霊性の時代

A2 霊性の時代の風景




地球人類のすべてが霊性を思い出したときには、地球はどんな姿になるのでしょうか。
 
いま地球に住んでいる人の中には、誰もそれを見た人はありません。いいえ、ひょっとしたら私たちは、昔、地球に来る前に、それを知っていたかも知れないのです。けれども、それをすべて忘れるのが、地球世界のルールでした。私たちは何もかも忘れてしまいました。そして、いま、私たちはそれを、ふたたび思い出そうとしているのです。
 
霊性の時代がおとずれたときには、地球はどんな姿を見せてくれるのでしょうか。
それは、皆さんが想像してみてください。霊性の時代とは(A1)にも述べましたが、「想像する」ということは「創造する」ことなのです。思いっきり素晴らしい世界を思い描いてください。
 
あなたは、何を思い浮かべますか。自然の美しさでしょうか。
汚染されていない大気、汚染されていない海、汚染されていない川、汚染されていない湖の、透き通った美しさを思い出してください。新緑に覆われた丘、紅葉に覆われた山を思い浮かべてください。雪に覆われた日本アルプスの峰々を思い浮かべて下さい。いまは、新緑の林の中に缶ジュースの空き缶が転がっていたり、アルプスの山の頂にペットボトルが捨てられていたりするのです。けれども、霊性の時代には、そのようなことはなくなるでしょう。新緑の若葉は柔らかな光をまとい、燃えるような紅葉は炎の輝きに包まれます。真っ白な雪景色は、ダイヤモンドのように輝くでしょう。思いっきり美しい自然を想像してください。
 
あなたは、何を思い浮かべますか。人の心の美しさでしょうか。
ある人が新聞に書いていました。文明国の中で、タクシーに置き忘れた財布が戻ってくるのは、日本と台湾ぐらいだと。日本は、荒れてきたように見えますが、まだ捨てたものではありません。けれども、霊性の時代には、地球の上のあらゆるところがそうなるのです。もっともっと美しく、もっともっと安全で、もっともっとやさしい社会を思い描いてください。
けれども、ここでちょっと注意してください。いままで、人の心の美しさが発揮されたのは、どんな場面だったでしょうか。誰かが困ったり、苦しんだりしている場面ばかりではなかったでしょうか。地震や洪水など、大きな自然災害が起こると、いままでいがみ合っていた人たちが突然助け合うようになります。けれども、危険な場面が去って日常の生活が戻ってくると、またもとのいがみ合いの続きを始めるのです。もし、私たちがそのような心を持ち続けていたら、人情の美しさを表現するために、災害や苦難が必要だということになります。そうならないようにするためには、平和な状態で、誰も困っていない状態で、しかもなお、人々がこの上なく美しい心を発揮している姿を想像してください。
 
あなたは、何を思い浮かべますか。健康な人々ですか。
そうです。病気の人も、老衰で身体が不自由になる人も、いなくなるでしょう。人間は年をとることもなく、死ぬこともなくなります。霊的存在は時間を超越しているからです。

でも、それでは、人間はずっとこの地球にいなければならないのでしょうか。
いいえ、人間は地球を去りたいときに去り、来たいときに来るようになるのです。いまでも、ヒンズー教の僧侶は、自分の死期を知ると、パーティーを催し、別れの挨拶をして瞑想に入り、そのまま亡くなるのだそうです(天外伺朗著『心の時代を読み解く』飛鳥新社)。霊性の時代には、誰でも自分でこの世を去るときを決めます。死体を残すこともなく、肉体のまま光の中に消えて行くこともできるようになるのです。
 
でもそうすると困ったことが起こります。死ぬ人がなくなれば、生まれる人もなくなるのです。可愛い赤ちゃんが生まれて、家族みんなで育てていくということもなくなります。そんな世界は味気ないと思いますか。もしそうなら、何人かのグループで相談して、誰かが赤ちゃんの役を引き受け、あなたがお母さんになってもいいのです。霊的存在は、若い身体を身にまとうのも、大人の身体をまとうのも自由自在なのです。でも、そんなお芝居は嫌だと思いますか。いま、私たちは、赤ちゃんが生まれると、肉体だけでなく、心も魂も幼い幼稚な存在だと思っています。けれども、人間の魂には、幼い魂とか成熟した魂とかいうものはないのです。これまでも、あなたの赤ちゃんは、知恵と愛にあふれた光り輝く霊的存在であったのです。ただ私たちは、肉体の姿しか目に入らないために、そのことがわからなかっただけなのです。もしそうであれば、誰かがわざと赤ちゃんの役を引き受けてくれたとしても同じことですね。いままでもそうだったのですから。それとも、もうそんなお芝居はやめますか。
 
あなたはそんな霊的な地球の世界で、何をするのでしょうか。
大学に入ったらいいことがあるに違いないと信じて、一生懸命受験勉強をした若者たちが、五月病という不思議な病気にかかります。大学に入ったとたんに、目標を見失ってしまうからです。私たちも、霊性の時代に入ったとたんに何をしたらいいかわからない、というようなことがないようにしなければなりませんね。
 
人間は、必要に迫られて何かをすることになれています。お金を稼ぐため、名誉を手に入れるため、困っている人を助けるため、社会をよくするため・・・その他、さまざまな目的を達成するために、何かをします。けれども、霊性の時代というのは、何もする必要のない時代です。お金を稼ぐ必要もなく、困っている人もなく、人と比較されることもなく、社会は十分よくなっている・・・そういう世界です。そのような世界で、私たちは何をするのでしょうか。必要に迫られて何かをするのではなく、「ほんとうに魂の奥底からしたいと思う」ことをしている自分を想像してみてください。それが、霊性の時代のあなたの姿です。そして、すべてのひとの姿です。
 
もちろん、21世紀になったからといってすぐに、そのような世界になるわけではありません。まだまだしなければならないことがたくさんあるでしょう。けれども、霊性の時代の究極の姿は、頭の片隅に入れておいてください。そのような世界を想像してください。想像することは創造することです。
 
いまの私たちは、ビジネス旅行ばかりしているようなものです。ビジネスの旅は、目的地に早く着くことが必要です。そこでしなければならない仕事があるからです。いまの私たちも、絶えずあれをして、次は何をして、と追いまくられながら生きています。けれども、ほんとうの旅には目的地はありません。ほんとうの旅は、旅そのものが目的なのです。どこへ行く必要もなく、早く着く必要もなく、ただ途中で起こるさまざまな出来事そのものを楽しむのが、ほんとうの旅です。霊性の時代とは、「ほんとうの旅」の時代です。そこではただ生きるだけでいいのです。もちろん、何もするなと言っているわけではありません。何をしてもいいのです。なぜなら、霊的存在には何かをしなければならないということがないからです。霊的存在とは、ただ存在するだけで価値がある存在なのです。■

2002年9月22日 掲載

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