霊性の時代

A11 遭難した探検隊



人間がいま、霊的に見たとき、ほとんど壊滅状態といってよいほどの混乱に陥っているのは事実です。私たちは、自分の本性も世界の本性も見失い、人間同士が疑いあい、怖れあって暮らしています。多くの宗教が、この状況を、人間が罪を犯したり、堕落したために、神が罰を与えたのだという説明のしかたをしてきました。また一部の秘教的な教えでは、人類が未熟であるために、地球という学校で教育される必要があるのだと教えてきました。
 
これらはすべて、高次の世界から来るメッセージを受け取った人が、自分の意識によってそれを解釈したために起こった情報のゆがみです。このようなゆがみは避けることができません。高次の世界から来る情報は人間の言葉で語られるわけではないからです。それは一種のエネルギーの波動としてチャネラー(昔風に言えば霊媒)と呼ばれる人に受け取られます。チャネラーは、それを自分の意識の中にある言葉によって人間の言葉に翻訳し、人々に伝えます。したがって、チャネラーを通して伝えられる言葉は、チャネラー個人の意識はもちろんのこと、その時代、民族、社会などの思想や情緒の影響を受けないわけにはいきません。そのため、過去においては、高次の世界から来るメッセージは、罪と罰、あるいは教育・訓練といった立場から解釈され、道徳的な教えの色彩を帯びて伝えられるのが普通でした。それらが、間違いというわけではありませんが、私はここに、新しい解釈をお話ししたいと思います。高次の世界のメッセージには、いろいろな解釈が可能なのだと知ってください。そして、いろいろな解釈が語る物語の中から、言葉にならない本質を感じ取っていただきたいと思います。
 
いまから100年ほど前のことです。1911年の秋、南極に向かっていた3組の探検隊がありました。一つはノルウェーのアムンゼンが率いる探検隊、もう一つはイギリスのスコット隊、そしてもう1組は日本の白瀬中尉の一隊です。アムンゼンは、はじめ北極探検に向かっていましたが、アメリカのピアリーに先を越されたのを知って急遽南極に目的を変更したのです。そして、その年、1911年の12月14日に南極点到達を果たしました。スコット隊は、それから1ヶ月ほど遅れて1912年の1月17日に南極点に到達しましたが、帰り道で嵐にあい、全員遭難してしまいます。白瀬中尉の探検隊は、日本政府から十分な支援が得られなかったため、南極点の1000キロほど手前で引き返さざるを得ませんでした。それでも、現在南極には白瀬中尉の命名したいくつかの地名が公式に認められて残っています。悲劇的だったのはスコットの一行です。アムンゼンが南極点に到達することだけを目的としたのに対し、スコットは科学的な調査をしながら進んだので時間がかかり、アムンゼンに一番乗りの名誉をさらわれたうえ、帰る途中、嵐で立ち往生し、全員が死亡してしまいます。スコット隊はこのように悲劇的な最後を遂げましたが、その勇敢な探検と科学的調査は後世に高く評価され、現在南極点につくられている基地には、アムンゼン・スコット基地という名前がつけられています。
 
ところで、この話と人類の霊性復活の話と、どう関係するのでしょうか。
 
実は私たち地球人類は、霊的世界の中の探検隊なのです。私たち人類は、「霊性を忘れた世界」を探検するために志願した勇敢な探検家たちなのです。私たちが神を知らず、自分の本質も世界の本質も忘れてしまっているのは、人類が罪を犯したからでも、魂が未発達だからでもありません。私たちは、本来、霊的世界の中でも最も勇敢で最も有能な探検家たちなのです。そうでなかったら、誰もこんな無謀な探検に志願することはなかったでしょうし、誰も、こんな危険に満ちた探検に私たちを送り出すことはなかったでしょう。
 
神は宇宙の中心で輝いている太陽のような存在です。私たちの太陽系の太陽の何億倍も何兆倍も明るい霊の太陽です。霊的宇宙は神の光に満たされていますが、中心から離れるにつれて神の光は薄くなり、暗く寒くなっていきます。霊的宇宙の中にも明るい場所と暗い場所が存在するのです。そして、霊的宇宙でも最も暗い辺境の地に存在する惑星のひとつが地球です。地球は物質世界としては、とても美しい星です。けれども、地球世界の霊的エネルギーの密度はとても低く、霊的には辺境の地なのです。私たちは、その辺境の地を探検に来た探検隊なのです。
 
