霊性入門講座

C13 純粋の意識


前回、すべての人が「霊性の権威」だという話をしました。それは、すべての人が、自分自身、霊的存在だからです。

けれども、現在、大部分の人は、自分が霊であるとは思っていません。私達が霊性を回復するための最初のハードルは、この「私は霊ではない」という無意識の思い込みを捨てることです。これから、しばらくのあいだ、そのことに焦点をあてて、いろいろなお話をしたいと思います。
 
現在、地球に住んでいる人は、ごく少数の人を除き、次の二種類のどちらかに分類できると思います。

第一の分類は、「自分は肉体である」と思っていて、「肉体が死んだら、何もなくなる」と思っている人です。これは、いわゆる唯物論者といわれる人たちです。

第二の分類は、同じように「自分は肉体である」と思っていますが、肉体が死んだあと、「魂が残って、死後の世界と呼ばれるところに行く」と考えている人たちです。おそらく、この方が普通ではないかと思われます。一見唯物論者と見える人でも、肉体が死んだあと、まったく何もなくなる、自分というものがまったくなくなってしまうということについて、徹底して考え抜いて、信じている人はそう多くはないようです。理性では、何もなくなるということを比較的容易に受け入れていますが、感情あるいは心情としては、なんとなく魂の永遠性のようなものを信じている、あるいは期待している、というのが普通ではないでしょうか。
 
けれども、世界の真実はこのどちらでもありません。私たちは肉体ではありません。いかなる物質的存在でもありません。現在すでに「霊」なのです。先ほど取り除いた「ごく少数の人」というのは、このことに気づいている人たちのことです。気づいても、すぐに何かが変わるわけではありませんが、「肉体が自分ではない」ということが心と体にしみこんでくると、次第にこの世の出来事に対する反応の仕方が変わってきます。それが霊性を取り戻すための第一歩なのです。
 
では、私たちが「現在すでに霊である」というのは、どういうことなのでしょうか。
それは、人間が「純粋の意識である」ということです。私は「意識」という言葉が好きなのでそう言いますが、「意識」という言葉になじめない人は「心」といっても「魂」と言ってもかまいません。それは、要するに二つのことを意味しています。一つは「物質ではない」ということであり、もう一つは「考えたり感じたりする能力がある」ということです。

実は、人間というのは、この「考えたり感じたりする能力」そのものなのです。人間が「考えたり感じたりする能力」をもっているのではありません。この「能力」そのものが人間なのです。ですから、それは物質ではないし、斬っても刺しても、それを殺すことはできないのです。

「意識」「心」「魂」などというとき、私たちは暗黙のうちに「それを持っている何か」を想定しています。

唯物論者たちは、「意識」や「心」は、肉体の脳が生み出す現象であると考えています。したがって、肉体が死んでしまえば、意識も心もなくなるはずだと考えるのです。

肉体の死後に「魂」が生き残っていると考える人たちは、肉体という乗り物に「魂」が乗り込んでいると考えています。つまり肉体と魂は別のものだと考えているわけです。
 
けれども、この「考えたり感じたりする能力」は、肉体が生み出すものではなく、肉体に乗り込んでいるものでもありません。「考えたり感じたりする能力」が「肉体がある」と考えたから、肉体があるように感じるのです。誰が感じるかというと、それもこの「考えたり感じたりする能力」が感じているのです。
 
私が「純粋の意識」という言葉を使うのはこのためです。何かが意識を持っているのではなく、純粋に意識だけが存在していて、それがあらゆるものを描き出し、それを実在であるかのように感じているのです。このカラクリがお分かりになるでしょうか。
 
次回まで、ゆっくりと、このことを考えてみてください。 

2004年10月1日

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