霊性の時代

A3 霊的存在であるとは


ほんとうに霊性の時代を迎えるには、「人間が霊的存在である」とはどういうことなのか、ということの本当の意味を知っておくことが必要です。霊性の時代とは、単に人間が少しばかり道徳的になるというようなことではないのですから。
 
私たちは、物質世界のような、形のあるものの世界になれています。そのため、あらゆる世界が、形のある物体と、それを入れる空間で成り立っているというイメージをもっています。霊的存在たちの住む世界も、なんとなく、何かの形を持った世界として想像してしまうのではないでしょうか。けれども、霊的存在たちは、身体をもっていません。いかなる形も持ってはいません。なぜなら、霊的存在というのは純粋の意識だからです。意識には、形も大きさもありません。霊的存在たちの住む世界には、何一つ形のあるものはないのです。
 
では、霊的存在たちの世界というのは、どんなものなのでしょうか。
純粋意識の存在形態を正確に表現するような言葉は、人間の言語の中には存在しません。けれども、強いてたとえれば、霊的存在の世界は、波動の世界であるということができます。それはテレビの電波に似ています。テレビの電波には形はありません。けれども、受信機で受信し、映像や音声に変換すれば、「形のある世界」が現われます。
 
あらゆる放送局のあらゆる番組の電波が、すべての場所に届いています。けれども、それは受信機で受信し、映像や音声に変換しなければ、私たちはその電波の存在にさえ気づくことはありません。私たちは、たくさんの放送電波の中から、自分の見たい番組だけを選んで受信します。選ばれなかった電波は、結果的にはまったく存在しないのとおなじです。
 
放送電波が持っているこのような特質は、霊的世界のたとえとしても、うまく当てはまります。放送電波の性質は、次のような項目に整理できます。
  1. いたるところに、すべての放送電波が同時に存在している。
  2. 受信機側で選ばない電波は存在しないのと同じである。
  3. 受信した電波は、映像や音声に変換しなければ意味が理解できない。
  4. 受信する電波の選択は、共振という現象を利用して行なわれる。

テレビの放送電波が、受信機のあるところにもないところにも届いているように、霊的世界においても、あらゆる霊的存在が発信する「電波」が、いたるところに届いています。それは霊的存在たちが放送する電波であると考えてもいいし、霊的存在たちはこの「電波」そのものだと考えてもかまいません。それらの電波には、愛や真理の情報を載せた電波もあれば、物質世界の情報を載せたものや、さまざまな存在たちの感情や理性の反応を載せた電波もあります。霊的世界には、スカイパーフェクトなどとはくらべものにならないほどの、ものすごいチャンネル数の「電波」が存在しているのです。
 
けれども、テレビの電波が受信しなければ存在しないのと同じであるように、霊的世界におけるこれらの「電波」も、受信しなければ存在しないのと同じです。「神の恵みの電波」はいたるところに届いていますが、私たちがそれを受信しなければ、ないのと同じです。さまざまな愛や知恵の情報を載せた「電波」も、あらゆるところに届いていますが、受信しなければないのと同じです。同じように、さまざまな恐怖や悪意の電波も存在します。それらが、どのようにして発信されるのかはあとで述べますが、霊的世界に存在する「電波」は、「よい情報」を載せたものばかりではありません。けれども、それらも受信しなければないのと同じです。どんなに恐ろしい放送がなされていようとも、自分がそれを受信しなければ、それに影響されることはないのです。
 
テレビの放送電波は、受信機によって変換されて、初めて意味のある映像や音声になります。霊的世界の「電波」も、受信したひと(霊的存在)がそれを映像や音声に変換して、はじめてその意味が見えてくるのです。私たち人間の場合には、受信した「電波」の変換を行なっているのは、私たちのエゴです。エゴが受信した情報を変換して、その意味を私たちに知らせてくれるのです。もし、私たちが、ハイアーセルフに意識の焦点を合わせていれば、エゴの代わりにハイアーセルフが変換した意味を教えてくれるでしょう。けれども、いまの私たちはエゴのほうに焦点をあわせているので、私たちはエゴが解釈した世界の姿を見ることになるのです。
 
