霊性入門講座

C22 心の中の宝物


私たちの心の中にはたくさんの宝物があります。それは、山のように積み上げられています。私たちは宝物の山に埋まって、窒息しそうになっています。

その宝物とは・・・・・・私たちが、これまでに過ごしたたくさんの人生の中で見つけたり、作り出したりして、自分のものにしてきたさまざまな経験や知識や信念の蓄積です。いろいろな出来事に際して抱いた感情のエネルギーの痕跡も、心のあちこちに残っています。
 
それはまるで、本棚の片隅にひっそりと並んでいた本の、ページの間に挟まっていた一枚の花びらのようなものです。それは、色あせ、乾いて、さわれば粉々になってしまいそうですが、その一枚の花びらが貴重な思い出を思い出させてくれます。それは転校していった少女が別れにくれた押し花だったでしょうか。それとも、遠くの大学に行って、それきり別々の人生に進んでしまった少年とのあいだの、つかのまの幼い恋のしるしでしょうか。
 
私たちの心の中には、このような宝物がたくさん詰まっています。それは、いまの人生によって作り出されたものばかりではありません。私たちは皆、これまでに、何千何万という人生を経験してきたのです。地球の上だけではありません。私たちは、地球に来る前には、どこか別の星、別の銀河、別の宇宙で、いまの私たちには想像もできないような人生を生きてきたのです。
 
現在の私たちは、そのような過去世の具体的な状況を思い出すことはほとんどありません。けれども、そのようなたくさんの人生で経験したことはすべて、私たちの心の中に記憶され、蓄積され、それが現在の私たちの個性を形作っているのです。
 
それは、スポーツの場合と同じです。サッカーでも、卓球でも、バレーボールでも、ゴルフでも、何でもかまいません。いま何かの試合をしている最中に、過去の試合のことを思い出している人はほとんどいないでしょう。私たちは、現在の試合に集中しなければならないので、過去の試合のことを思い出している暇はないのです。けれども、その忘れてしまった数々の試合で経験したことのすべて、成功したこと失敗したことのすべてが、いまの試合における私たちの行動の基盤になっているのです。
 
私たちの心の中には、このような宝物が山のように積みあがっています。私たちはこの宝物の山に埋まってしまい、いい意味でも悪い意味でも、それに縛られ、それによって突き動かされています。私たちが、喜びや苦しみを感じるのも、怒りや怖れを感じるのも、希望や絶望を感じるのも、すべてこの宝物の山に支配されて、起こっているのです。 雨水に侵食されて山の斜面に溝ができると、水がその溝ばかりを通るようになり、溝がますます深くなっていくように、私たちの心のエネルギーはこの宝物の山の形に沿って流れるようになっています。そして、それが山の形をますます深く確固としたものしていき、そのために、私たちは、それ以外のあり方など想像もできないようになっているのです。
 
この心の中の宝物の山は、これまで、私たちのそれぞれの個性を作り出し、個性的な数々の人生を経験させてくれました。悲しみに満ちた人生に価値がないわけではありません。恐怖と苦痛に満ちた人生が悪いというわけではありません。私たちは、この地球の上で、わざわざ大金を費やして暴力映画を作り、恐怖映画をつくります。そして、それを大勢の人が、わざわざお金を払って見に行きます。それはなぜでしょうか。それはそのようなものを見たいと思うからです。見る価値があると思うから見に行くのであり、見に行く人が大勢いるので、そのような映画がつくられるのです。

それと同じように、私たちは、この地球の上で、喜びの人生ばかりではなく、悲しみの人生や苦しみの人生も数多く作り出して体験してきました。それは、そのようなものを体験したいと思ったからです。そして、そのような人生を数多く作り出してくれたのが、この心の中の宝物の山でした。
 
けれどもいま、もしあなたが霊性を取り戻すことに関心を持っておられるなら、この宝物の山を見直さなければなりません。必要なら、この山を掘り崩し、平らにし、溝の形を変えなければなりません。

それは、これまでの私たちにとっては、大切な宝物でした。けれども、それは子どもが集めた貝殻や色ガラスのかけらのようなものです。


あなたが中学生になったとき、お母さんからこう言われなかったでしょうか。
 「あなたも、もう、中学生になったのだから、お部屋を少しかたづけたらどう? この石ころはなあに? 捨てなさいよ。」
 「だめだよ、それ。キャンプに行ったときに川で拾ったんだよ。犬の形をしているだろ。」
 「この貝殻は?」
 「あ、それは、○○さんが海に行ったとき見つけたって、くれたんだよ。」
 「じゃあ、このボタンは?」
 「幼稚園の紺色のスモックのボタンだよ。お母さんはあれを捨てちゃったけど、あの服、気に入ってたんだ。」
 「もう・・・・勝手になさい。」
お母さんは溜め息をついて出て行きます。
ボクは、じっと手のひらの中のボタンを見つめます。服が好きだっただけではありません。あの服には、「となりの美代ちゃん」の思い出もまつわっているのです。
 「でも・・・・持ってても・・・・しようがないかなあ。」
 
こどもが集めた宝物が大人の目にガラクタに見えるのは、大人が、本物の宝石や、本物のボヘミアンガラスの美しさを知っているからです。隣の美代ちゃんとの幼い恋の思い出も捨てがたいものですが、大人の世界にはもっと深い、もっと美しい、もっともっと大切な愛の世界があることを、大人は知っているからです。
 
もしあなたがいま、霊性に関心を持っておられるなら、あなたは、霊性の世界には、人間の世界で体験したよりも百倍も千倍も深く美しい、光と愛の世界があることを、うっすらと予感しているのです。
 
巣立ちの時期を迎えたひな鳥が、限りなくひろがる青空を、耐え難いような憧れと、そこへ飛び立つ運命の予感を持って見上げるように、あなたはいま、そこへ飛び立つ運命を予感しながら、霊性の世界の果てしない青空を見上げています。
 
私たちがこれまでに心の中に積み上げてきた宝物の数々・・・・それは、これまで、私たちの個性を形作り、数々の個性的な人生を体験させてくれました。けれども、いまは、その宝物を思い切って捨てるときです。そこに心を残さないでください。身体にいろいろな荷物をくくりつけていたら、大空に飛び立つことはできません。
 
けれども、この宝物の山は、いままで私たち自身の一部だったのです。そう簡単に、乱暴に、切り捨てるわけにはいきません。次回からは、この宝物の山をどうやって始末するかという話をしましょう。

2005年7月1日

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