対話2 意識の中の旅人との対話

7: 80−88


80 夜明けの見張り人: そのとおりです。だからこそ、多くの宗教家が出て、この集合意識の罠から逃れる方法を教えようとするのです。
 
 私がホームページを開いているのも目的は同じですが、私のやりかたが普通の宗教家と少し違うのは、具体的な方法もさることながら、むしろ「霊性を回復するとはどういうことなのか」「集合意識をダウンロードするとはどういうことか、アンロードするとはどういうことか」ということを、数多くのたとえでお話して、そのイメージをつかんでもらうように努力している点です。そのようなイメージをしっかりつかんでいなければ、何かの方法を教えられてそれをやみくもに実習したとしても、効果が薄いだけでなく、場合によっては、予期しないところへ漂流してしまう可能性さえあると、私は考えているからです。
 
 そこで、もう一つ別のたとえをお話しすることにしましょう。
 
 旅人さんは「音叉(おんさ)」というものをご存知でしょうか。英語ではチューニング・フォークと言います。これはU字形の金属で、U字の曲がっているところに棒を突き刺して柄を作ってあります。全体としては、Yの字を縦に細長く引き伸ばしたような形をしています。大きさは、柄の部分を含めて、15センチか20センチほどのものです。柄を持って、U字形の金属の部分を別の棒で叩くと、ピーンと音をたてます。音叉の特徴は、この音の高さがいつも一定だということです。このため、楽器の音や合唱の声の高さを一定の高さにあわせるのに使います。
 
 いま、人間は皆この音叉のようなものであると考えてください。音叉が振動する振動数は音叉のひとつひとつに決まった値なので、これをその音叉の固有振動数と言います。音楽用の音叉の固有振動数はいつも一定ですが、人間の音叉は固有振動数を自分で変えることができると考えてください。
 
 人間がそのような音叉のようなものであるとすると、いま、この地球の上には60億の音叉があることになります。これらの音叉は、みなそれぞれの固有振動数で振動します。もし固有振動数の近い音叉があると、それは互いに共鳴しあって、一緒に振動します。いま地球の上の人類は、このようにして一緒に共鳴し合っている巨大な音叉群であるといえます。この人類が共鳴している振動数が人類の集合意識です。
 
 もしあなたの固有振動数がこの人類の集合意識の振動数に近いとすると、あなたは人類の振動からエネルギーを受け取り、同じ振動数で振動し始めます。これが、集合意識をダウンロードするということです。ダウンロードと言うと、何か意図的にダウンロードしたりしなかったりできるように聞こえますが、実は、これは自動的に起こる現象です。ダウンロードするかしないかを決めるのは、その人の固有振動数なのです。固有振動数が近ければ、自動的にダウンロードが起こります。
 あなたが振動すると、そのエネルギーは集合意識のほうへ送り返されます。これがアップロードです。このようにして、振動数が近い人たちは、互いに振動エネルギーをダウンロードしたり、アップロードしたりして強めあい、巨大な集団を作るのです。
 
 もし、あなたが自分の固有振動数を変えて、人類の集合意識から遠く離れた振動数にすれば、人類の集合意識のエネルギーはあなたの中に入ってこなくなります。あなたは集合意識の影響を受けなくなります。これがアンロードです。
 
 仮に、死んで、あの世にいる間は、集合意識のエネルギーから切り離されていたとしても、また生まれたときに、前と同じ固有振動数を持って生まれてきたら、前と同じグループに自動的に結合することになります。これが、肉体があってもなくても、私たちは集合意識から離れることはできない、という意味です。
 
 私たちが、人類の集合意識の影響を受けなくなるためには、自分の固有振動数を変えるしか、方法がありません。そのことを一生懸命に教えようとしたのが、釈迦やキリストなのです。

81 意識の中の旅人: つまり現在の人間は、固有振動数を調節するダイヤル(ラジオの選曲ダイヤルのようなものと考えて下さい)が自分に存在する事すら、忘れている訳ですね。
 
 <私のやりかたが普通の宗教家と少し違うのは、具体的な方法もさることながら、むしろ「霊性を回復するとはどういうことなのか」「集合意識をダウンロードするとはどういうことか、アンロードするとはどういうことか」ということを、数多くのたとえでお話して、そのイメージをつかんでもらうように努力している点です。>私と同じように見張り人さんはもともと理系の人間ですから、たとえを使って理論的に解り易く説明する事に関しては得意ですよね。

82 夜明けの見張り人: <つまり現在の人間は、固有振動数を調節するダイヤルが自分に存在する事すら、忘れている訳ですね。>
 そのとおりです。これから、固有振動数の調節とはどういうことかをお話しようと思うのですが、旅人さんは、このダイヤルはどんなものだと想像されますか。

