アセンション

L7 ただ愛でありなさい(E7)



あなたは「アセンション」をしたいと思っていますか?
それなら、ただ「愛」でいることを学びなさい。
 
あなたは「覚醒」を求めていますか? 
それなら、ただ「愛」であり続けなさい。
 
あなたは「霊性の回復」を望んでいますか? 
それなら、ただ「愛の化身」として生きなさい。
 
     ☆  ☆  ☆
 
この宇宙に存在するものは、唯一つしかありません。それは「愛」です。
 
私は「愛」をエネルギーだと言います。それは物理学的なエネルギーではありませんが、眼に見えなくて、働きだけがあるので、エネルギーと呼ぶのが適当だと思うからです。
 
宇宙を作っているのは、ただ一種類のエネルギー「愛」だけです。「愛」は、物理学が扱う電磁波と同じように、振動するエネルギーです。振動する速さによって性質が変わってきます。ちょうど電磁波が、振動数の低いときには電波と呼ばれ、振動数が高くなると眼に見える光になり、もっと振動数が高くなるとX線やガンマ線になるように、愛の波動も振動数が高くなるにつれて性質が変わってきます。
 
振動数の低い愛を、私たちは恐れや怒りや悲しみとして感じます。また所有欲や支配欲などの欲望としても感じます。愛の振動数が高くなってくると、私たちはそれを喜びや豊かさや優しさや感謝として感じるようになります。もっと振動数が高くなると、私たちはそれを無条件の愛、無私の愛、神的な愛として感じます。
 
いろいろな振動数の音が混じると独特の音色が生じるように、いろいろな振動数の「愛」が混じると、独特の味わいを持ったエネルギーが生まれます。私たちは、一人一人が固有の色合いを持った「愛」のエネルギーを持っています。それは、一人一人が持っている愛の振動数の混じり方が違うからです。
 
人間だけではありません。宇宙を構成するエネルギーは愛だけですから、宇宙に存在するすべてのものはそれぞれが固有の愛のエネルギーを持っています。山も川も、水も風も、植物も動物も、みんな固有の「愛」を持っています。太陽も月も星も、遠くの銀河も足元の地球も、何もない空間でさえも、固有の「愛」を持っています。
 
人間は、一人一人、固有の「愛」を持っているだけではありません。人間は自分の「愛」の振動数を自分で変えることが出来ます。私たちは自分のエネルギーの色合いを自由に変えることができ、またそれによって、大勢が集まって、自由自在に、変化に富んだ「愛」の交響曲を作り出すことが出来るのです。
 
私たち人類は、地球という美しい舞台で、壮大な「愛」のシンフォニーを演奏するために、地球にやってきました。私たちが、いま、「愛」のシンフォニーを演奏しているのは間違いありません。なぜなら、私たちがすることは、それ以外には何もないからです。けれども、いま私たちが演奏している曲は、少し低音――振動数の低い「愛」――が多すぎるのではないでしょうか。そのために、地球世界には多くの恐れや怒りや悲しみがあります。もう少し、低音部を減らして、高音部を増強すれば、もっと美しい「愛」の音楽になるはずです。あるいは、全体を1オクターブ上げて演奏しましょうか。そうすれば、いままでと同じ世界のように見えながら、まったく違った雰囲気の世界になるでしょう。
 
アセンションとは「上昇する」という意味です。何が上昇するのでしょうか。愛の振動数です。アセンションとは、地球世界の「愛」の振動数を上げることなのです。
 
霊性とは「愛」の振動数が高いことを言います。私たちは、霊性を失うとどのようなことが起こるかという実験のために、私たちの「愛」の振動数を下げてきました。下げられるだけ下げてみたのが、今の地球世界です。ですから、いま地球の上で演奏されている愛のシンフォニーには低音が多いのです。私たちがふたたびもとの世界に戻るためには、いままで振動数を下げることにつぎ込んできた努力を、振動数を上げることにつぎ込まなければなりません。皆さんの一人一人が、自分自身の「愛」のオクターブを上げる努力をしてください。それがあなたのアセンションです。
 
「愛」の振動数をあげるには、どうすればいいのでしょうか。一言で言えば、「非難」することをやめることです。口に出さないだけでなく、心の中でも、あらゆる物事に対する非難をやめてください。
 
自分自身の一日をよく観察してみてください。私たちはたいてい、朝から晩まで、何かを非難しています。世界のあちこちで起きている戦争やテロ、自国の利害に囚われて総論賛成・各論反対の状況から一歩も動き出せない世界の政治家達、自社の利益のことしか念頭にない経済人たち、理解できない殺人事件を起こす人々などの遠くの人から、身の回りの親、子、配偶者、兄弟姉妹、学校の同級生、職場の上司や同僚まで・・・ありとあらゆる人や出来事に対して、私たちは少しずつ非難の気持ちを持っているのではないでしょうか。中には、自分では非難だと思わないような非難もあります。けれども、誰かのすることが気に入らないとか、あれは間違っていると思ったら、それがどんなに小さなものであっても、それは非難です。
 
そして最後に自分自身・・・わたしたちは、自分自身に対しても、不平不満を持ち、後悔したり、落ち込んだり、心配したりします。これも全部軽い、あるいは深刻な「非難」なのです。
 
このような状況の中で、「非難することをやめなさい」というのはまったく非現実的に聞こえるでしょう。
 
けれども、愛とは非難しないことです。不平を言わないことです。あらゆる物事、あらゆる人が、あるがままであることをゆるし、そのままで受入れてください。あるがままの姿に対して心の中で微笑んであげてください。愛というのは心の中の微笑みです。
 
「あるがままを受け入れる」というのは、例えば、誰かがあなたに危害を加えようとするときに、それを黙って我慢するということではありません。危険な人からは逃げてください。場合によっては対抗手段をとってください。あるがままを受け入れるとは、その人が危険な人であるという事実に目をつぶることではありません。むしろ、その事実を素直に認めるということです。しかも、その人がそのような生き方をする権利を認めることです。権利は認めますが、危害が他に及ばないように対抗手段はとります。私たちは、虎や狼のような危険な動物に対して、近づかないようにしたり、人里に下りてこないようにする防衛手段はとりますが、彼らの生存権は認めますね。それと同じです。そして、そのような人たちに対しても、心の中で微笑み、祝福を送ってください。それが「あるがままを受け入れる」ということです。
 
多くの人は「あるがまま」をゆるすと、その状態がそのまま続くのではないかと心配します。けれども、そうではありません。いま地球の上にある「あるがままの姿」は、札幌の雪祭りのように、雪と氷で出来た彫刻だと考えてください。これを非難するということは――たとえそれが心の中だけでしていることであっても――これに冷たい風を吹きつけることです。氷の彫刻はますます固くなり、鋭くなって、立ち続けます。一方、これに「愛」を送るということは、暖かい風を吹きつけることです。氷の彫刻はやがて柔らかくなり、融け始め、ついには崩れ落ちてただの水になってしまうでしょう。
 
けれども、あなたが愛を送った人について、いつ氷が解け始めるかを気にかけないようにしてください。結果を期待すると、その分、あなたの「愛」の温度は下がります。なぜなら、結果を期待するのは「愛」ではなく「欲」だからです。
 
あらゆる人、あらゆる出来事、そして自分自身のあらゆる状態に対して、心の中でにっこり笑ってあげてください。愛とは心の中の微笑みです。毎日、毎日、心の中に微笑みを絶やさないようにしてください。私たちがアセンションに向かってなすべきことは、それ以外には何もありません。


2008年7月1日掲載


☆印刷用テキスト

inserted by FC2 system