霊性入門講座

C18 世界の誕生


今回は、最も根源的な存在から、どのようにして世界が生み出されたか、ということをお話します。話の中で何度も「最も根源的な存在」というのはわずらわしいので、簡単に「神」という名前を使うことにします。
 
前回、私は、神にはいかなる形もないし、いかなる性質もない、といいました。けれども、これでは先に進めませんから、神はどんなものであるかということについて、人間の言葉の中で、神を描写するのに最も適していると思われる言葉を使います。
 
神を人間の言葉で表現するなら、それは「巨大な心である」というのが、最も適切だと思います。「巨大な」といっても「心」というものには、大きさも形もありません。それは純粋の思考能力だからです。それは人間の心とは比較にならない強大な能力であるという意味で「巨大な」という言葉を使います。
 
神が心を持っているのではありません。心自体が神なのです。神は純粋の思考能力です。そして、思考したものを具体的に感じることができる感受能力です。
 
神が世界を創る前には、時間も空間もありません。何もないところに、この強大な心だけがあったと考えてください。心には、大きさも、形もありませんから、それが存在するためには、時間も空間も必要ないのです。
 
この巨大な心は、何もしなければ退屈してしまいます。何しろ、自分以外には何も存在しないのですから、自分が何かをしなければ、何か事件が起こるということもないからです。心にとってできることは想像することだけです。そこで、この巨大な心は、いろいろなことを想像することにしました。
 
およそ何か事件が起こるとしたら、いろいろなものがあって、互いに作用しあうことが必要です。そこで、神はまず自分を二つに分裂させました。陰陽、正負、男性性と女性性・・・さまざまな言葉が使われますが、これが神が世界を作り出すための最初の原動力です。唯一の存在である神が、互いに作用しあう二つの部分に分かれることによって、そこからさまざまなものが生みだされ、さまざまな「事件」が起こるようになってくるのです。
 
といっても、神が二人になったわけではありません。これらの相反する原理は、神そのものである巨大な心の中に描かれた二つの想念であって、その相互作用によって生み出されるさまざまな事件も、すべて巨大な心の中の想念のひとつなのです。

それは、想像力に富んだ小さな女の子が心の中で楽しいお話を考えるのと、原理的には何も変わりません。考えられた物語は、すべて女の子の心の中にあります。神が考えた物語も、すべて、神の心の中にあります。ただ、神と女の子の違いは、神の心の力は途方もなく大きいので、途方もなく広大な物語を考えることができ、そして、その中に生み出されたいろいろなものが、自由意志を持って、自分でまた新たな物語を生み出していくことができるようにすることができた、ということです。
 
自由意志を持って自分で物語を作り出していく存在というのは、いわば、神の分身です。神は、自分の心の中に、自分の分身をたくさん生み出しました。この分身はまた自分の心の中にさまざまなものを作り出します。その中には分身の分身もあります。この分身の分身もまた想像力を働かせて、自分の心の中に新しい世界を作り出します。その中には分身の分身の分身もいます・・・・・。
 
このような心の階層構造がどのくらい重なっているのか、私も知りません。けれども、その中のどこかに、私たちがいるのです。私たちは、神の分身の分身の分身の・・・・そのまた何代目かの分身なのです。私たちが思考することができ、想像することができ、自己という意識を持ち、世界を感受する力を持っているのは、私たちが神の分身だからです。私たちも神の創造能力を受け継いでいるのです。
 
私たちは、神の心のかけらのようなものですから、神は私たちのことをすべて知っています。けれども、神は私たちを細部までこまかくコントロールすることはありません。神は私たちに自由意志を与えているからです。私たちは、自分の意思で自分の性格を作り、自分の人生をつくり、そして、性格と人生の相互作用によってさまざまな体験を作り出します。私たちが作り出し体験することのすべてを神は感受します。私たちがそのような体験を無限に作り出し、それを神が感受することが、神が私たち分身を生み出した目的なのです。
 
神は巨大な心です。その巨大な心は、絶え間なく燃え続ける炎のように、生命の無限のバラエティを描き続けています。その炎の中の一つ一つの分子反応―――それが私たちなのです。
 
神の心の中に生み出された神の分身たちは、神と同じように無限の力を持っています。私たちも無限の力を持っています。私たちは、今の私たちの姿からは想像もできないような、力をもった存在なのです。それが、なぜ、今のような、制約の多い無力な存在になっているのでしょうか。次回は、そのことについてお話します。
 
最後に、世界の創造神話について一言触れておきます。世界がどのようにして始まったか、ということについて、世界には大きく分けて二種類の神話があります。一つは神が世界を創ったという神話であり、もう一つは世界は自然に生まれたという神話です。初めのほうを創造説、あとのほうを化成説と呼びましょう。

二種類の神話は、世界に対するまったく異なる考え方を示しているように見えます。けれども、私はこれらの二種類の神話は、表現の仕方が異なるだけで、同じことを言っているのだと考えています。なぜなら、世界というものは、神の心の中の想念だからです。 あるアイデアを私が思いついたとき、「私がそのアイデアを考えた」と言うこともできるし、「そのアイデアが私の心に浮かんだ」と言うこともできます。創造説と化成説の違いは、その程度の違いに過ぎません。あらゆる存在は、実は神の心の中の想念であり、しかも、その想念の一つ一つが、自分の意志によって、自らの体験する世界を作り出していくのです。

2005年3月1日

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