アセンション

L8 天使の歌(E8)



私は、7月にE7ただ愛でありなさいを書いた後、サイトを更新していません。それは、もう書くこととがなくなってしまったからです。
 
私たちがアセンション――霊性の回復――に向かってなすべきことは、ただ自分自身の心を純粋の愛のエネルギーによって満たしてゆくことのほかには何もありません。アセンションとは、私たちが心の隅々まで愛によって満たされた「愛の人」になるということなのです。
 
そのことを書いてしまった以上、もはや私から皆さんにお伝えすることは何もありません。 けれども、もう少し書き続けなければならないと思うようになりました。それは、「愛でありなさい」といわれても、具体的にどうしたらいいのかわからない、という方がたくさんおられるからです。
 
私たちは、何かを「する」ことには慣れていますが、ただ何かで「ある」ということには慣れていません。絶えず、何かをしなければならないという強迫観念にとりつかれています。「こうするのはいいのか、悪いのか」という疑問に悩まされています。
 
いちばん多い誤解は、「愛でありなさい」「愛しなさい」といわれると、ただひたすら人に優しくしなければいけないと思うことです。誰かから危害を加えられても、暴力を受けても、ただ黙ってそれに耐えるのが愛だと思う人がたくさんいます。
 
確かに、キリストは、十字架につけられたとき、自分を殺そうとしている人たちのために祈り、「父なる~よ、彼らをお許しください。彼らは、自分が何をしているのか、わかっていないのです」と祈ったと伝えられています。
 
けれども、そのようなことができるのは、キリストほどの人でなければ無理です。もし、そこまでできなければ、霊性を取り戻すことができないといわれたら、誰も霊性を取り戻すことはできないでしょう。順序が逆なのです。キリストは、すでに霊性を取り戻していたので、そこまでのことができたのです。私たちのように、これから霊性を取り戻そうとしている人は、そこまではできませんし、する必要もありません。
 
お釈迦様は、前世で、「善人も悪人も、みな、仏性(ぶっしょう=霊性)の現れである」と言って、すべての人を拝んだそうです。そのため、前世のお釈迦様は「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」と呼ばれました。「常に人を軽んじない」という意味です。
 
前世のお釈迦様はすべての人を拝んだのですから、その中にはもちろん悪い人や危険な人もいました。人殺しや強盗もいました。そういう人に会ったときには、お釈迦様は逃げて、遠くから拝んだと言われています。前世のお釈迦様が、「危険な人からは逃げた」というところに注目してください。お釈迦様は、決して、悪い人にされるままになったわけではないのです。危険な人からは逃げました。けれども、決してその人たちを憎んだり、非難したりはしませんでした。安全なところまで逃げて、そこで、その人たちを拝んだのです。私たちは、キリストのまねはできませんが、お釈迦様のまねならできるのではないでしょうか。
 
現代の社会にも、危険な人はたくさんいます。身の回りにいなくても、毎日毎日、そういう事件のニュースがない日はありません。そういうニュースを耳にしたとき、私たちは無意識に、心の中で、怒りや憎しみや、非難や絶望の気持ちになります。けれども、「ただ愛である」というのは、そういう場合でも、心の中に愛の光を灯し続けるということなのです。
 
聖書には「絶えず喜んでいなさい。あらゆることに感謝しなさい」という言葉があります。周りで何が起こっていても、それに左右されずに、心の中に「愛」のエネルギーが満ちている・・・それが「愛である」ということです。危険な人がそばに来たら逃げてください。法的な手段に訴えて身を守ることもしてください。それでも、遠くから拝んだというお釈迦様のように、心の中でその危険な人に向かって「あなたにとって最善の道が開けていきますように」と祈ってください。それらの人々に、愛のエネルギーを送ってください

では、愛のエネルギーを送るために、どうしたらいいでしょうか。
 
一つの方法をお話しします。それは「歌う」ことです。歌ってください。心の中で・・・。あなたの愛を表現する歌を。絶えず歌ってください。歌い続けてください。私が若い頃、まだチャネリングという言葉はなく、今のチャネリングに相当するものは、霊界通信と呼ばれていました。そして、通信の内容も、霊界(=死後の世界)の様子を伝えるものが主でした。そんな頃読んだ一つの霊界通信に、こんな話がありました。
 
地上で悪いことをした人たちや、冷たく自己中心的な心をもっていた人たちの魂は、死後「地獄」というところに集まっています。地獄というと、神様が悪い人たちを懲らしめるために送り込む監獄のような場所だとイメージされていますが、そうではありません。この人たちは光に対して心を閉ざしているので、心の中が闇になっています。肉体がなくなると、私たちは自分の心の状態を生きているときよりももっと直接的に体験するようになります。それで、この人たちは実際に闇の世界に住んでいるかのように感じるのです。それが地獄です。
 
私が読んだ霊界通信によると、その地獄に、時々、天使たちが数人から数十人の集団で降りてきます。天使たちが地獄で何をするかというと、歌を歌うのです。近頃、大道芸やジャズバンドの演奏を街角でやったりすることがありますが、それと同じように、天使たちは地獄の街角で歌を歌うのです。天使の美しい歌声は、地獄の街の中に、しみ通るように、遠くまで響いていきます。そして、しばらく歌うと、天使たちはまた帰って行きます。
 
私は、この話を読んだとき、その意味がわかりませんでした。地獄に行ってただ歌うだけの天使というのが理解できませんでした。意味がないように思いました。けれども、今はそうではありません。天使が地獄の街中で歌うということの意味がよくわかります。天使たちは、地獄に愛のエネルギーを送り込んでいたのです。歌は音です。音は振動です。愛のエネルギーも振動です。音の振動に乗って、愛のエネルギーも地獄の街の中に浸透してゆくのです。
 
実は、いま、私のサイトを見に来るあなたたちは、みんな天使なのです。地球で歌を歌うためにやってきた天使なのです。あなたたちが歌うとき、伝わっていくのは空気の振動ですが、それと一緒に、心の波動も伝わります。それは愛のエネルギーの波動です。空気の波動は次第に弱まって遠くまでは伝わりませんが、心の波動は地球全体に伝わります。なぜなら、心の波動の世界には、距離というものがないからです。
 
歌ってください。声を出せるときはもちろんのこと、出せないときでも、心の中で歌い続けてください。あなたの愛を表現する歌を、歌い続けてください。「愛である」ために、何か特別の仕事をしなければならないわけではありません。日常の生活を普通に続けていていいのです。けれども、心の中で、絶え間なく、愛の歌を歌い続けてください。あなたの心の歌声が、地球のあらゆる場所に響き、あらゆる人の心に届くことをイメージして、歌ってください。
 
あなたたちは、地球で歌うためにやってきた、宇宙の天使なのです。

2008年11月16日掲載

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