霊性入門講座

C28 外界は暗号の海


私たちは「外界」――つまり、自分のからだの外にある世界――は、それ自体で独立した具体的な存在であると考えています。けれども、一方で、霊的な教えはすべて、「自他合一」「すべてはひとつ」「すべてはあなたの想念の現れである」などと言います。一体どちらが本当なのでしょうか。
 
実は、自他一体の教えを理解するのは、そう簡単ではありません。それは、私たちが「自分」というものを正しく理解していないからです。
 
「自他合一」という言葉を聞くと寂しさを感じる人があります。なぜなら、すべてが自分なら、コミュニケーションをとったり、愛し合ったりする他人がいないからです。すべては自分であるなら、何をしてもいいと考える人もあります。他人がいないなら、誰に対しても責任を取る必要がないからです。すべてが自分なら、どうして世界は自分の思うままにならないのだろうと不思議がる人もあります。「自分」なら、すべて自分の思うままになるはずだと思っているからです。
 
これらはずべて、「自分」とは何かという観念が古いままなので、新しい言葉を理解することができないでいるのです。

ここには、微妙な問題が隠されています。
霊的な教えにも霊的な理解にも、段階がありレベルがあります。一足飛びに高い段階の教えを聞くと、混乱します。理解の一部では高いレベルの言葉を受入れているのに、他の部分では低い段階の観念を持ち続けていると、間違った理解をすることになります。全体のバランスをとりながら、少しずつ高い段階の教えを受け取るようにしていかなければなりません。聖書に、「新しい酒を古い皮袋に入れるな」という有名な言葉がありますが、それは、このようなことを指しているのです。
 
そこで、今回は、あなたの外界とは一体何なのか、他人とは何なのか、という話をしましょう。
 
「すべては自分」というと、他人はいないことになってしまいます。それはある意味で真実です。けれども、それは「自分」という観念がすっかり変わってしまった高い高いレベルの話であると考えてください。いまは、いきなりそこへ行かずに、「他人も外界もある」と考えてください。
 
ただし、私たちは他人についても外界についても、ほんとうの姿を知りません。そして、自分で想像した姿を他人や外界の姿だと思い込んでいるのです。「すべてはあなたの想念である」というのは、このことなのです。私たちが見ている外界、触れ合っている他人、体験している生活、・・・それらはすべて、自分自身の思い込みを体験しているのです。
 
たとえば、あなたが付き合う友達のことを考えてみましょう。他人に関するもっとも根源的な思い込みは、そのひとが「人間である」という思い込みです。「人間である」というのは、その人が、一定の形を持った物体(肉体)であって、よいことや悪いことをし、次第に年をとって、やがては死んでいなくなる・・・というようなことです。

けれども、本当は、あなたのお友達は人間ではありません。では、いったい、何なのでしょうか。
 
天使です。
 
あなたのお友達は天使なのです。
それだけではありません。あなたの敵も天使なのです。どこかの国の頑固な首相も、戦争好きの大統領も、みんな天使なのです。犯罪や事故を起こした人も、その被害者もみんな天使なのです。「天使」という言葉が嫌いなら、ほかの名前で呼んでも結構です。けれども、「人間」という名前だけは避けてください。なぜなら、「人間」という言葉は、あなたの潜在意識にある一つの固定観念を呼び出してしまうからです。
 
実は、あなた自身も天使なのです。けれども、あなたは自分が天使であることを忘れてしまいました。「あなたは天使だ」といわれても、信じられません。自分が天使であることを理解できないので、あなたは、ほかの人が天使であることも理解できないのです。

けれども、それでは、地球は天使たちが集まって、戦争をしたり、殺しあったり、だましあったりしている世界なのでしょうか。
 
実は、私たちは、自分の周りにいる天使たちの本当の姿を見ていません。なぜなら、天使には、決まった姿というものがないからです。よく白いガウンをまとい、大きな羽根を背中につけた天使の絵を見ることがありますが、あれは昔、西洋の誰かが想像して作り出したものに過ぎません。天使には、一定の決まった形はないのです。
 
そこで、私たちは、自分の周りにいる天使の姿を自分で想像して作り上げます。それが、あなたが見ているお友達の姿であり、世の中にたくさんいるよい人や悪い人の姿なのです。

けれども、みんなが天使なら、どうして世界には悪い人がいるのでしょうか。どうして悲惨な事件が起こったりするのでしょうか。

それを理解するために、こんなたとえを考えてみてください。
いま、あなたは目を閉じてオーケストラの演奏する音楽を聴いていると考えてください。あなたは目を閉じていますが、まぶたの内側に、音楽から連想した景色が浮かんでくると考えてください。浮かんでくる景色は、全部自分の心の中にあるものばかりです。それは、いつか実際に見た風景かもしれません。過去世のいつかの記憶かも知れません。よその星の風景を透視して見ているのかも知れません。あるいは、心の中でたったいま作り上げたばかりの架空の情景かもしれません。
 
