霊性入門講座

C24 どうしたらいいですか


私は「物質世界は夢だ」と言います。すると「夢から覚めるには、どうしたらいいですか」と尋ねる人がいます。私は「夢から覚めるには、心の中の固定観念を捨てなさい」と言います。すると「固定観念を捨てるには、どうしたらいいですか」と尋ねる人がいます。
 
確かに、私たちは、何をするにしても、「どうしたらいいですか」という質問をよくします。
 
この質問自体は、別に問題ではありません。けれども、この質問の裏に、ひとつの問題が隠されています。それは、現代の私たちが、ある方法を実行すると自動的に結果が得られる、という考え方に慣れてしまっている、ということです。

大阪にいる人が東京に行きたいと思います。
 「どうしたらいいですか」
 「新幹線に乗りなさい」
そこで、その人は新幹線に乗ります。すると、その人は黙って座っていれば、自動的に東京に着きます。私たちは、万事、このような状況に慣れ親しんでいるのです。


昔の人はそうではありませんでした。大阪の人が江戸に行きたいと思います。
 「どうしたらいいですか」
 「東海道をまっすぐに東に向かって歩きなさい」
その人は東海道に出ます。けれども東海道は、新幹線と違って、じっと立っていても江戸に運んではくれません。その人は、自分の足で歩かなければならないのです。歩いて、歩いて、歩いて・・・・・何日も、何週間も歩き続けて、やっと江戸に行くことができたのです。
 
現代では、新幹線でも、飛行機でも、黙って座っていれば、本を一冊読み終わらないうちに、東京についてしまいます。私たちは、そのような生活に慣れきってしまいました。「どうしたらいいですか」という質問の背後に、私たちは、霊性を取り戻すにも、何かうまい方法があって、その方法を実行すれば、自動的に霊性を取り戻すことができるはずだ、と期待するような、「手段に対する依存心」を無意識のうちに持っています。
 
この講座を読む人は、このような「手段に対する依存心」を捨ててください。霊性に帰るための新幹線はありません。飛行機もありません。けれども、道は通じています。私たちは、昔の人が大阪から江戸に向かって歩いたように、霊性に通じる道を、自分の足で歩かなければならないのです。
 
 霊性を取り戻すために、最も重要なのは、意思です。方法も手段も、ある意味ではどうでもいいのです。
 
前回、自分の心の内面に注意を向ける、ということをお話しました。けれども、これも、このようにすれば誰でもこのようになる、という決まった結果が得られるわけではありません。自分でトライして、その結果を自分で判断して、ゆっくりと、しかし、絶対に目的をやり遂げるぞ、という意思を持ち続けて、取り組んでください。
 
今回はその続きを少しだけ、お話します。
もし、心の内面に注意を向けたとき、何かの感情が動く場面に遭遇したら、ただ黙って、その感情をじっと味わってください。たとえば、それが誰かに対する怒りであったとしても、現実の世界でその人に仕返しをしようなどと考えないでください。なぜなら、その怒りの「誰かに対する」という部分は嘘だからです。

あなたの心の中には、消化されていない怒りの感情が残っていました。だから、怒りを感じるのです。けれども、エゴの理性は、相手のいない怒りを感じることができません。そこで怒りを感じるためのストーリイを作り上げます。「誰かに対する」という部分は、このようにしてつくりあげられた架空のストーリイなのです。

その怒りの本当の原因は、前世か、前々世か、あるいは、もっともっと昔の人生に起こった出来事かも知れないのです。いまさらその原因を追究しても、何の意味もありません。必要なのは、燃え残っている怒りの感情を静かに燃やしてあげることです。火薬は、狭い場所に閉じ込めて火をつけると、激しい爆発を起こします。けれども、広い場所にひろげて燃やすと、穏やかに燃えます。感情のエネルギーも同じです。感情に抵抗せずに静かに味わってあげると、感情は静かに燃えて、エネルギーが解消していきます。
 
このようにすれば、あなたの心の中から、一つの宝物(ガラクタ)が消えていきます。それは、地上の長い長い転生の歴史の中では宝物でした。けれども、これから霊性に帰るためには、必要がなくなったガラクタです。あなたはこれから、霊性へ通じる長い長い「霊街道」を歩かなければならないのです。役に立たないものはみんな捨てて、荷物を軽くしましょう。
 
過去を振り返ると、荷物を捨てるのがつらくなります。目は、はるか前方に、向けていてください。それをするのが、あなたの意思です。霊性の世界へ帰るという強い意志を持ち続けてください。

2005年9月1日

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