アセンション

E2 他人(ひと)を愛する−2



私たちは「あの人は好きだけど、この人は嫌い」という風に、人によって好き嫌いの差別をします。そして、好きな人のことを「愛している」と言います。愛するというのは、好きになることだと考えています。英語では、僕は野球が好きだ、というのにさえラブという言葉を使います。
 
けれども、ほんとうは、このように相手を区別するものは愛ではありません。相手によって変わるものは愛ではありません。ある人は愛するけれどもほかの人は愛さない、ということは不可能なのです。自分は愛するけれども他人は愛さない、あるいは他人は愛するけれども自分は愛さない・・・そのようなことは、不可能なのです。
 
愛はつねに無条件です。相手によって変わりません。状況によっても変わりません。皆さんは、子どもの頃、「よい子のみなさ〜ん」と呼ばれて、「僕はよい子じゃな〜い」と反発したことはありませんか。よい子は愛する、悪い子は愛さない、というのは愛ではありません。子どもたちは、本能的に、それを見抜いているのです。
 
いったい愛とは何でしょうか。なぜ、相手によって変わらないのでしょうか。
 
愛が相手によって変わらないのは、愛が相手に対する反応ではないからです。愛というのは、あなたの心の温度です。あなたの心の温度が高ければ、あなたはあらゆるものに対して温度の高い反応をします。あなたの心の温度が低ければ、あなたはあらゆるものに対して温度の低い反応をします。あなたの心の温度が高いか低いかは、相手によっては変化しません。これが、愛がつねに無条件である理由です。
 
私たちは「何々を愛する」という言い方をします。「愛」を他動詞だと考えています。けれども、本当は、愛は自動詞なのです。愛はただ愛するのです。何か対象があるから愛するのではありません。愛するに足る何かがあるから愛するわけではありません。愛は、ただ、自分の本性として愛するのです。
 
それは太陽が輝くのと同じです。太陽は地球があるから地球のために光を放つわけではありません。惑星のある場所にだけ光を送るわけではありません。地球には光を送るけれども火星には送らない・・・そんなことはしません。惑星のある方向にも、何もない空間の方向にも、惜しげもなく光を送ります。それは、太陽が、ただ、自分の本性として輝くからです。
 
愛も同じです。愛は対象をえり好みしません。対象があろうが無かろうが、あらゆる場所で、あらゆる状況の中で、愛の光を放ち続けます。愛する理由があるから愛するわけではありません。愛することの効果を期待して愛するわけではありません。愛はただ、自分の本性として、無条件に、無差別に、無目的に、愛し続けるのです。
 
キリストは「互いに愛し合いなさい」と教えました。私たちも、愛し合うことの重要性は理解しています。けれども、努力して愛することはできません。心の温度の低い人が、努力して温度の高い反応をしようとしても、破綻するだけです。そのようなことをしようとすれば、人をも自分をも傷つけてしまいます。
 
けれども、自分の心の温度が高くなるように努力することはできます。それどころか、心の温度は自分で高めるように努力しなければ高くなりません。それは、あなたの心の温度であって、他人の心の温度ではないからです。誰も、他人の心の温度を高めることはできません。逆に言えば、あなたの心の温度は、あなたが高めようとしない限り、決して高くなることはありません。
 
「霊性を取り戻す」というのは、心の温度を高めることです。少しだけ温度が高くなった人は、この地上で「心の温かい人」と呼ばれます。「愛深い人」と呼ばれます。けれども、もっともっと心の温度が高くなると、その人は物質の法則を超えるようになります。物質世界に縛られなくなります。からだは透明になるかもしれません。光り輝くようになるかもしれません。時間も空間も超越して、別の次元の世界にさえ自由に出入りできるようになります。あらゆるものごとに対するその人の反応は、普通の人間には想像もできないものになるでしょう。それが霊性なのです。
 
