霊性の時代

A5 地球という世界


霊的世界の中で、霊的存在たちは思い思いに仕事をしています。仕事といっても、それは自ら進んで、自ら選んで、自らの喜びのためにすることですから、遊びといっても趣味といっても同じです。霊的存在たちは、仕事が遊びであり、遊びが仕事なのです。

いま物質世界に生きている私たち人間は、多くの場合必要に迫られて働きます。働かなければ食べていけないからです。人間は食べなければ死んでしまいます。人間は、自分や自分の家族が、十分に満たされた豊かで平和な生活ができるように、みんな一生懸命に働きます。ときにはそのために、戦争や犯罪にまで手を染めます。それは、本来の目的である豊かさや平和と矛盾していますが、そうしないと、自分たちの豊かさや平和が失われると思うからです。

食べるために働く必要がない人たちは、ひとのために働きます。なぜなら、地球の上には、助けを必要とする人たちが大勢いるからです。最近は「食べるために」ということを犠牲にしても、ひとのために働きたいという人が増えています。そのほうが、自分自身のために生きがいと喜びを感じるからです。このような喜びを「自己実現」の喜びといいます。肉体的、物質的な満足よりも、精神的な「自己実現」の喜びを重視する人たちが静かに増えています。

霊的世界は完全な自己実現の世界です。なぜなら、霊的世界には「必要に迫られる」ということがないからです。霊的世界は、神によって創られた完全な充足の世界です。霊的存在たちは、食べなければ死ぬということもありません。誰かに助けてもらわなければ生きていけないということもありません。霊的世界には何かしなければならないということはないのです。

けれども霊的存在たちは、何もしないで眠っているわけではありません。霊的存在の本質は生命であり、生命とは活動です。霊的存在たちは、活動するのが趣味であり、趣味が仕事なのです。霊的存在たちの仕事とは、神の創造活動に参加することです。

神の創造活動というのは、あるときに花火のように行なわれて終ってしまった、というようなものではありません。神の創造活動は、無限の時間を超えた時間の中で、絶え間なく続けられているのです。神は無限に燃えつづける生命の炎です。それは決して終ることのない活動です。静止した炎がないように、静止した神というものもありません。霊的存在たちは、その神の創造活動の炎の一片なのです。霊的存在たちの小さな炎が神の炎そのものであり、その小さな炎の無限の集まりが神なのです。霊的存在たちの活動は、ありとあらゆる完全さの中で、さらなる完全を作り出し、さらなる美しさを表現し、さらなる喜びを体験するために、絶え間なく続けられているのです。

神は無限に燃えつづける生命の炎であるといいました。神の創造活動とは、その炎の中に、存在のあらゆる形態、生命のあらゆる側面を顕現させることです。燃える神の炎の一片である霊的存在たちの仕事は、生命の特定の一つの側面を、具体的に詳細に顕現させることです。バラの花を何百万本集めても全く同じ花は一つもないように、生命の一つの側面でさえも、その具体的な姿には無限のバリエーションがあります。霊的存在たちの仕事は、そのような具体的な姿を無限に描きつづけることなのです。霊的存在たちは芸術家なのです。人間の音楽家や画家や作家は、自分の外に音楽や絵画や文学作品を作り出しますが、霊的存在たちは、自分の心の中に思考のエネルギーを使って仮想現実を作り出し、それを自分自身で体験するという形で生命の表現活動をします。一人一人の霊的存在が、自分自身の世界を創り、それを個人的に体験するのです。

けれども霊的存在たちの活動は孤立しているわけではありません。霊的存在たちは、自分の作品である人生やその体験の発表会はしませんが、一人の霊的存在の体験はすべての霊的存在によって共有され、神自身によっても共有されます。大勢の霊的存在たちが共同で一つの世界を創ることもあります。それはちょうど劇団の大勢のメンバーが協力して一つのテーマに取り組み、一つの舞台を作り上げるようなものです。共同の世界は一つのテーマを持っており、そのテーマのさまざまな表現と体験を大勢の霊的存在たちが分担するのです。

