C10 フィナーレの始まり
これまで、お話ししてきたことをまとめてみましょう。
唯一つの根源の存在がある。これを神、宇宙、仏性、タオ、大いなる一、ありてあるもの、ワンネス・・・などと呼ぶ。(あるいは、あなたの好きな名前をつけてください。何でも結構です)。
神は、大きさも形もなく、ただ強大な思考能力である。人間は、神が生み出した神の分身であり、神とおなじ強大な思考能力である。神が生み出したものはすべて神の分身であり、神の意識の中に存在する。この神の分身である人間は自由意志を持ち、自分で自分の意識の中に世界を想像し、それを自分の現実として体験する。
人間は神の分身であるから、人間が体験することは、神の体験でもある。神が人間を生み出したのは、無数の人間の体験を神が体験するためである。
人間は、自分を物質でできた肉体であると考え、それによって生じる制約の中で、いかなる世界をつくることができるかという実験(遊び、ゲーム、スポーツ、演劇・・・これも好きな名前をつけてください)をしてきた。
このようにしてできたのが、今の地球世界です。そこには、自分の本性を忘れて、自分を物質でできた肉の塊であると考え、肉体の生活を如何にして快適にするかということだけを考え、そのために地球の資源の奪い合いをする人たちがたくさん生まれました。それが私たちの実験の結果なのです。
けれども、どんな実験にも、どんなお芝居にも終わりがあります。地球はいま、フィナーレのときを迎えています。
地球の実験の終わりとは、私たちが「自分たちが霊であること、つまり、みんなが神の分身であり、無限の能力を持っていること」を思い出すことです。その無限の能力を使って、地球世界をつくりかえるときがきているのです。
このサイトを見に来た人たちは、自分では気づいていなくても、このフィナーレの始まりを告げるファンファーレを心のうちに聴いて、集まってきた人たちです。
次回からは、「水の講座」「火の講座」と題して、どのようにして霊性を思い出して行くかということをお話します。
2005年5月1日