霊性の時代

A15 キャッツ



1ヶ月ほど前、「キャッツ」というミュージカルを見ました。私はあまりこういうものを見ないほうですが、息子の夫婦が「面白いよ」と言うので、妻と二人で見に行きました。本当に面白かったです。映画でも小説でも、二度見ようという気持ちにはほとんどならない私ですが、この劇は終わっときに、「また見たい」と思いました。けれども、二度見たら中毒してしまいそうな危険を感じたので、見にいきませんでした。この劇には麻薬のような妖しい魅力があります。いったい何がそんなに私をひきつけたのでしょうか。
 
これはゴミ捨て場に集まる猫たちの物語です。みんな人間が扮した仮想の猫なのですが、その演技がとても上手で、しなやかに音もなく歩く猫の姿が、とてもよくあらわされていました。そして、物語の中の猫たちが、みんな一生懸命に生きていました。いろいろな猫がいます。男の猫も女の猫もいます。昔を懐かしんでばかりいる年老いた猫。エネルギッシュな若い猫。人目(猫目?)を避けながらひっそりと生きる娼婦猫の悲しみ。そして若い雌猫の怖れを知らない無邪気な愛。猫たちの姿を借りながら、そこには人間の世界のさまざまな生命の営みの姿が描き出されています。本当に素晴らしい演出だと思いました。
 
1ヶ月たって、魔法のような妖しい呪縛の力は少し減りましたが、いま思い返して見ても、仮想の物語であるあの猫たちの世界が、本当にどこかに存在するかのような錯覚を覚えます。あの猫たちは、ああやって、今も一生懸命に生きているのだろうか。喜びと悲しみ、希望と絶望、愛と怖れ、光と闇の交錯する目のくらむような世界を、いまも紡ぎ続けているのだろうか。あの猫たち、みんな幸せになってほしい・・・私は心からそう思うのです。
 
私が今なぜこの猫たちのことをここに書いているか、お分かりでしょうか。これは今の私たち人間の世界にそっくりなのです。人間の世界も架空の世界です。それは、永遠の存在であるスピリットたちが、人間の姿をとって、あらゆる生命の営みの姿を描き続けているミュージカルなのです。私たちは「人間」を演じている俳優なのです。この劇を見たスピリットたちは感動して、あの「地球という仮想の世界」が本当にどこかに存在するのではないか、と思うことでしょう。「あの人間たちはみんな、一人残らず幸せになってほしい」・・・・スピリットたちは、本当にそう思っているのです。
 
この地球のドラマを作っているのは、私たちです。私たちは、誰かが勝手に作った脚本のとおりに動かされているわけではありません。地球のドラマを幸せなドラマにするのも、不幸せなドラマにするのも、私たちの自由であり、同時に責任です。もし私たちが、地球を幸せなドラマの舞台にしようとするなら、目に見えないスピリットたちは喜んで手伝ってくれるでしょう。「あの地球のドラマの最後は、特に素晴らしかったなあ」と見物のスピリットたちが喜ぶようなドラマにしませんか。それは必ずできます。なぜなら、「人間」を演じているのは私たちなのですから。

2005年4月2日掲載

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