霊性入門講座

C26 想念を解放する


これまで、私たちの心の中にはさまざまな「宝物」、別の言い方をすれば「ごみ」、があることをお話してきました。それは、私たちがこの地球の上で生活したときに体験したさまざまな事件の記憶であり、その事件に伴う感情の燃え残りであり、そのような経験に基づいてつくられた「世界に対するイメージ」などです。それには、今の人生で作られたものだけでなく、過去に何百回も地球の上に生まれ変わったときにつくられた想念がすべて含まれています。

このような「想念」の大量の蓄積が私たちの心の性癖を作っており、私たちはそれに基づいて世界に対して反応し、その反応の結果生じる新しい感情や新しい考えを、過去の想念の蓄積に加えていきます。
 
一人一人、心の中に溜め込んでいる想念は違いますから、外界から同じ刺激を受けても、すべての人が同じ反応をすることはありません。一人一人、自分の心の性癖に従って反応し、そしてみんな、自分の反応がいちばん妥当なものだと考えています。それは、ある意味では正しいといえます。なぜなら、人はみな、自分が持っている想念の集積に対して反応しているからです。みんな、自分の想念に対して、もっとも適切な反応をしているのです。
 
このような想念の集積は、私たちが地球という世界を体験するためには、なくてはならないものでした。それは、私たちが自分の想念を体験する存在だからです。私たちは地球という世界に住んでいると思っていますが、本当は「地球という世界に住んでいる」という想念を体験しているのです。したがって、私達が「地球世界の想念」を持たなかったら、決して地球世界を体験することはなかったでしょう。
 
私たちが「地球世界の想念」を持ち、それを体験しているということ自体は、何も問題ではありません。けれども、もし私たちが霊性を回復しようと思うなら、「地球世界の想念」は放棄しなければなりません。霊性を回復するということは、「自分が霊的存在である」ということを思い出すことであり、「霊的存在が持っているあらゆる能力を取り戻す」ことであり、それは、人間が「肉体という物質の塊であって、高々100年ほどしか生きられない」とする「地球世界の想念」とは相容れないものだからです。
 
そのために、私は、物質世界という現実が実は自分の持っている想念の投影に過ぎないこと、それらの想念を捨てることができること、捨てる必要があることを、お話しして来ました。皆さんも、そのことは理解されたと思います。
 
けれども理解しただけでは、想念を捨てたことにはなりません。たとえて言えば、私たちは、家の中にある家具や壁紙や絨毯を「家の作り付けだから変えられない」と思い込んでいた人のようなものです。誰かが、それらは皆、取り替えてもいいんだよ、と教えてくれました。けれども、いくら家具を取り替えてもよいということを理解したとしても、実際に取り替えなかったとしたら、私たちはいままでと同じ環境に住み続けることになります。実際に壁紙を張替え、家具を取り替えた人だけが、新しい環境に住むことができるのです。 
霊性回復も同じです。いくら想念を取り替える必要性を理解したとしても、実際に取り替えなかったら、相変わらず今までと同じ世界に住むことになります。

なぜ、理解しただけでは想念を捨てることができないのでしょうか。それは、私たちが、これらの「地球世界の想念」と感情的に結びついているからです。
 
もし、私たちが想念というものを理性的な思考として持っているだけであったら、「この想念は捨てることにしよう、こちらの考えを真実だとすることにしよう」と考えれば、すぐに想念を入れ替えることができたはずです。けれども、実際には、そうはなりません。それは、私たちが持っている想念が、感情という絆で、私たちの心の中に、深く深く根を張っているからです。
 
皆さん自身、経験があるのではないでしょうか。「いくら忘れようとしても忘れることのできない記憶」というものを、誰でも、一つや二つは持っているのではないでしょうか。逆に、あまりにも強烈なショックだったために、心の奥深くにしまいこんで、絶対に思い出さない人もあります。けれども、それはなくなったわけではありません。心の奥底から、じわじわと得体の知れない影響を及ぼし続けます。それでも、そのひとは、自分ではそれに気づかないのです。私たちの心は、理性の力だけではどうにもならない部分を持っています。
 
それを、ここでは「感情によるつながり」と呼んでおきます。「感情によるつながり」は、個人的な事件の記憶に起こるだけではありません。純粋に科学的な客観的な知識と思われるものについてさえ、私たちは感情によるつながりを持ちます。

一つの例をお話しましょう。普通、私たちは、空間の大きな広がりの中で、時間の経過と共に、いろいろな事件が起こっていく、という考え方になじんでいます。ところが最近になって、最先端の物理学者たちは、空間や時間が本当は存在しないのではないか、と疑い始めています。それは、そのような「入れ物」を想定してしまうと、どうやっても完全な整合性のある理論が作れないらしい、ということに物理学者たちが気づいたからです。そこで、時間や空間の実在性が疑われ始めているのです。けれども、そのことに関わっている物理学者自身がこういっています。
 「時間も空間も無くなったら、どんな気分がするかって? そりゃ、大いに不安だね。そうなったら、われわれは、一体、いつ、どこにいることになるのかね。」(『無の科学』、K.C.コール著、大貫昌子訳、白揚社)
 
このように、私たちが、いろいろな想念に「感情によるつながり」を持つのは、私たちが地球世界を体験するために、それが必要だったからです。
 
そこで、私たちが、「地球世界の想念」を解放し、その呪縛から離れるためには、このような「感情によるつながり」を断ち切らなければなりません。そのための、簡単な方法を以下にお話しします。