あなたは、それがどのようにしてできた映像なのかはわかりません。ただ、音楽を聴きながら、そのとき浮かんでくる風景を見ているのです。
 
このようにしてみる心の中の風景は、同じ音楽を聴いても、人によって違うでしょう。たとえば、ベートーベンの交響曲「運命」の出だしの「ダダダダーン」という有名な四つの音は、心の中に戦いのエネルギーがある人には、戦闘の合図のように聞こえるかもしれません。心の中に死への怖れがある人には、それは死神がドアをノックする音に聞こえるかもしれません。心の中に希望があふれている人には、躍進の合図と思えるかもしれません。
 
実は、私たちが体験している生活というのは、これと同じなのです。私たちは、物質世界ではない、霊性の世界で、霊性の音楽を聴き、それによって呼び覚まされる心の中の風景画を見ているのです。その風景画の中に、自分自身が登場します。それがあなたの肉体です。他人も登場します。あなたの肉体は、その他人の姿を現実の存在だと感じ、それを「人間」だと思います。あなたも、風景画の中の自分の肉体が見るものを外界の本当の姿だと思うので、あなたの友達のことを「人間である」と思います。

けれども、あなたの「本当の友達」である天使は、あなたの心の風景画の中にはいません。オーケストラの中にいるのです。その友達は、オーケストラの中で、素晴らしい音楽を演奏しています。あなたの耳には、その友達も含め何億人もの天使が奏でる霊性の音楽が入ってきます。その音楽によって呼び覚まされる映像が、あなたが体験する世界なのです。
 
実は、あなた自身もそのオーケストラの一員なのです。あなたも演奏し、あなたが送り出す音楽を、ほかの天使が演奏する音楽とともに、ほかの天使たちに、そして、あなたの「本当の友達」にも送りとどけています。本当の私たちは、このように、音楽によって交流しあう天使たちなのです。
 
天使には、決まった形というものはありません。天使が奏でる音楽にも形はありません。あなたが目に見る形、耳に聞く音、触って感じる物体・・・それらはすべて、霊性の音楽を聴いてあなたの心が作り出したイメージなのです。
 
では、世界がそのようなものだとして、どうして、あなたの作り出す世界に悪や悲惨さが存在するのでしょうか。あなたは、そのようなものを作り出そうと意識しているわけではありません。それなのに、あなたの体験する世界には、たくさんの悪や不如意が存在します。

それは、あなたの心の中に、そのようなものが存在するからなのです。私たちが体験する世界は、全部自分の心の中から生まれてきたものばかりなのです。先ほどの例で、心に不安がある人には、運命交響曲の最初の音が死神のノックに聞こえたように、もし私たちが体験する世界の中に悪や悲惨さが存在するなら、それは私たちの心の中に、そのようなものがあった、ということなのです。
 
私たちは、意識して、事件の具体的な姿を生み出すわけではありません。具体的に、何人が死亡する列車事故を作り出してやろうか、などと考える人はいません。事件の具体的な姿は、私たちの心の中に渦巻くさまざまなエネルギーの絡み合いによって決まってきます。けれども、もし、あなたの心に、痛みや怖れや怒りを生み出すエネルギーがまったくなかったら、あなたの世界にそのようなものが現れることはないのです。
 
そのような意味で、外界は、私たちの心の中に何があるかを映し出してくれる鏡のようなものです。それは、私たちの心にあるものを何千倍にも何万倍にも拡大して見せてくれます。それは、まるで心の中をのぞく顕微鏡のようなものです。

私たちは、自分の心の中に何があるか、ほとんど気付いていません。私たちの心は氷山のようなものです。氷山の90パーセントが水の下に隠れているように、私たちの心の90パーセントは無意識の中に隠れています。けれども、外界は、それを電子顕微鏡のように拡大して映し出してくれます。
 
夢分析というのをご存知でしょうか。外界は夢に似ています。夢分析では、あなたの夢の中の登場人物はすべてあなたの分身だと言います。たとえば、私は、弟とけんかをする夢を見たことがありますが、それは、現実の弟と仲が悪かったとか、潜在意識的に弟を憎んでいたということではありません。私の夢の中の弟は、私自身の性質の一部を象徴しているのです。
 
それと同じように、あなたが外界に見る人々や事件の姿は、実はすべて、あなたの心の中にある微細なエネルギーのシンボルなのです。これが、私が「あなた自身の心を愛のエネルギーで満たしなさい」という理由です。あなたの心が愛のエネルギーに満たされない限り、あなたの外の世界が愛の世界になることはないからです。
 
外界は、あなたの心がどんなものであるかを伝えてくれるシンボリックな手紙です。暗号によるメッセージです。それは、電子顕微鏡よりももっと強力に、あなたの心を拡大して見せてくれます。そして、もし私たちの心が本当にクリアになったならば、その同じ外界が、霊性の世界で共演される音楽と、それによる天使たちの交流の美しさを描き出してくれるのです。

2006年1月1日

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