霊性の時代

A1 霊性の時代とは


 
21世紀は「霊性の時代」と呼ばれています。霊性の時代とは何でしょうか。
 
霊性の時代とは、すべての人が人間の本質を思い出し、人間の本来の美しさ、やさしさ、気高さ、力強さを地上に表現して生きる時代です。霊性とは、人間の本質のことなのです。
 
私たちが「人間」という言葉で思い浮かべるのは、どんなものでしょうか。それは、二本足で立って歩く動物の一種でしょうか。これまで、人間は「肉体」を自分であると考えていました。けれども、人間は肉体ではありません。人間はいかなる物質でもありません。人間は「霊的な存在」なのです。肉体は、その霊的な存在が仮に想像した自分の体なのです。―――「想像した」というのは、字を間違ったわけではありません。そのことはあとで説明します。
 
私たちは、物質世界が実在(ほんとうに存在)すると考えており、人間の肉体も実在であると考えています。人間の精神活動は、肉体の一部である脳が生み出す現象であると考えています。けれども、ほんとうはそうではありません。ほんとうに存在するものは、精神活動だけです。それをこのサイトでは「意識」という言葉で呼んでいます。いったい何者の意識かって? 何者もいません。純粋に意識だけが存在するのです。その純粋の意識のことを「霊的存在」または「意識存在」と呼ぶことにします。人間が霊的存在であるというのは、人間は純粋の意識だけで成り立っている、ということなのです。人間には身体はありません。形もありません。大きさもありません。なぜなら、意識には形も大きさもないからです。
 
 意識はいろいろなものを考えることができます。
 形のあるものを想像することもできます。けれども、意識に形があるわけではありません。
 意識は動くものを考えることもできます。けれども、意識がどこかへ動いていくわけではありません。
 意識は、熱いものや冷たいものを考えることができます。けれども、意識が熱くなったり冷たくなったりするわけではありません。
 意識は物質を考えることができます。けれども、意識が物質になるわけではありません。
 
意識は、それ自体は「無」のようなものです。けれども、意識はあらゆるものを「想像」によって生み出します。想像されたものは、それを生み出した意識にとって「実在」になります。純粋の意識である霊的存在は、あるものを想像して「これは実在である」と考えます。そのことによって、想像されたものは「それを想像した意識」に対して実在になるのです。日本語で、想像と創造が同じ発音なのは偶然かも知れませんが、意識にとってはまさに想像することは創造することなのです。
 
大勢の意識存在がいるとき、一人が想像(創造)したものが他の存在にとっても実在になることができます。それは互いに相手の想像したものを実在だと認めようという合意がある場合です。このようにして、大勢の意識存在の合意によって「物質宇宙の中の地球」という世界が作られました。ある意識存在は宇宙そのものを想像して作り出しました。別の意識存在が地球を創造しました。他の多くの意識存在が地球の上の植物や動物を担当しました。そして残った大勢の意識存在が「人間」になりました。地球の上に「肉体」を創造したのです。大勢の霊的存在たちは、一定の物質的法則にしたがう肉体を想像し、「これが私の身体である」と認めることによって身体をもつようになったのです。

このような大掛かりなチームで地球という舞台を作り上げた、これらの霊的存在たちは、そこで何をしようとしたのでしょうか。
 
サッカーは「手を使ってはいけない」という制約を課すことによって成り立つゲームであると、言った人がいます。多くのスポーツが人間の本来の身体能力に制約を加えることによって成り立っています。地球世界を創った霊的存在たち――それはいま地球に住んでいる私たち人間のことです――も同じことをしたのです。私たちは、本来の霊的存在として持っていた無限の能力を極端に制限し、自由度が三つしかない三次元というせまい空間の中で、直線的に流れる時間に制約され、しかも自分が本来霊的存在であったということも忘れて、物質世界という厳しい制約の中で、いかに生命のさまざまな価値を表現できるかという壮大な実験を始めたのです。
 
その結果として、地球の上に人類の歴史が生まれました。自分を肉体の中に閉じ込めた人類は、あらゆる行動の土台を、肉体の維持におかなければなりませんでした。生存のための自然との戦いがあり、人間同士の競争があり、性と愛の営みがあり、集団と社会の形成があり、集団同士の争いと協力が展開されました。そしてその土台の上で、さまざまな制約を克服しながら、道徳、芸術、哲学、宗教などの高い理念を発展させてきました。愛の奉仕に命を捨てる人生もありました。絶望や恐怖の深淵の中でもだえ苦しむ人生もありました。人類は何千年も何万年もかかって、強烈な光と闇の交錯する生命の営みのタペストリーを織り上げてきたのです。
 
そしていま、人類は飛躍の時を迎えています。人類に離陸の時が来ています。地球をつくったときからの最後の計画を実行するときが来ているのです。それは、この地球の上に、本来の霊的存在としてもっていたものをすべて実現しようという計画です。舞台劇のフィナーレには、その劇に登場した俳優のすべてが登場します。敵も味方もなく、舞台の筋書きの上では死んだことになっている役の俳優までも出てきて、全員で最後の合唱をします。いまはそのようなフィナーレの始まりの時なのです。空間の制約も、時間の制約も、生死の境界も乗り越えて、霊性本来の永遠の命と無限の愛を、この地球の上に華やかに展開するフィナーレの時がきているのです。いままで私たちは、肉体という極端に制約を加えた素材を使って、そのうえにたって生命のさまざまな価値を表現しようとしてきました。これからは、私たちはその制限を取り払っていきます。もちろん、霊性のすべてが自由にこの地上に表現されるには、地球の時間で何千年もかかるかも知れません。けれども、これからは地球の存在目的が変るのです。宇宙も地球も変身します。動物も植物も変身します。そして何よりも、私たち人間が変身するのです。それが霊性の時代です。■


2002年9月18日 掲載

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