霊性入門講座

C38 心の絵の具


水の講座でお話したことは、ひとことで言えば、私たちが霊性を取り戻すためには、心の中の「汚れ」を洗い落とさなければならない、ということです。
 
「汚れ」と言っても、それは「悪いもの」、「汚いもの」という意味ではありません。それはいわば、カンバスに塗られた絵の具のようなものです。
 
「絵」というものは、カンバスに絵の具を塗ることによって描かれます。その描かれたものを、「絵」として鑑賞するという立場を離れて見たら、それは単にいろいろな色で汚れた布地にしか見えないでしょう。犬や猫にとっては、セザンヌやピカソの描いた絵も、単に汚れた布地でしかないのではないでしょうか。
 
私たちが体験する現実・・・日常の世界・・・は、私たち自身の肉体まで含めて、私たち自身の心が描き出した「絵」です。そして、その絵を描き出している絵の具が、私たちの心の中にあるさまざまな想念や感情のエネルギーなのです。この「日常の現実」を「絵」として鑑賞し続けたいなら――つまり、これまでと同じ世界の続きを体験し続けたいなら――その「絵の具」を心の中に保つことは意味があります。
 
けれども、いま、私たちは霊性を取り戻す、ということに関心を持っています。霊性を取り戻すということは、この日常の現実から離れることであり、そこに別の現実を描き出すことなのです。そうであれば、これまでの絵を描き出してきた絵の具はもはや不要になります。それで、私はそれを「心の汚れ」と表現するのです。「心の汚れ」を洗い落とすとは、これまでの現実を描き出してきた観念や感情のエネルギーを洗い落とすことであり、そうして現れてきたまっさらの心のカンバスの上に、新しい観念や感情のエネルギーで新しい現実を描き出すことです。
 
心の汚れにはいろいろの種類があります。一番わかりやすいのは、さまざまな過去――それは今の人生だけでなく、前世やそれ以前の過去世までも含みます――においてさまざまな出来事を体験したときに、私たちの心に生じたさまざまな感情の燃え残りです。怒り、恨み、恐れ、憎しみ、悲しみ、後悔・・・といった思い出すのも苦しい感情のかけらが、私たちの心にはたくさん残っています。けれども、ふだん、私たちはそれに気づいていません。それは、私たちが、その感情のかけらを「無意識」という倉庫の奥深くにしまいこんでいるからです。
 
倉庫にしまいこんだかけらは隠れてはいますが、その影響は眼に見えない形で、私たちの心に影響を与えます。それが、私たち一人ひとりの「個性」をつくりだしているのです。時には、その感情の燃え残りの影響で、心が自由に動かない、あるいは、ある特定のパターンにはまった思考や感情しか生み出せなくなってしまう場合があります。そのようなものを「心の傷」と言います。身体に傷があると体の動きが制約されるように、心に傷があると心は自由を失います。
 
このような感情や心の傷の奥に、私たちが持っている観念の層があります。それは地球世界という独特の世界を構築するために造られた観念の体系です。その中には、たとえば、人間は肉体という形を持っており、肉体は傷ついたり、死んだりする・・・肉体が死ねば自分は存在しなくなる・・・というような観念の体系があります。
 
実は、さまざまな感情の反応を作り出すのは、この観念の体系なのです。人間は、肉体が死ねば自分は無くなると思うので死を恐れ、死を恐れるので自分に危害を加えようとする人や物事に対して怒りを覚えます。
 
このようにして、この観念の体系とそれによって引き起こされる感情の反応が、私たちが体験する豊かな世界を作り出します。私たちはその世界の中で、悲しみや喜び、愛や恐れ、希望や絶望を体験します。地球世界のあらゆる美しさ、あらゆる醜さを提供してくれたのは、この観念と感情の壮大なシステムなのです。このように見てくると、この素晴らしい観念と感情のシステムは、決して「悪いもの」であるとか、「無意味なもの」である、ということではないことがお分かりいただけると思います。
 
けれども、霊性を取り戻すというのは、この観念と感情のシステムを作り変えることなのです。別の言い方をすれば、地球世界を形作っていた観念と感情のシステムを捨てれば、その下から、霊的世界の観念と感情のシステムが現れる・・・と言ってもかまいません。それは、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたモナリザの絵をエックス線で透視してみると、まったく違う図柄の下絵が描かれていたというようなものです。上にある絵の具を取り去ると、下に隠されていた絵が現れてきます。
 
この観念と感情のシステムは、いわば私たちが体験している世界そのものですから、それを捨てることにためらいや愛惜の情を覚える方もいらっしゃるでしょう。それはそれでかまいません。別に、それが悪いということではありません。それは、たとえて言えば、あまりにも素晴らしい夢を見ていたので、夢から覚めるのが惜しい、というのと同じです。たとえ、その夢の中で、どんなに苦しい失恋の思いを味わっていたとしても、どんなに惨めな死に方をしたとしても、それはやはり素晴らしい夢でした。地球というのは、本当に素晴らしい世界です。
 
けれども、霊性を回復するというのは、やはり夢から覚めることなのです。地球世界を構成してきた観念と感情のシステムは放棄しなければなりません。それが「水の講座」でお話ししてきた「心の汚れを捨てる」ということです。
 
心の汚れを落とすには、いろいろな方法があります。感情の燃え残りや心の傷を癒すには、ふつうの心理学的な方法でも十分効果があります。けれども、地球世界や物質世界の原理を構成する観念の体系については、通常の心理学では歯が立ちません。なぜなら、通常の心理学は、このような観念体系を放棄すべきものだとは考えていないからです。
 
私はこの講座の中で、またこのサイト全体の中で、物質世界の正体は何かということを知的に理解できるように、いろいろのたとえで説明することに重きを置いています。それは、私たちの理性がそれを理解し、さらにそれを受け入れてもよいと思えるようになるまでは、物質世界の観念体系を放棄することは出来ないからです。理解し、それを受け入れることがスタートラインなのです。
 
物質世界が私たちの心の中にあるこの観念体系から作り出される幻想であることを理解し、霊性を取り戻すためには、この観念体系を捨ててもよいと思えるようになったら、自分の意志で、それに取り組むことを始めてください。この講座の中にもいろいろな方法が書いてありますが、どれが一番よい方法だろう、と考えるのはやめてください。
 
どれが一番正しい方法か、と考えると、手段依存症になります。次から次に、手段を探して歩く人になってしまいます。そのような人は、山登りをするのに、歩きやすい靴ばかり探す人のようなものです。この人は、靴は探しますが、靴がひとりでに歩いてくれると思っているので、絶対に自分では歩こうとしません。
 
けれども、霊性回復の山登りは、自分の足で歩かなくてはならないのです。手段に頼るのではなく、心の汚れを洗い流そうとする意志をまず強く持ってください。手段はあくまで手段にすぎません。そのときそのとき、これがよいと感じた方法を使ってください。自分で自分の心の状態を判断することが重要です。頭で判断するのではなく、ハートで感じながら進んでください。自分が主体であることを忘れないでください。何しろ、掃除しようとしているのは他人の心ではありません。「あなたの心」なのですから。

2006年11月1日

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