光の時代

L14 神のコスプレ(H4)


「すべては神の遊び」・・・・これは、古いインドの哲学に出てくる言葉です。

私は若い時にこの言葉に出会いましたが、当時は意味が理解できませんでした。この世の現実を「遊び」などという言葉で表わされるのには、不快感さえ覚えました。けれども、いまは違います。「神の遊び」という言葉がよくわかります。この世界は、まさに、神の遊びなのです。神のコスプレ、コスチューム・プレイなのです。

遊んでいるのは神の分身、神の子たちです。根源的な存在を「神」と呼ぶことにしましょう。根源的な存在はただ一つです。神は一人ぼっちです。自分の他には何もないので、おもしろいことは何もありません。自分が何かをしなければ、何も起こらないからです。

そこで、神は遊ぶことにしました。神は、想像力豊かな女の子が、自分がお姫様になる物語を作り出すように、宇宙の物語を作り出しました。広い広い宇宙をつくり、その中にたくさんの世界を作り、その世界の中で、無数の「自分」が遊ぶようにしたのです。

神以外には誰もいないのですから、遊んでいるのはみんな神の分身です。孫悟空が身体の毛を吹いて無数の分身を作り出すように、神は自分の分身を宇宙の中にたくさんつくりました。これが神の子たちです。「蛙の子は蛙」と言います。同じように「神の子は神」です。神の子たちはみんな、神と同じように、無限の知恵があり、無限の力があり、無限の生命があります。

その、無限の知恵と力と愛と生命を持った神の子たちが、今度はどんなゲームをしようかと言って作りあげたのが、地球の世界です。神の子たちは、肉体という衣裳を着ました。この衣装は傷ついて破れたり、時間がたつと古くなって弱ってきます。そうすると、いったん退場して、服を着替えなければなりません。これは、遊びのルールです。そのような時間の制約の中で、恋をしたり、戦ったりするゲーム・・・・それが地球という世界です。

地球で遊んでいる神の子たちとは、あなたのことです。あなたは、本当は、無限の愛と無限の生命と、無限の知恵と無限の力を持った神の子なのです。

私の息子が幼稚園に行っていた時のことです。幼稚園で子供たちの劇がありました。演目は白雪姫。悪い女王が化けたおばあさんが出てきて、白雪姫に毒を塗ったリンゴを渡します。白雪姫がそれを食べようとします。

その時です。突然、客席の子供たちの中から声が上がりました。
 「食べちゃだめ〜っ」
けれども、白雪姫はリンゴを食べて、ばったり倒れます。
 「ほらあ、言ったじゃな〜い」
周りに立って見ていたお母さんたちは笑いを噛み殺すのに必死でしたが、子供たちは真剣だったのです。

いま、私たちは、この幼稚園の子供たちのように、あまりにもコスプレに夢中になって、自分を肉体だと思いこみ、本来の自分が神の子であったことを忘れてしまいました。いまは、私たちがそのことを思い出すときです。

コスプレをするのが悪いわけではありません。すべては「神の遊び」なのです。神は遊ぶ以外に何もすることはないのです。けれども、どんな遊びをするかには、無限の選択肢があります。今まで地球の上で続けてきたゲームだけしかできないわけではありません。

けれども、私たちが、自分が神の子であることを思い出さなかったら、遊びを変えることはできません。白雪姫を演じた子供が、自分を白雪姫だと思い込んでいたら、白雪姫以外の人生を送ることはできないでしょう。白雪姫はただのお芝居だと知っているからこそ、そこから抜け出して、人間としての人生を歩むことができるのです。

地球の黄金時代の始まり・・・それは、コスプレのテーマを変える時です。私たちが、本当の自分を思い出し、いま着ているコスチュームは脱いでもいいのだ、別の衣裳に替えて別の物語を作ってもいいのだ、と気づくべき時です。

地球はすでに新しい舞台を用意して、「これから、どんな物語を作るの?」と待っているのです。




2013年1月5日
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