霊性の時代

A9 自分を愛する


もしかして、あなたは「自分を愛する」ことはよくないことだと考えていないでしょうか。それは、利己的な、自己中心的なことであって、悪いことだと教えられたのではないでしょうか。もしそうだったら、いまから考えを変えてください。自分を愛することは悪いことではありません。むしろこれから私たちが霊性を取戻していくために、絶対に必要なことなのです。
 
なぜこれまで、自分を愛することはよくないことだと教えられたのでしょうか。それは、あなたの両親も、学校の先生たちも、社会全体も、「自分を愛する」ということがどういうことなのか、知らなかったからです。本来霊的な存在であった人間は、自分の霊性を忘れるために、自分を愛することは悪いことだということにしました。なぜ、人間が霊性を忘れる必要があったのかということについては、A5 地球という世界を読んでください。ともかく人間は、霊性を忘れるために、自分を愛することをやめたのです。それを長いあいだ続けているうちに、人間は自分を愛するということの意味も忘れてしまいました。そして、自分ということについても、世界についても、愛についても、真実を隠し、架空の観念をつくりあげてきました。その結果として、自分を愛することは悪いことだという観念が、社会全体に受けつがれることになったのです。

子供を愛するというと、何でも子供に買って与えることだと考えるお母さんがあります。悪い人を愛するとか、嫌いな人も愛さなければならないというと、そのような人を好きにならなければいけないと思う人もあります。けれども、愛するというのは、何かを買って与えることでもなければ、何でも要求通りにすることでもありません。嫌いな人を好きになることでもありません。

ひとを愛するとか、自然を愛するということについては、また、別のページで書くことにします。ここでは、自分を愛するということに的を絞りましょう。
 
自分を愛するというと、エゴイズムだと思う人があります。また、自己陶酔やナルシシズムだと思う人もあります。わがままを通すことだと思う人もあります。けれども、エゴイズムというのは、自分を愛しているわけではありません。世界の本当の姿を知らないので、ありもしない敵から身を守ろうとしているだけです。ナルシシズムというのは、自分の本当の姿を見るのが怖いので、目をつぶっているだけです。わがままというのは、自分の本当の欲望を知らないので、めくらめっぽうに要求を出しつづけているだけです。本当の要求を出さないので、いつまでたっても要求が満たされることはないのです。

自分を愛するというのは、自分の本当の姿を見てあげることです。自分の本当の要求に気づいてあげることです。自分に世界の真実を教えて、恐怖を取り除いてあげることです。

 ここで自分と言っているのは何でしょうか。私たちが自分というとき、多くの場合エゴを指しています。けれども、よく観察してみれば、自分というのは、エゴだけではないということに気がつくはずです。
 私たちは、エゴについても誤解しています。あなたは、エゴは自分中心で、欲望の固まりだと思い、エゴは悪いもので、エゴなんかないほうがよい、と思っていませんか。けれども、エゴは決して悪いものではありません。エゴは私たちから決して切り離すことはできません。それは私たちの重要な一部分なのです。エゴについては、「聖書の新解釈」の中のB11エゴに気づくB12 エゴの正体を知るB13 エゴを統合するを読んでください。
 
エゴは私たちの重要な一部分ですが、私たちの心の全部がエゴではありません。あなたの中には、自分の霊性を覚えている部分もあります。霊性の総元締めである神につながっている部分もあります。霊性の高い性質を、この地上に実現させようと考えている高次の意識もあります。それらの全部が自分なのです。それらのすべてを知ることが、自分の本当の姿に気づくということです。
 
あなたの心を映画の撮影班だと思ってください。映画の撮影班には、監督がいます。脚本家もいます。衣装係や振り付け係もいます。時代考証を専門にする人もいます。音楽や色彩のコーディネーションを担当する人もいます。ロケーションの場所を探す人もいます。そして、大勢の俳優たちがいます。さまざまな人たちが、それぞれの技能を持っていて、それぞれの役割を分担し、協力しあって、一つの映画をつくりあげていくのです。あなたの心も同じです。あなたの心は、さまざまな役割を分担する部分の集合体です。その中の一部がエゴなのです。

自分の本当の姿を知るということの中で最も重要なことは、自分が霊的な存在であるということを知ることです。霊的な存在というのは、肉体ではなく、物質でもありません。それは純粋の意識であるというのが、一番適切な表現ではないかと思います。意識というのは、それ自体は、形も大きさもありません。生まれることも死ぬこともなく、傷つくことも壊れることもありません。意識は永遠の存在です。
 私たちの常識では、人間は肉体であり、意識は脳によって生み出されるものだと考えます。けれども、本当は、脳が意識を生むのではなく、意識が脳を生むのです。このことについては、A4 宇宙の霊的な構造を読んでください。

