常生活の中で、毎日のように、小さな不平、不満、批判、非難、怒り、恨み、憎しみ、悲しみ、恐れ、不安といったネガティブな感情を抱きます。このようなネガティブな意識の排気ガスがたくさんたまると、地震や洪水のような自然災害、大きな事故や戦争、伝染病などの災害が起こるのです。フロンガスや炭酸ガスによる大気汚染の問題も、本当は、地球の意識の大気がネガティブな波動で汚染されていることの物質的な現われに過ぎないのです。
 
意識の排気ガスによって起こる出来事は、悪い出来事ばかりではありません。ルネッサンスや宗教改革、二十世紀初頭の物理学の大革命、新しい芸術運動や新しい思想の台頭など、大勢の人が関係する社会的出来事は、すべてこのような意識のガスの蓄積によって起こるのです。希望、愛、寛容、感謝、喜び、平和といったポジティブな意識の排気ガスを出せば、よい出来事を現実化させることができます。

平和を作り出す者とは、平和のガスを放出する人のことです。心の中が平和で満たされている人です。けれども、多くの人は、平和を作り出すということを誤解しています。そして、平和のための戦いを起こすのです。けれども、戦いによって平和を生み出すことはできません。

マリアン・ウィリアムソンという人がいます。現在では、霊的な本などを書いている人ですが、若いときには活発な平和運動家でした。この人があるとき、白昼夢を見ました。
 突然身なりのいい紳士が訪ねてきて、こう言ったのです。
 「念のために申しあげておきますが、天界ではあなたはハト派ではなく、タカ派ということになっています」。
 マリアンは怒って言いました。
 「とんでもない。私は完全な平和論者です」。
 紳士は言いました。
 「あなたはロナルド・レーガン、カスパー・ワインバーガー、それにCIAと交戦中です。事実上、あなたは、アメリカの防衛組織全体と交戦状態です。あなたは絶対にタカです」。

それを聞いて、マリアンは、紳士の言うことが正しいことを理解しました。彼女はこう書いています。
「私は、レーガン大統領が共産主義者たちを裁くのはよくないが、私が彼を裁くのはかまわないと思っていたのです。なぜなら、もちろん、私は正しいからです」。(マリアン・ウィリアムソン著 『愛への帰還』 大内博訳 太陽出版)
 
ほとんどすべての人が、この「私は正しい」というわなに落ち込みます。ブッシュ大統領がアフガンやイラクを攻撃するのも、アルカイダがテロを仕掛けるのも、イスラエルとパレスチナの間の戦いがやまないのも、すべてこのパターンにはまっているからです。
 
平和を作り出す人というのは、善悪を超越していなければできません。こういう言い方に疑問を感じる人は多いと思います。善悪の判断を失ったら、人間はますますひどくなるのではないかと恐れるからです。けれども、世界を成り立たせている神のエネルギーは、善悪ではありません。愛です。愛というのは、すべてを受け入れ、すべてを許し、すべてに生命を与えるのです。
 
社会的事件は、意識の排気ガスがたまることによって起こりますが、その事件にどのような形で巻き込まれるかは、一人一人の個人の意識状態が決定します。たとえば、飛行機事故においても、直前にキャンセルして事故にあわない人もあれば、キャンセル待ちで無理して乗り込んで事故にあう人もあります。このような場合、ふつう私たちは「運がよかった」「運が悪かった」といって片付けます。けれども、ほんとうは、運のよしあしではありません。その人の意識が死を選ぶか否かの問題なのです。ただし、飛行機事故に遭った人の意識が「悪かった」と思わないようにしてください。その人の高次の意識にとっては、そのとき、そのような形で死ぬことが「必要だった」から、事故にあう飛行機を選んで乗るのです。
 
肉体に密着したエゴの意識はこのことを理解できないので、事故に遭うのは悪いことだと思います。けれども、誰にとっても、招かれないで来る災難というのはありません。すべての出来事は、よいことも悪いことも、自分で選んで体験しているのです。なぜそのような体験が必要なのかを理解しようと思ったら、自分の高次の意識とつながる努力をしてください。
 
私たちは自分の人生だけでなく、社会的事件に対しても責任を負っています。ネガティブな意識の排気ガスを出さないようにすることが、私たち一人一人の責任です。もし、あなたが物質的な排気ガスやごみのリサイクルに関心を持っているなら、それと同じくらい、自分の意識の排気ガスについても関心を持ってください。

2002.9.21 第19回エノクの会
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