宇宙を成り立たせている唯一の根源のエネルギー・・・・それは愛です。愛エネルギーの密度の高い世界、それが霊性の世界です。愛エネルギーの密度の低い世界、それが物質世界です。私たちは、霊性を取り戻そうとするなら心の温度を高める努力をしなければなりません。心の温度が高くなれば、私たちは自然に他人をも自分をも愛するようになります。心の温度が高くなれば、私たちは自然に霊性を取り戻します。
 
では、心の温度を高めるには どうしたらいいいのでしょうか。
 
まず第一に、そうしようという決心をすることです。人間は、自分で自分のあり方を決める存在です。あなたの心の温度を高めようと決心できるのは、あなたのほかにはありません。まず決心してください。それが第一歩です。しかも、とても大きな一歩です。
 
第二に、心に「愛のエネルギー」を受け入れてください。愛のエネルギーは宇宙から絶えず送られてきています。ただ、それを受け入れようとする人しか、それを受け入れることはできません。愛のエネルギーが無理やりにあなたの心に押し入ってくることはありません。なぜなら、そのようなことをすれば、あなたの自由意志をそこなうことになるからです。

愛のエネルギーをあなたの心に受け入れるためには、あなたがそれを求めなければなりません。そのためには、あなたの心に愛のエネルギーが流れ込んでくることを想像してください。絶えず想像してください。そうすれば、やがて、想像は現実になります。あなたの心は愛のエネルギーによって満たされるようになるでしょう。あなたはなぜか、理由もなく心の中が暖かくなり、世界が美しくなったように感じます。あなたの心の温度が上がり始めているのです。

けれども、愛のエネルギーを心に受け入れて貯めるだけではいけません。愛のエネルギーは静止したとたんに力を失います。愛のエネルギーは絶えず流れていなければならないのです。あなたの周りのあらゆるものに、あらゆる人に、あらゆる出来事に、そのエネルギーを振りまいてください。周りのあらゆるものごとに、あなたの胸からあふれ出た愛のエネルギーが流れていくと想像してください。愛のエネルギーの流れは目には見えませんが、あなたにその意思があれば、愛のエネルギーは必ず流れていきます。
 
第三に、ものごとを善悪で二分するのをやめてください。善悪という角度から見るのをやめるのです。すべてを自然現象であるかのように見てください。北風は寒いからといって、誰も「北風は悪い風だ」とは言いません。ただ北風を防ぐ工夫をするだけです。それと同じように、何か自分に不都合なことがあっても、それを「悪い」といわず、ただその不都合を避ける工夫をしてください。そして、心の中では、その不都合に対して、またその不都合をもたらした人に対して、愛エネルギーを送り続けてください。

善悪だけではありません。私たちの心には、あらゆるものごとを、よいか悪いか、好きか嫌いか、損か得か、役に立つか立たないか、といった基準で分類する習性があります。この習性が働くと、エネルギーの流れが止まります。「悪い」ほうに分類されたものには愛のエネルギーを送りたくなくなるからです。嫌いなものにも、自分に損害をもたらすようなものにも、私たちは、愛のエネルギーを送りたくないと思います。けれども、むしろ「悪い」と思うものに気付いたら、それこそがもっとたくさんの愛エネルギーを必要としている場所なのだと思って、心の中でその人、あるいはその出来事に、愛エネルギーを送ってください。
 
絶えずこのようにしていると、次第に世界を「よいもの」と「悪いもの」に分類する習性がなくなっていきます。そして、無条件、無差別に愛エネルギーを送ることができるようになってきます。愛というものが、善悪という道徳にも、好き嫌いという感情にも、損得という計算にも、役に立つか立たないかという価値判断にも無関係なものだということがわかってきます。あなたは、ただ、あらゆる人、あらゆる出来事に対して、つねに絶え間なく愛エネルギーを送り続けるようになります。
 
これが「他人(ひと)を愛する」ということの、本当の姿なのです。

2007年6月30日

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