私たちの心を映画の撮影班だといいました。この撮影班は、どんな映画を撮ろうとしているのでしょうか。それは一人一人違います。あなたが撮ろうとしている映画、それがあなたの本当の欲望です。それがあなたの、この地球における存在目的であり、生きる目的です。それはあなたの「魂の欲望」であるといってもかまいません。すべての人は、この地球に、「魂の欲望」を持って生まれてきます。あなたが生まれる環境、つまり場所、家柄、家族などは、あなたの映画のロケーションの場所なのです。けれども、私たちはたいてい大人になる前に、その「魂の欲望」を忘れてしまいます。私たちは、魂の欲望を思い出すところから始めなければなりません。それが、実は、地球というロケ地で撮られる映画に共通した性質なのです。
 
私たちが、自分がこの世に来た目的、「魂の欲望」、を忘れてしまうということと、心の奥底にそれを覚えているメンバーがいて「早くその映画に取り掛かろうよ」と叫びつづけているところから、私たちの心の葛藤が生まれます。私たちが、この世に対して覚える基本的な不満や怒りは、ここから生まれるのです。もしあなたが、この世に対してやり場のない怒りや不満を感じているなら、それは「魂の欲望」が満たされていないからです。まず「魂の欲望」に気づくところから始めなければ、その怒りはおさまりません。私たちは、「自分が怒るのは世の中が悪いからだ」と思います。けれども、それはエゴの思いです。エゴは、この世から入ってくる情報に直接タッチする係なので、そういう言い方をするのです。けれども、あなたの魂は、そのような世界をわざわざロケーションの場所に選んで映画を撮りに来たのです。あなたが「魂の欲望」に気づけば、この世界であなたが何をなすべきかということがわかってきます。

自分を愛するということの本当の意味は、この「魂の欲望」に気づいてあげるということです。そのためには、まず自分自身に愛のエネルギーを送ってください。自分自身に愛のエネルギーを送れば、いままで、心のチームのメンバーが勝手にわめいたり叫んだりしていたのが静かになります。そして、みんなで話し合って、この世界に自分たちは何をしに来たのだろうか、ということを思い出そうとします。そして、心のチームのメンバーが「魂の欲望」である映画を撮影することにまとまって来ます。エゴもその一員として、きちんと役割を果たすようになります。
 
まず、自分自身に愛のエネルギーを送ることをはじめてください。あなたの心の中が暖かいピンクの光で満たされていると想像し、それを自分自身に向けて送ってください。ピンクの光が体中に広がっていく様子を思い描いてください。そっと心の中で、自分の名前を呼んでください。そして「あなたに愛を送ります」と言って下さい。自分の過去の姿を思い浮かべて、それに向かって、「あなたを愛しています」とか「愛を送ります」と語りかけてください。生まれたばかりの自分、1歳のときの自分、2歳の時の自分、・・・一人ずつ思い浮かべて語りかけてください。その言うことを聞いてください。それらの分身たちはいまもあなたの心の中で生きています。彼らと一人一人語り合って、現在のチームの中に迎え入れてください。
 
自分を、いろいろな呼び方で読んでみてください。小さいときにお母さんから呼ばれた呼び方、友達がつけてくれたあだ名、丁寧な呼び方、親しみはあるけれども乱暴な呼び方、・・・いろいろな呼び方で呼んでみてください。そのような名前は、みんな、あなたの心のメンバーを表わしているのです。ある特定の呼び方をすると、違和感を覚えたり、胸が痛んだり、することがあります。そのような時は、メンバーの誰かが傷ついたり、忘れられて幼いままだったりしているのです。違和感を感じなくなるまで、繰り返し、愛を送ってください。時には、「自分に愛を送ります」とか「私を愛します」と、言ってみてください。
 
このようにして、自分自身に愛を送りつづけていると、やがて、いらいらと波立ち騒いでいた心が静まり、自分が何をしたらよいかということについて、迷いがなくなってきます。深くたちこめていた霧が晴れてきたかのように、次第に自分の進むべき道が見えてきます。世の中がどんな姿をあらわしていても気にならなくなります。これが「魂の欲望」を思い出すということであり、そして、これが本当に「自分を愛する」ということなのです。

2002年8月30日掲載


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