霊性入門講座

C36 自分を愛しなさい


私はよく「自分を愛しなさい」と言います。「自分に愛を送りなさい」と言います。それは、人間にとって「自分を愛する」こと以上に重要なことはないからです。
 
けれども、私たちの世界において、「自分を愛する」という言葉は誤解されています。あなたは、自分を愛するとは、自分に都合のいいことをすることだと思っていませんか? このごろは「自分をほめる」とか「自分に褒美をあげる」というような言い方もはやっています。それは悪いことではありません。大いに自分を楽しませてあげてください。
 
けれども、本当に自分を愛するというのは、自分に楽をさせてあげることではありません。自分を楽しませるだけのことではありません。それはもっともっと深い意味を持っているのです。
 
もし、いま、子どもが病気になっているとしたら、子どもを愛する親はどうするでしょうか? 病気をそのままにしておいて、おもちゃを買って与えるでしょうか? そうではなく、何はともあれ、まず、病気を治してあげなければ・・・と思うのではないでしょうか。
 
もし、いま、子どもが外から泥だらけになって帰ってきたら、子どもを愛する親はどうするでしょうか。泥をそのままにしておいて、おやつを食べなさい、というでしょうか。まず、お風呂場に連れて行ってシャワーを浴びせ、泥を洗い落とし、きれいな洋服に着替えさせて、それからゆっくりとおやつを食べさせるのではないでしょうか。
 
自分を愛するというのは、それと同じです。「自分を愛する」とは、たとえていえば、「自分をお風呂に入れてあげる」ことなのです。私たちはいま、泥んこ遊びをして、めちゃめちゃに汚れ、自分が何者なのか、泥でできた人形なのか、それともどこかに泥でない部分があるのか、それさえもわからないような状態になっています。お互いに泥の上に泥を塗りたくり、自分のほうがすこしあいつより格好がいいと思ってみたり、互いに泥をぶつけ合ったり、はがしあったりして、大騒ぎをしているのです。
 
けれども、私たちは、本当は泥人形ではありません。本当は美しくスマートな「神の子」なのです。そのことを知って、自分をお風呂に入れ、泥を全部洗い落として、きれいでスマートな本来の姿にしてあげるのが「自分を愛する」ということなのです。
 
私たちが泥んこ遊びをしている泥というのは、いったい何でしょうか。
それは、私たちが意識の中に持ちつづけているネガティブなエネルギーのことです。それは思考や判断の規範であり、感情のしこりであり、あるいはこの地球世界で生きていくために身に着けたさまざまな知識であったりします。私たちの心には、そのようなネガティブなエネルギーの塊が山のように詰まっています。それを全部洗い落とし、美しく透明で光に満ちた心をとりもどしてあげるのが、自分を愛するということなのです。
 
一つだけ、例をあげましょう。私たちは誰でも心の奥深くに、「これだけは絶対に忘れない」というものを、一つや二つは持っているのではないでしょうか。それは、誰かに対する恨みであるかもしれません。幼いときに経験した誰にも理解してもらえない悲しみであるかも知れません。あるいは、自分自身の不甲斐なさに対する怒りであるかもしれません。
 
あなたの心の奥深くを探ってみてください。それは、今では、あまりにも心の奥深くに入ってしまったために、あなた自身、そのことに気づいていないかもしれません。けれども、あなたが「絶対忘れない」と決心したものは、あなた自身でその決心を変えない限り、必ず残っているのです。もし、そのようなものがあることに気づいたら、それを静かに手放してください。それを、心の中で深く抱きしめ、味わい、そのエネルギーのおかげで、ユニークで個性的な人生を体験できたことを感謝してください。それから「それを手放す」ということを、心の中で静かに宣言してください。
 
このようなエネルギーは、持っていると自分も苦しいと感じます。ですから、それを手放すのは自然なことに思えます。けれども実は、私たちは、それを持っていることを力の源泉にして生きていることが多いのです。それは、私たちが、それを忘れることは自分に対する裏切りであるかのように感じるからです。それを忘れないことが、自分に対する誠実さであると思うので、私たちはそれを生きがいにして生きるようになるのです。
 
けれども、そのようなネガティブなエネルギーを持ち続けるのが自分に対する誠実さではありません。それを手放し、洗い落とし、自分を美しくクリーンな姿にしてあげるのが、自分に対する誠実さなのです。なぜなら、ネガティブなエネルギーというのは、本来のあなたにはなかったものだからです。あなたがどこかへ旅行をすれば、道を歩くときにいろいろな埃がついて、衣服が汚れるでしょう。ネガティブなエネルギーも同じです。それは、あなたが地球という仮想現実の世界を旅している間についた埃なのです。
 
注意していただきたいことは、ネガティブなエネルギーを手放すということは、それと同じレベルの別のエネルギーを持ってきてそれを打ち消すことではないということです。それは、悲しみを打ち消すために、その悲しみの出来事を通じて得られたプラスの何かを考えてみたり、後悔を打ち消すために、自分がそのような失敗をするに至った正当な理由を考えてみたりすることではありません。怒りのエネルギーを打ち消すために、復讐が必要だということではないのです。
 
ネガティブなエネルギーを、氷の塊だと想像してください。それを手のひらに載せて、霊の太陽の光の中に差し出してください。そうすれば、氷は溶けてやがて蒸発してなくなります。悲しみは悲しみのままに、怒りは怒りのままに、蒸発してなくなります。
 
ネガティブなエネルギーが消えて行くのに対して、あなたは抵抗を感じると思います。つらい思いをすると思います。それが、悲しみであろうと、怒りであろうと、後悔であろうと・・・それは、あなたがこれまで「絶対に忘れない!」と思っていたものです。それが何であろうと、それはあなたの宝物だったのです。それがなくなるのは、まるで自分がなくなるように感じるでしょう。
 
けれども、それを静かに、優しく、忍耐して、解放してください。そのようにして、あなたの心の中から、ネガティブなエネルギーを解き放っていけば、やがて、あなたはこれまで感じたことのないような活力が、心の中に湧いてくるのを感じるようになります。それは静かな喜びであり、穏やかな充実感であり、美しい光の感覚です。あなたはそれがどこから来るのか理解できないでしょう。けれども、それこそが、「お風呂に入ってクリーンになった心」の状態であり、それがあなたの本来の姿なのです。

2006年9月1日

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