83 意識の中の旅人: <旅人さんは、このダイヤルはどんなものだと想像されますか。> この調節ダイヤルは私達の意識そのものだと考えています。とは言いましても、これだけでは何のことかピンと来ない人が大半でしょうから、見張り人さんに習ってここでも、例えを挙げて説明してみたいと思います。
 
 カメラのレンズの構造はご存知でしょうか?レンズが固定されている所謂“固定焦点”のレンズで無く、ピントが調節出来る様になっているレンズのことをここでは指しています。レンズユニットは通常2枚から数枚程度の凸レンズや凹レンズが組み合わさって出来ており、ピント調節用のレンズが前後に動くことによってピント(焦点距離)を調節する仕組みとなっています。
 
 私はこの“調節ダイヤル”とは、私達の意識の中に存在している“レンズ”だと考えます。私達の意識そのものが大きなレンズだと言っても過言ではありません。
 
 私達は現在、自分の意識の焦点を肉体に合わせています。そのために多くの人間が、肉体を自分自身だと考えているのです。そして意識の焦点をハイヤーセルフ寄りに合わせた状態がすなわち、人が瞑想状態にいるときではないかと、私は考えます。
 そしてこの意識の焦点をどこにも合わせていないときの状態、カメラであればピントがぼやけている時の状態ですね、これこそが私達が“宇宙意識”に到達しているときです。
 
 つまり私達の意識は本来宇宙全体に散りばめられています。もっとはっきり言えば私達は宇宙そのものであり、宇宙と一体で、切り離すことが出来ない存在です。
 このことを先日私は瞑想中に、直感的に体験することが出来ました。
 
 私達は本来自分の意識の焦点を何処にでも自由に合わせることが出来る能力を持っているのです。私達が自分の意識を肉体からハイヤーセルフ更には、高次元の意識に合わせることによって自分自身の波動を上げることが出来ます。逆に、自分自身の肉体に執着したり、3次元の物質やお金に執着したりすることにより、今よりも波動を下げることだって可能なのです。

84 夜明けの見張り人: カメラのたとえは面白いですね。レンズの焦点位置を変えることによって、私たちは低次元の意識にも、高次元の意識にも焦点を合わせることができる、というのも、適切なたとえだと思います。私が「自分を探すアリス」の中で述べた「スポットライトのたとえ」に似てますね。
 
ただし、私は、宇宙意識の状態というのは、どこにも焦点があっていないのではなく、あらゆるところに焦点が合っている状態だ、と言いたいと思います。なぜなら、宇宙意識の状態とは、あらゆるものをクリアに理解している状態だからです。
 
さて、<80>で、私たち人間は、音叉のようなもので、振動数の近いもの同士が共鳴しあって集まり、グループをつくるという話をしました。そしていま、人間が自分の固有振動数を変えるのは、意識の焦点をどこに向けるかということだということがわかりました。
 
 では、振動数を変えていくと、人間はどのように変わっていくのでしょうか。旅人さんは、肉体や物質やお金に執着すると波動が下がるといわれました。では、波動の高い人というのは、どんな人のことでしょうか。

85 意識の中の旅人: <私は、宇宙意識の状態というのは、どこにも焦点があっていないのではなく、あらゆるところに焦点が合っている状態だ、と言いたいと思います。> そうですね、その表現方法の方がより適切かも知れませんね。
 
 さらに、<宇宙意識の状態とは、あらゆるものをクリアに理解している状態だからです。>と言う事は、私達が本来の姿を取り戻したならば、学校に行って嫌いな勉強をする必要性すらもなくなる、とも言えますね。なぜなら本来であれば私達霊的存在は宇宙と一体であり、宇宙の中で起きている事は全て、理解できる(理解している)存在だからです。
 
 <旅人さんは、肉体や物質やお金に執着すると波動が下がるといわれました。では、波動の高い人というのは、どんな人のことでしょうか。>はい、一言でいうと、宇宙の本当の姿をより良く理解している人、と言えます。理解していると言うのは、理性で理解しているだけでなく、直感的に心で理解している状態も含みます。
 
 それでは、宇宙の本当の姿を理解している人とはどういう事なのか、具体的に列挙して見ましょう。
・自分は肉体的(物質的)な存在ではなく、霊的存在(純粋な意識存在)である
・我々が外の世界(現実世界)だと思い込んでいるもの正体は、私達の意識の中にできた夢の様なものである
・私達の肉体を含め、目の前のパソコンやテーブルと言ったあらゆる物質は、実は私達の意識エネルギーの一部が振動数を下げたことによって凝固した(固まった)ものである
・従って、私達の目の前にある様に見える物質は、実は私達の意識の一部分である、私達から分離する事は不可能
・宇宙はひとつである、“私”・“あなた”という個人(自我)は実際には存在しない、現実体験を面白くする為に私達が自ら創り出した妄想或いは創造物である
 これらはほんの一部です。精神世界に興味をお持ちの皆様の事ですから、同じ様な事を他のサイトや書籍で聞いた事が一度は有るのではないでしょうか。
 