地球はそのような共同の世界であり、霊的宇宙の中のテーマパークの一つです。地球のテーマはちょっと変っています。それによって、地球は宇宙の中でも特別な世界を作り出しています。地球のテーマというのは「神を忘れること」なのです。別の言葉でいえば、それは、霊的存在が「自分が霊的存在であるということ」を忘れることです。このため、地球に来ている霊的存在たちはみんな自分が霊的存在であることを忘れ、自分を物質である、肉体であると思って、それをあらゆる行動の基本に据えるのです。

なぜ、地球というテーマパークはそのようなテーマを選んだのでしょうか。そのようなテーマを選ぶことにどのような意味があるのでしょうか。それは神を忘れることによってしか体験できない体験があるからです。自分が霊的存在であることをしっかり覚えていて、つねに神と一体であるという感覚を持ち続けている存在は、恐怖や不安というものを体験することはありません。恐怖や不安や絶望などは、私たちが自分の霊的本質を忘れ、肉体が自分であると思い込んだ結果として、私たちが体験するものです。地球はそういうものを演出し体験するためのテーマパークなのです。けれども、地球はホラー映画のように単に恐怖を体験するためだけのテーマパークではありません。恐怖を克服して愛に生きるという崇高なドラマを演じる舞台でもあるのです。

人間の作家は、主人公の強さや美しさを描くために、主人公に過酷な運命を負わせます。宮本武蔵は、次から次に現われる強敵と戦うことによって自らの強さを証明していきます。「おしん」は、次から次に起こる人生の困難を乗り越えることによって、自らの強さと美しさを表現していきます。地球の霊的存在も同じです。自らの上に過酷な運命を引き寄せ、それと闘い、それを克服することによって、愛や生命や信仰の美しさや強さを宇宙に向かって表現するのです。中には、運命に屈服し、運命に打ち負かされてしまったような人生もあると思えるかも知れません。けれども、それは一つの短い人生だけを見ているからです。霊的存在は決して死ぬということがありません。死ぬのは、一つの人生を表現するために選んだ肉体だけです。霊的存在たちは、そのような人生を何度も繰り返しながら、生命の美しさを輝かせるための長い物語を織り上げていくのです。

地球という世界が光の勢力と闇の勢力との闘いの場であるという伝説を多くの民族が持っています。それは真実の一面を伝えていますが、それらの伝説が伝えていないことがあります。それは、地球になぜ闇が存在するかという理由です。闇は勝手に地球に入り込んだわけではありません。地球に来た霊的存在たちが自分で作り出したものです。地球に来た霊的存在たち――それは私たち人間のことです――は、光をますます美しく輝かせるために、ますます深い闇を作り出したのです。

私たちの肉体の意識は、ふつうそのことを知りません。肉体はドラマの登場人物であるので、なぜそのドラマが作られ、なぜ自分がこの役をしているのか理解することができないのです。けれども、私たちの霊的な部分、ハイヤーセルフは知っています。そして、もし私たちがハイヤーセルフとつながることができたなら、肉体をもったままでも、自分の人生の意味を理解することができるようになります。それが霊性を回復するということです。それは、役者が舞台で役を演じているときにも、自分は役者であって、舞台で演じている登場人物そのものではないことを知っているようなものです。

役者は、死を演じていても自分が死ぬわけではないことを知っています。だからこそ、安心して、死を演じることができるのです。霊性を回復した人も同じです。霊性を回復した人は、死ななくなることもあります。肉体を持ったままで、この世から消え去ることもあります。また、肉体を光に変えて見えなくなる人もいます。けれども、肉体の上では、普通どおりに死んでいく人もあります。その人は、役者として、死を演じているのです。それは、自分の死という出来事を通じてしか表現できないものがあることを知っているからです。霊性を回復した人は、いずれ、地球というテーマパークから立ち去るでしょう。地球は、神の宇宙にある無数のテーマパークのひとつに過ぎないからです。そのとき、どういう立ち去り方をするか、それも、このテーマパークにおける最大の遊びのひとつなのです。

 2002年6月30日 掲載

inserted by FC2 system