聖書の新解釈

B1 霊性回復のために



神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。

日本聖書協会 新共同訳聖書 ヨハネによる福音書4章24節


 20世紀は二度の世界大戦を経験し、「戦争の世紀」と呼ばれました。これに対し、21世紀は「霊性の時代」と言われています。そのひとつの兆しとして、1999年、国連の世界保健機関WHOは、健康の定義に霊的(スピリチュアル)という言葉を入れることを検討していると報道されました。残念ながら、現在まだ、WHOの健康の定義には、スピリチュアルという言葉は入っていません。けれどもいま、人類はほんとうに霊的な進化の道へと進んでいかなければならないときを迎えているのです。
 
 人間は本来物質的存在ではありません。生まれることも死ぬこともない永遠不滅の霊的存在でした。けれども、人間はこの壮大な物質宇宙の魅力に魅せられて霊性を忘れてしまったのです。
 人類の歴史は、霊性を失った種族がふたたび霊性を取戻すための悪戦苦闘の歴史です。そしていま、その歴史は大詰めを迎えようとしています。
 
 きょうここに、小さな霊性研究会をはじめることにしました。人類の霊性回復は、人類の一人一人が霊性を回復する以外にはあり得ません。この会は、参加者の一人一人が自分自身の霊性の回復に取組むことを目指しています。
 この会を「エノクの会」と名づけました。もちろん旧約聖書に出てくる「神とともに歩んだ」といわれるエノクにあやかってのことです。
 
 けれども、神とともに歩むというのは半端なことではありません。真理の言葉は諸刃の剣です。それは、語る者をも聴く者をも、ともに切り裂くでしょう。けれども、それは私たちを刺し殺すナイフではありません。私たちの意識の中にある癌細胞を切り取るためのメスなのです。
 肉体の癌の手術と同じように、意識の癌を手術するのも並大抵ではありません。なかには拒否反応を起こす方もあるかもしれません。そういう時は、そっとこの会から立ち去ってください。無理をする必要はありません。まだあなたの時はきていないのです。
 
 霊性というものは、本来、教えることも与えることも不可能です。霊性というのは、すべての人が、すでに持っているものだからです。けれども、現在の私たちにおいては、それが現れるのが邪魔されています。邪魔をするのは、人間が意識、特に潜在意識、の中に持っているいろいろな知識や観念です。この研究会はこの邪魔ものを取り除くことをいっしょにやっていこうとするものです。
 この研究会では次のことを行います。
 第1に、さまざまなたとえによって、霊性のイメージを繰り返し思い描き、身体にしみ込ませます。
 第2に、その霊性が現実に現れるのを妨げているものが何か、ということを理解します。
 第3に、その妨げを取り除くトレーニングに取り組みます。「畳の上の水練」ということわざがあるように、霊性についても練習しなければ、霊性を現実に体験することはできません。

 霊性というのは劇薬です。世の中のカルトが示すように、いいかげんに取り組むと劇毒に変わります。
 霊的生活の基本姿勢を三つのキイワードで表わします。どんな場合でも、この基本姿勢を貫くようにこころがけて下さい。それは、自由、自主、自律の三つです。
 
 自由とは束縛を受けないということです。束縛というと他から受けるものと考えがちですが、実は人間は自分自身の持つ観念にしばられるのです。霊性を学ぶということは、自分のもっているあらゆる観念から自由になることです。
 
 自主というのは、「みずからすすんで行動する」という意味です。神には時間というものがありません。神はタイムスケジュールによって動くということがありません。神は、私たちの行動に応じて、それに対する応答として働かれるのです。したがって、私たちが働きかけることをしなければ、神は無限に待っておられるでしょう。
 神のなすべき仕事はすべて終わっています。神の贈り物の箱はすべて届いています。その箱を開けるか開けないか、それだけが人間の仕事なのです。
 
 自律というのは、「自分で判断する」ということです。人の話を聞くのはかまいませんが、それを自分の心に取り入れるかどうかは、自分の責任で判断してください。もしあなたが、誰かに、あるいは何かの本に、無条件に従うと決心したなら、「無条件に従う」という判断をしたのは自分であることを覚えておいてください。人間は決して、「自分で判断する」という責任から逃れる事はできないのです。どうせそうなるのですから、その責任に正面から取組んでください。あなたにとっての正しい答えを知っているのは、あなたの内面であなたを指導する聖霊のほかにはありません。自分の心の深奥にある判断力に信頼してください。
 
 世の中の宗教は、人に奉仕することを重視します。それはそれで意味があることなのですが、「救い」ということについては、ためらわずに、自分を救うことだけに集中してください。誰も他人を救うことは出来ないし、その必要もありません。宗教改革者マルチン・ルターが残した言葉の中で最も重要なものは、「万人祭司」という言葉であると、私は考えています。祭司というのは、神と人間との間を取り持つ人のことです。私は、ルターの言葉は、すべての人が自分自身の祭司であるということを意味すると考えています。誰も他人の祭司になることは出来ません。誰かがあなたの祭司になってくれるということもありません。 
 イエスは「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、ほかのものはすべてつけて与えられるであろう」と言われました。神の国と神の義 (この言葉の意味はいずれこの会でお話します) を自分に求めてください。そのようにして自分自身が完全に救われたときに、他の人が救われるということも付け加えて与えられるのです。
 
 冒頭の聖句の中で、「霊と真理をもって」と訳されている個所は、英語の聖書(New King James Version) では in spirit and truthとなっています。私はこの言葉を文字通りに「霊と真実の中で」と訳したいと思います。
 なぜここに truth(真実)という言葉があるのでしょうか。それは、霊のみが真実に存在するものだからです。私たちは、霊性を回復するまでは存在すらしていないのです。霊性の回復とは、私たちが、「真に存在する」ものになるということなのです。
2001.3.31 第1回エノクの会
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