いま、簡単な方法と言いましたが、それは「感情によるつながり」を断ち切ることが簡単だという意味ではありません。方法が簡単だということです。実際に、感情によるつながりを断ち切ることができるかどうかは、この方法をあなたがいかに心の深いところで行うことができるかどうかによっています。自分の心の反応を感じながら、やってみてください。
 
静かな部屋で、ゆっくりとリラックスして、椅子に座り、目を閉じてください。できるだけゆっくりと呼吸をしながら、意識を胸の奥に向けてください。私たちの意識は、いつもはたいてい頭のほうにあります。それは、私たちが絶えず何かを考えているからです。その意識を胸のほうに向けてください。そして、胸の奥でかすかなエネルギーがゆっくり流れているのを感じてください。何も感じられなくても、かまいません。感じているつもりになって、穏やかな少し暖かいエネルギーがゆっくりと胸の中を動いている様子を想像してください。
 
人によっては、これだけで、呼吸がせわしくなったり心臓がどきどきすることがあるかも知れません。もし、そうなったら、そのまま逆らわずに、呼吸や心臓のどきどきを聴いていてください。そして、肺や気管や心臓を心の中でそっと抱きしめてあげてください。何も言う必要はありません。何も判断せず、何も考えず、理由も原因も追究せず、ただありのままの状態を抱きしめてあげてください。そして、数分したら、これ以上先に進むのをやめて、ゆっくり普段の生活に戻ってください。 

このようなことを、毎日数分間ずつ続けてください。そのうちに、胸の奥に意識を向けても、どきどきしなくなります。そうしたら、次のステップに進んでください。
 
次に過去の自分を思い出してみてください。「何歳」と具体的に指定して、そのときの自分になったつもりになってみてください。

たとえば、生まれたばかりの0歳のあなたになってみてください。おそらく、自分では何も覚えていないでしょう。後になって、「あなたは赤ちゃんのときこうだったのよ」とお母さんから教えられたことが、いくらかは記憶に残っているかも知れません。覚えていてもいなくてもかまいません。いま、あなたは0歳の赤ちゃんとして、ベッドに寝ていると思ってください。赤ちゃんになって、周りの音に耳を澄ましてください。気分はどうですか。穏やかで、安心した気分でしょうか。それとも不安でしょうか。心臓がどきどきしていますか。0歳の自分を心の中でそっと抱きしめてください。お母さんが赤ちゃんに添い寝するように、0歳のあなたに、あなた自身が添い寝してあげてください。数分で結構です。0歳の自分になったとき、自分の心に起こる変化に気づいてください。感情の匂いに気づいてください。そして、それを静かに穏やかに味わい、やさしく抱いてあげてください。それから、穏やかにそこを離れ、普段の生活に戻ってください。

このようことを、いろんな年齢の自分に対して行ってください。そのうちに、何か具体的な出来事が強く思い出されるかも知れません。そしたら、その場面を心の中に思い浮かべて、その状況を同じように穏やかに抱きしめてあげてください。あるいは、過去世の記憶と思われるものを鮮明に思い出すかも知れません。そうしたら、それも同じように、心の中でゆっくりと味わい、穏やかに抱きしめてあげてください。そのような出来事が心に浮かんできても心臓がどきどきしないようになるまで、何度もその場面を思い浮かべて味わい、その出来事に「添い寝」してあげてください。
 
思い出した出来事は、実は、実際にあった出来事ではないかも知れません。重要なことですから、このことには十分注意してください。世間には、たくさんの「過去世の記憶」の本があります。それらは、多くの場合、それが現実にあった出来事の記憶であることを証拠を挙げて証明しようとします。けれども、心の問題として重要なのは、「私たちの心にどんな想念があるか」であって、それが「現実化した想念か、想念の世界にとどまったままの想念であるか」は問題ではないのです。思い出した出来事が全部この三次元世界で実際にあった出来事だと思い込んで、そちらのほうに注意を向けると、対応を誤ることになります。私たちが解放しなければならないのは、三次元の現実ではありません。心の中の想念なのです。思い出したことが全部夢や妄想であったとしても、何も問題ではありません。三次元世界に現実化したものだけが重要であると考えることこそ、私たちが最初に破棄しなければならない妄想なのです。
 
このようにして、心の中のいろいろな想念に気づき、それを思い出したときの感情や体の反応に気づいてください。そして、激しい反応が起こらなくなるまで、それを繰り返し抱きしめてあげてください。
 
その次には、そのような想念をあなたが手放して、「宇宙の魂」のもとへ送り返すことを想像してください。宗教を信じている方なら「神」や「阿弥陀仏」のもとへ送り返すことを想像してみてください。心の中で、そのような記憶や、感情の燃えさしや、理論や知識のかけらを、きれいな箱に入れ、リボンをかけて赤い風船をつけ、それが高く昇って、宇宙の魂のもとへ帰っていく姿を想像してみてください。心の中にまた強い反応が起こるかも知れません。親しい人と別れるときのような胸の痛みを感じるかも知れません。その感情を穏やかに抱きしめながら味わってください。そのような反応が起きなくなるまで、何度も繰り返し、その場面を想像してみてください。
 
このようにすることによって、私たちは少しずつ、いろいろな想念に結びついた感情の絆を解放してゆくことができます。毎日数分で結構です。一度に頑張ってたくさんの成果をあげようとしないでください。無理をすると反作用が起こります。ゆっくり、あせらず、静かに、穏やかに進んでください。半年もたてば、少し心が軽くなったような気分がするのに気づくことができるようになります。

2005年11月1日

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