アセンション

E5 癒しの道



最近、世間では「癒し」という言葉がよく使われるようになっています。「癒し系」の絵、「癒し系」の音楽、香り、光、スローフードや自然食、マクロビオティック、温泉浴、森林浴、ヨガ、瞑想、そして、さまざまなカウンセリングやセラピーなど・・・・いろいろな癒しの方法に人気が集まっています。高いお金を払って南太平洋の島に出かけて浜辺に寝そべる人から、CD1枚を繰り返しかけながらソファに寝そべる人まで・・・・お金のかけ方も、時間のかけ方もいろいろですが、それでも、多くの人が癒しを求めて何かをしようとしています。交通事故や、犯罪や、自然災害などで愛する人を失って心に深い傷を負った人たちに対しても、心のケアの必要性が認識されるようになり、腰の重い公的機関でさえもそういうことに関心を示し始めています。いまでも、年配の男性の中には「癒しなんて、女の子のすることだ」と決めつけてバカにしている人もあるようですが、実は、このように多くの人が癒しを求めているのは、人類が霊性を回復するときが来ていることと無縁ではないのです。なぜなら、霊性を回復するということは、私たちの心を癒すことだからです。
 
A10 心を統合するでお話ししたように、人間の心というのは、ただ一つのかたまりではなく、無数の要素的な機能からできています。人間の心は、会社のような一つの組織体なのです。その組織が、全体としてまとまって統一の取れた動きをしていれば、人間が霊性を失うことはなかったでしょう。けれども、いま、人間の心はバラバラに壊れていて、その各部分が互いに敵対的な関係にあるような状況に陥っています。それは、「霊性を忘れた状態」を実験しようとした霊的存在たち――つまり私たち自身――が、自分でわざと心を分解してしまったからです(A1霊性の時代とは)。
 
したがって、私たちが霊性を取り戻すためには、このバラバラに壊れた心を元通りに、統一の取れた一元的な組織体に戻さなければなりません。これが本当の意味の「癒し」なのです。
 
もちろん、現在世の中で行われている癒しのすべてが、霊性を取り戻すところまで視野に入れているわけではありません。大半は、目に見える肉体や心の不具合を解消するために、心を調整することを目的にしています。それでも私は、どんな癒しでも霊性の回復につながると考えています。なぜなら、霊性の回復につながるような深い癒しを行う前には、まず、眼に見える不具合を生み出している心の浅いところの傷を癒さなければならないからです。人々は、たとえ自分では気付いていなくても、癒しの道を通じて霊性回復へ向けて動き出しているのです。
 
癒しの第一歩は、自分が癒しを必要としていることを認識することです。キリストは「健康な人には医者は要らない」と言いましたが、これは、文字通りの意味であると同時に、「自分を病人だと自覚しない人は、医者なんて必要ないと思っている」という意味でもあるのです。自分が病気かも知れないと思わなかったら、私たちは病院に行くことはありません。心の癒しも同じです。
 
けれども、肉体や心に特別の不具合がない人は、健康な人なのではないでしょうか。実はそうではありません。現在地球に住んでいる人類のほとんどすべては、霊的な意味では、心の癒しを必要とする病人なのです。もしあなたが、世界の中に、戦争や犯罪や環境汚染や貧困や伝染病や自然災害など、困った問題と思うものを見ているなら、あなたは癒しを必要としています。なぜなら、人が見る世界はすべてその人の心の反映だからです。私が見ている世界は私の心の反映であり、あなたが見ている世界はあなたの心の反映です。私たちは、みんな共通の同じ世界に住んでいると思っていますが、実は一人一人違う、自分の心を反映した世界に住んでいるのです。
 
心の浅いところには、私たちが生まれてから成長してくる過程で遭遇したさまざまな出来事によって作り出された傷や感情エネルギーの塊が残っています。それらの中には、過去世から持ち越されたものもあるかも知れません。それらは、私たちの心がスムーズに働くのをさまたげ、性格や考え方に影響をあたえます。それらは、私たちが身の回りの物事に反応する態度にも制約を加え、片寄った応答を生み出し、最終的には人間関係や経済状態や社会的な状況にも影響を及ぼします。世の中の多くの癒しは、このレベルの癒しを目指しています。
 
心のもっと深いところには、世界の全体の状況を生み出すような心のエネルギーが溜まっています。もしあなたが「正しいことは一つしかない」と考えていて、さらにときどき「自分が正しくて人が間違っている」という考え方をすることがあるなら、それは戦争として反映される可能性があります。なぜなら、戦争をする人たちは、つねに自分が正しくて相手が間違っていると考えているからです。もしあなたが、「世の中には悪い人がいるから気をつけないといけない」と思っているなら、それは犯罪者として反映される可能性があります。「物資は有限だから、みんなで仲良く分けないと大変なことになる」と考えているなら、それは国家の間の資源獲得競争として現れるかもしれません。「仲良く分けなければならない」という考えが競争を生み出すのではありません。「物資は有限だから」という考えが競争として映し出されるのです。それらの考えを、あなたが一言も口にしたことがないとしても、それは世界に影響を与えます。どんな小さなことであろうとも、あなたが怒りや恐れや憎しみや軽蔑や自負や誇りや無関心などの感情を持っているなら、それらは世界の中のさまざまな「欠点」として現れる可能性があります。あなたは外の世界を見ていると思っていますが、実は自分の心の中を覗いているのだからです。
 
そして、その心のいちばん奥には、「この肉体が自分である」という観念があります。肉体が死ねば、自分はなくなってしまう、という恐怖があります。人間はみんな別々の生き物だから、他人の考えることはわからないという不信があります。私たちが霊性を取り戻すためには、これらの「分離の観念」を癒す必要があります。これらは、私たちが体験する物質世界の根拠になっているからです。
 
ふつうの癒しが対応する心の浅いところの傷と、いちばん深いところにある「分離の観念」とは、ずいぶんレベルが違うように見えますが、私は、一つの癒しの道の延長線上にあると思っています。
 
私たちの心は、たくさんのつる草や大小の樹木によって覆われた家のようなものです。あまりにも樹木の覆いが深いために、世界も空も見えなくなっています。けれども、つる草を払い、樹木の枝を落とし、大木を切り倒して、この覆いを取り除いていくなら、美しい青空や、色とりどりの草花の咲く世界を見ることが出来るようになります。
 
キリストは言いました。「心の清いものは神を見る」と。心の清いものとは、雑思考や雑感情のジャングルに覆われていないという意味です。心の傷を癒し、心を清く透明にしてゆくこと――それが霊性を回復するということなのです。

2008年5月6日掲載

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