同じ電波を受信しても、変換の仕方によって映像や音声が変わってきます。テレビの場合にも、受像機の調節がうまくいっていないと、形がゆがんだり色が変わったりします。たとえば、明るい青空の下で、緑の野原に白い猫がいる美しい映像が送ってきたとしましょう。もしこれが、受信機のせいで、暗い紫色の空の下で、赤い野原に黒い猫がいるような映像に変わったとしたら、私たちはどこかよその星の不気味な風景を見ていると思うかも知れません。いま私たちにエゴが見せてくれる世界の姿も、同じように、歪められ、色が変わっています。私たちは、外の世界のあるがままの姿を見ていると思っていますが、自分のエゴがどれくらいその姿を歪めているかには、気がついていないのです。
 
テレビ放送のたくさんの電波の中から見たい放送を選び出すのには、共振という物理現象が利用されます。テレビの受信機は、自分の中に発振回路を持っていて、チャンネルを選ぶときには、その回路の固有振動数を受信したい電波の周波数に合わせます。テレビのアンテナからはあらゆる電波が全部いっしょに入ってきますが、その中で、この固有振動数と同じ周波数の電波だけが受信回路に入っていけるのです。このようにして、テレビの受信機は、受信したい放送電波だけを選び出します。この、「自分の固有振動数と同じ周波数の電波だけを受信できる」という性質は、霊的世界の「電波」についても同じことがいえます。もし私たちが「神の恵みの電波」を受信したいと思ったら、それと同じ周波数に自分の心を合わせなければなりません。もし、私たちが、恐怖や欠乏の信念を持っていると、それに共振する同じような「電波」を受信することになるのです。
 
このように、霊的存在たちの世界は、いわば「電波」の世界です。私たち人間が「霊的存在である」というのは、私たち自身もこのような「電波」であるということなのです。私たちは、自分を地球という物質世界に住んでいる動物の一種であると考えていますが、それはいま受信している「電波」をエゴが解釈して見せてくれている映像なのです。このような「電波」を受信したとき、私たちはそれに対していろいろな反応をします。あるときは喜びに満たされるでしょうし、あるときは怒りや恐れを感じます。私たちのこのような反応は、それが思考であれ感情であれ、すべて「電波」として、霊的世界の中に放射されます。なぜなら、私たち自身が「電波」だからです。これが、霊的世界の「電波」の中に、恐怖や怒りや悪意の電波が存在する理由です。それらは、私たち人間のような霊的存在が作り出している「電波」なのです。
 
テレビの電波はある程度離れたところには届きませんが、霊的世界には距離というものがありません。私たちの発信する「電波」は、霊的世界の中のすべての存在に届きます。それは、その「電波」に共振する存在たちによって受信され、受信した存在たちがまた自分の反応を発信します。このようにして、無数の「電波」の集まりである霊的世界の中で、互いに共振しあう存在たちがグループをつくります。いま私たちが体験している地球という世界は、このようにして、大勢の霊的存在たちが共振してつくりあげている「電波の集合体」なのです。
 
私たちは、いま、地球世界という特殊な世界の情報を載せた「電波」に共振しています。もし、地球の世界を変えたいなら、地球世界の「電波」に対して、これまでと違う反応をすればいいのです。そのためには、まず、エゴが解釈している地球世界の姿を、唯一の現実だと思うことをやめなければなりません。私たちが現在見ている地球の姿は、単にエゴがそう解釈しているというに過ぎません。エゴの性質が変われば、その解釈も変ってきます。ハイアーセルフの解釈はまた違っています。エゴを高次の意識に統合していくと、いままでと違う地球世界が見えてきます。そして、いままで、怒りや恐怖や非難で反応していたのを、愛や賞賛や平和で反応することができるようになります。そのような反応の「電波」を送りつづければ、そのような「電波」に共振する存在たちとの間に、共振によるつながりが生まれ、やがてグループが生まれます。既に存在するほかのグループともつながるようになります。そのようにして、あなたは、いままでと違う周波数の「電波」のグループと共振するようになります。それは、やはり地球世界の情報を載せていますが、いままで体験していた地球とはまったく違う姿を示すはずです。それが、あなたが体験する「霊性の時代」なのです。■

2002年9月22日 掲載

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