霊性入門講座

C34 善悪を超える


聖書の中に書かれたエピソードの中には、クリスチャンでない人でも知っている話がたくさんあります。「天地創造」や「ノアの洪水」の話なども有名ですが、アダムとイブが、悪魔が化けた蛇にだまされて禁断の木の実を食べ、エデンの園から追い出されたという話も、その一つではないでしょうか。
 
アダムとイブが食べた木の実は、禁断の木の実と呼ばれたり、知恵の木の実と呼ばれたりしますが、聖書の中では、正確には、「善悪を知る木の実」と書かれています。母がクリスチャンでしたので、私は聖書には早くからなじんでいましたが、私は若い頃、この話が理解できませんでした。善悪を知ることがなぜいけないのか、悩みに悩んだ私は、これをテーマにして反聖書的な大河小説を書こうと思い立ったほどでした。幸か不幸か、プロローグ(序章)を一つ書いただけで、私は自分に文才がないことを覚り、小説を書くことはあきらめました。
 
私がこの問題の答えを見つけたのは、50歳を過ぎてからでした。ある日、私は突然に理解したのです。聖書は正しかったのです。善悪を知ることが、あらゆる混乱の始まりだったのです。未開民族の伝説を含め多くの宗教が、人類は道を間違えたとか、堕落したという言い方をします。けれども、私は、人類は「愛のエネルギー」が極端に少なくなったら、何が起こるかということを実験で実現させて見せたのだと考えています。なぜなら私は、本来の人間は完全な存在であり、完全な存在が道を間違えたり、堕落したりすることはありえない、と思うからです。いずれにせよ、人間は自己の内面から愛のエネルギーを極端に減少させることに成功しました。そして、その愛エネルギーを減少させるための手段が「善悪を知ること」だったのです。
 
「善悪を知る」とは、世界の中の人やものや出来事を、あれはよい、これは悪い、と区別することです。そして、悪いものには、嫌悪、非難、怒り、憎しみ、拒絶といった感情で反応します。つまり悪いと思うものに対しては愛の対極にある「非難のエネルギー」を発生させて対応するわけです。ところが、私たちは、自分の意識の内面にあるものを外界に実現させる世界に住んでいますから、内面に「非難のエネルギー」があれば、外界に非難すべき対象物を生み出すのです。そうすると、それに対応して内面の「非難のエネルギー」がさらに増大します。このようにして、「悪」と呼ばれるものが拡大再生産され、ついには世界中どこを見ても悪ばかりというような世界になってしまいました。これは、実は私たちの心の中が、非難のエネルギーに占領されてしまったということを示しているのです。
 
けれどもいま、地球と、地球に転生した数百億の魂を巻き込んだ、この壮大な実験を終わらせるときがきています。私たちは、地球と地球人類の心のあらゆる場所に愛のエネルギーを送り込み、すべての場所を実験を始める前とおなじ「愛エネルギーの満ちあふれる状態」に戻さなければなりません。これが、今の私たちに求められている最も緊急で最も重要な課題なのです。
 
愛エネルギーを減少させるための手段が「善悪を知ること」であったことを思い出してください。愛エネルギーを増大させるための手段は、当然、「善悪を識別しないこと」なのです。
 
これは、現代の私たちにとっては、衝撃的な言葉であるかも知れません。善悪を識別しなかったら、どうやって社会の秩序が維持されるのでしょうか。けれども、「愛」は非難のエネルギーとは相容れません。愛は何ものをも非難しません。愛は善悪を識別しません。なぜなら愛は、「悪」とみえるものは、愛のエネルギーが欠如しているところを示しているに過ぎない、ということを知っているからです。「愛」はあらゆるものに対して、無条件、無差別に、愛を注ぎます。どうしても善悪を識別したかったら、してもかまいません。ただし、その場合、悪と思ったところには、善に対するよりももっと多くの愛を注ぎ込んでください。
 
これは、犯罪を犯した人に対して刑罰を与えない、という意味ではありません。私は、死刑廃止論者ではありません。「これこれの罪を犯した者は死刑に処す」という法律があったとしても、そのような罪を犯す人がいなければ何の害にもならないでしょう。死刑に値する罪を犯す人がいて、死刑が執行されるというのも、「愛エネルギー減少実験」が生み出し社会的現象の一つなのです。 
 
けれども、死刑になる犯人に対して憎しみを持たないでください。愛と尊敬の念をもって刑を執行してください。なぜなら、その人は、「愛エネルギーがなくなったら、人間はどうなるか」ということを余すところなく実現して見せてくれたからです。その人は、最も勇敢な実験の参加者の一人なのです。 
 
ちろん、犯罪の被害者やその遺族の人たちは、大きな憎しみをもって犯人が死刑にされるのを望むでしょう。それが、間違っているというわけではありません。その人たちもまた、実験の一部として、愛エネルギーが減少したら何が起こるか、という姿を見せてくれているのです。
 
いま、地球の上には、二種類の人がいます。「愛エネルギー減少実験」をまだ続けている人と、それをやめる作業を始めた人です。実験をまだやめないと決心している人を責める必要はありません。けれども、この実験を終わらせる作業に参加しようと決意した人は、もはや「愛エネルギーの少ない人」のままでいてはなりません。まず自分自身に愛エネルギーを満たし、次にあらゆるものを――善も悪も――「愛」のまなざしで見ることを始めてください。前回お話したように、無条件、無差別に、ありとあらゆる人やものや出来事を祝福し続けてください。実験をやめる作業に参加するとは、誰かほかの人に実験をやめさせることではありません。あなた自身が実験をやめることなのです。

2007年7月4日

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