霊性入門講座

C30 マスターとして生きる


思えば長い長い旅でした。人類が自分の本性を忘れ、霊性を失ったものとして歩んだ放浪の旅・・・それは、私たちの物質世界の時間で測れば、何万年、何十万年あるいは何百万年にもなるでしょう。
 
この旅路を、多くの宗教は、人間の堕落や過ちあるいは罪として語ります。聖書にあるたとえで言えば、私たち人類は、父なる神の遺産をもらって娼婦の家に行き、そこで財産を使い果たすまで遊び暮らした放蕩息子ということになっています。
 
けれども、私はそうは考えていません。私たちの旅路は「放蕩」という名で呼ばれるような「悪事」ではありません。それはむしろ私たちの「大いなる愛」の表れだったのです。なぜなら、私たちは、「霊性を忘れた存在はどのようになるか」ということを描いて見せるために、わざと自分の本質である霊性を忘れたからです。そして私たちは、その「放蕩」の場所となることに同意した地球という名の惑星の上で、思う存分に、それぞれの自由意志を駆使して、霊性を忘れた存在の姿をあらゆる角度から描き出して見せたのです。
 
それは、人間の作家が人間の本性をえぐりだして見せるために、作品の中に極限状態を作り出すのと同じです。霊的存在が何かを描いて見せるとき、それは自分自身の人生そのものを素材にした「実演」を行います。ですから、それは、私たち人類自身にとってだけでなく、地球にとっても、地球の上に住む他の生き物たちにとっても、とても厳しいドラマでした。私たちは「霊性喪失症」という病気はどんなものかを示すために、自らその病気になって見せたのです。これが「愛」でなくて何でしょう。
 
「放蕩」そのもの――私たちがこの地球でたくさんの闇の世界をつくりだしたことそのもの――が「愛」であったというこの考えは、おそらくどの宗教の指導者も言わないような考えだと思います。けれども、私はそう確信しています。なぜなら、人間は本来神の分身である完全な存在だからです。完全な存在が堕落するというような考えは、そもそも「完全」という言葉の定義に反しています。人間が自らの本性である霊性を忘れたのは事実です。けれども、それは「誤って」忘れたのではありません。私たちは「大いなる愛」のゆえに、わざと霊性を忘れて見せたのです。
 
霊的存在であった私たちは、自分の本質である霊性を忘れはしましたが、だからといって、霊的存在でなくなったわけではありません。私たちは決して霊性を失うことは出来ません。私たちは今でも霊的存在であり、そして、大いなる愛の存在なのです。ですから、これから私たちがなすべきことは、霊性喪失症を描いて見せるために使ったその「大いなる愛」を、今度は霊性喪失症から立ち直るために使ってみせることです。もしあなたが、このことを理解し、そして同意なさるなら、今から「マスターとして」この地上で生きることを始めてください。
 
「マスター」とは、霊性を思い出した人のことです。「マスターとして生きなさい」というと、「私はまだマスターではない」と思う人があるかもしれません。けれども、それでいいのです。
 
今月はちょうど成人式の月です。日本では、人はみな20歳になると成人式をして、その日から大人として扱われ、大人として生き始めます。けれども、人間は20歳になったときに突然大人になるわけではありません。お酒を飲んでいいといわれても、突然お酒に強くなるわけではありません。選挙権があるといわれても、突然政治のことがわかるわけではありません。それでも、私たちは20歳になると大人として扱われ、自分も大人だと自覚して生き始めます。
 
マスターも同じです。このサイトを読み、このサイトに共鳴し、自分も霊性を取り戻そうと決意した人は、マスターとしての成人式をしたのです。その日から、宇宙によって、マスターとして扱われます。あなた自身もマスターであるという自覚を持って生活し始めてください。
 
マスターはどのように生活したらいいのでしょうか。マスターのすることは、以前と少しも変わりません。もしあなたが専業主婦であったら、毎日料理をし、家族を仕事や学校に送り出し、掃除をし、洗濯をし、ペットの世話をします。もしあなたが、銀行の窓口係であったら、毎日毎日、違うお客さんに対して同じような事務作業をします。
 
けれども、もしあなたが本当にマスターであるなら、あなたのする仕事はほかの人がする仕事とは違っています。マスターの仕事は、「何をするか」が違うのではなく、それを「どのようにするか」が違うのです。もしあなたがマスターであるなら、あらゆる瞬間に「愛」をこめてください。あらゆる仕事に「愛」をこめてください。あなたが接するあらゆる人に「愛」を与えてください。
 
マスターとは、ありとあらゆる場面において、ありとあらゆる人に対し、また、ありとあらゆる生物・無生物・出来事に対して、「愛」をもって応える人のことです。絶えずまわりに祝福をばら撒く人です。それをすぐに言葉や行為に表す必要はありません。ただ、心の中で絶えず、周りのすべてに対して――そして自分自身に対して――「愛」と「祝福」の気持ちを持ち続けてください。あなたの心の中が愛と祝福で満ちあふれていたら、いずれそれは外に表れます。それが外にどのように表れているかを気にする必要はありません。ただ心の内側で、すべての人、すべての物事に対して、無条件に、無差別に、祝福を送り続けてください。愛のエネルギー、生命のエネルギーがすべての場所、すべての時に満ちあふれるように祈り続けてください。それが、マスターとして生きるということです。

2007年1月1日

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