と言っても、霊的宇宙には本来距離や遠近というものはありませんから、辺境の地という言い方は誤解を招くかも知れません。別のたとえをお話しましょう。これは、地球という星で、「霊的エネルギーの密度をどんどん下げていったら何が起こるか」という実験が行われたということもできます。私たちはその実験に参加することを承諾して地球に乗り込みました。地球は自らの霊的エネルギーを下げることに同意し、極限までエネルギーを下げてきました。その結果生まれた世界が、現在の地球です。私たちは、自らが霊的存在であったことを忘れ、お互いの信頼関係を失い、怖れ、疑い、怒り、憎しみ、などに取り付かれて生きるようになってしまいました。霊的エネルギーを下げるとは、こういうことなのです。
 
これまでのところ、実験は大成功です。私たちは、霊的エネルギーが下がったら何が起こるかということを、あますところなく実現して見せました。けれども、これからがこの実験の最後の、そして最も重要な部分なのです。それは、私たちが再び霊的エネルギーを取り戻すことができるかどうか、という実験です。
 
霊的エネルギーをあげていくのは、何か赤外線ストーブのような装置を持ってきて、エネルギーを加えてやればいいというものではありません。それは、私たちの自由意志を破壊しないようにしなければならないのです。エネルギーを下げるときには、私たちは自分の意思で努力して、地球と協力しながら、地球世界と自分自身のエネルギーを下げてきました。今度も同じように、自分の意思でエネルギーを上げていかなければならないのですが、今度は、私たちが自らの霊性を忘れてしまったために霊的エネルギーということを理解できず、そのために自分の意思で自分のエネルギーを上げるのが非常に難しくなっているのです。
 
そこでいま、数多くの霊的存在が、私たちを助けに来ています。遭難した探検隊に物資や情報を送り届けるように、宇宙人や天使や伝説の霊人や神を名乗るさまざまな霊的存在が、私たちに情報を送り届けてくれています。私たち個人にも、地球そのものにも、自由意志を侵さない範囲で、霊的エネルギーが照射されています。私たちのエネルギーレベルが少しでも上がれば、霊的世界の情報を理解しやすくなるからです。現在、さまざまな存在からさまざまな情報が伝えられていますが、それが誰から送られているかにあまり興味を持たないようにしてください。誰でもいいのです。それが本当は誰であったかは、私たちが霊性を取り戻したときに明らかになるでしょう。今はただ、彼らは私たちが受け入れやすいように、いろいろな名前を名乗るだけなのです。「誰の情報か」ということでなく、「どんな情報か」ということをよく調べ、自分の心の奥底にそれを受け入れるべきかどうか尋ねてください。私たちは霊的な遭難状態ですが、それでもすべての人の心の奥には、聖なる魂のエネルギーが宿っています。それはどんな状況になっても「失われる」ことはありません。ただ、それに気づくことが非常に難しくなるのが「遭難」の意味なのです。このサイトを読みに来られた方は、自分が霊的存在であるということに気づいておられます。気づき始めたばかりという方もおられるかも知れません。
 
誇りを持ってください。自信を持ってください。私たちは、霊的宇宙の落ちこぼれではないのです。霊的宇宙の中で、最も勇敢で、最も有能な探検家の集団・・・それが、私たち地球人類なのです。人間同士の間で、誰が正しいか、誰が悪いかといった争いはもうやめましょう。そのような問題はすべて、私たちが霊的エネルギーのレベルを下げたために起こった幻覚に過ぎません。今は、帰還の途につく時です。私たち霊的存在は、スコット隊と違って、遭難しても滅びることはありません。霊というのは決して死なないからです。遭難とは、ただ、このエネルギーレベルの低い状態に縛り付けられたままになることです。私たちはどんなに長くそこにいたとしても、必ずそこから本来の状態に戻ることができるのです。
 
勇気を出してください。信念を持ってください。私たちが一人でも多くこのことに気づいて、故郷に向けての道を歩き始めれば、ほかの人たちが気づく助けになります。スコット隊の人たちは、南極の激しい嵐の中を、雪の中に倒れ伏すまで、力の限り歩き続けました。私たちも、力の限り、この霊的世界の南極から霊の太陽の輝く中心世界に向かって歩き続けましょう。スコット隊と違って、私たちは、決して倒れ伏すことはないのです。

2005年8月10日


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