 これらの宇宙の真実をより直感的に理解すれば(思い出せば)自然とその人の意識エネルギーの振動数は高くなるはずです。
 
 また振動数が高くなった人間は音叉の様に振動数が高い宇宙存在と共振することにより、彼らとより交流し易くなります。そして彼らを通じて宇宙の真実にさらに触れていくことになります。

86 夜明けの見張り人: 旅人さんのおっしゃるとおりです。私も理解という言葉が好きで、「霊的な覚醒とは、宇宙のすべてをクリアーに理解していることである」というような言い方を使います。けれども、「理解」というのは、波動が高い状態の一つの側面に過ぎません。もっと重要な、もっと本質的な、側面というより土台といったほうがよいようなものがあります。それが何だか、旅人さんはお分かりになるでしょうか。
 
 それは「愛」です。波動の高い人は、例外なしに、非常に愛深い人です。愛がない人は、たとえどんなに完璧な理解があろうと、どんな超能力を持っていようと、波動が高いとはいえません。それほど愛は本質的なものです。なぜなら、愛は、宇宙の根源的なエネルギーであり、「生命」そのものだからです。
 

87 意識の中の旅人: “愛”が宇宙の根源であり、本質であると言うのは私も同意見です。しかしそれだけで終わってしまいますと多分この対話を読んでくれている多くの人々に誤解を与えかねませんので、私から少し解説をさせてください。
 
 それはまず、ここでいう“愛”の定義をしっかりとさせておく事が重要だと考えます。
 私達が普段表現する“愛”という言葉は、「恋人を愛する、親が子を又は子が親を愛する」と言った意味で使われる事が多いですよね。これは自分と他人と言う分離感が基本になっている事にまず気付いてください。更に、「私がアナタを大事にしてあげているのだから、アナタも私の方に目を向けてよ」と言う“見返り”の心が含まれている事が多いのにも気付いて下さい。さらに私達は、愛するものを取られたと感じると“嫉妬”や“妬み”と言った感情を抱きますが、これは「相手を独り占めにしたい、自分の傍に置いておきたい」という占有欲”がもとになっているという事にも気付いて下さい。
 上記の様なものは、宇宙の根源的な“愛”ではありません。
 
 それでは見張り人さんは、“宇宙の根源的な愛、宇宙の本質から来る愛”とはどのようなものだと思いますか。この対話の中で実は何度も出てきていることですが、重要な事柄ですので復習の意味で取り上げる事にしました。。
 
 今度は私から見張り人さんへ質問です。出来るだけ解り易い表現で説明して頂けますか。

88 夜明けの見張り人: 『親が子を愛する、子が親を愛する、夫が妻を愛する、妻が夫を愛する、男が女を愛する、女が男を愛する、師が弟子を愛する、弟子が師を愛する、友人を愛する、仕事を愛する、故郷を愛する、祖国を愛する、というような言葉で、われわれは何かしら「愛のようなもの」は知っている。しかし、われわれは、本当の愛が何であるかを知らない』。これは、20世紀初頭のスウェーデンの哲学者スウェーデンボルグが、その著書の一つの冒頭に書き記した言葉です。
 
 「宇宙の根源的な愛」とはどのようなものであるかをわかりやすく話せ、という旅人さんのご要望ですが、どんな言葉を持ってきても、愛を説明することはできません。私が愛についてたくさんのことを語るのは、私の言葉によって愛とは何かを理解してもらうためではなく、物質世界にとらわれていた心が、宇宙の根源のほうに向くきっかけになればいい、と思ってのことです。「愛」を頭で理解することはできませんが、心がそのほうに向いていれば、自然に「言葉にならない理解」をもてるようになっていきます。それが「根源の愛」の働きなのです。
 
 ほかのページに書いていることをここで繰り返したくはありませんので、関心のある方は「愛のエネルギー」「自分を愛する」「神の正義と人の正義」「愛の本質」「ゆるし」「無差別の愛」「無条件の愛」などのページを読んでください。
 
 ここでは、少し違う方向から「宇宙の根源的な愛」とは何か、ということをお話ししてみましょう。
 
 「宇宙の根源的な愛」とは、あらゆるものを存在させている力です。それは、宇宙を生み出した力であり、物理法則を生み出した力であり、ビッグバンを引き起こした力です。目に見えるものも、目に見えないものも、無限に小さいものも、無限に大きいものも、物質的なものも、物質的でないものも、この根源の愛によらずに生み出されたものは何一つありません。
 
 「宇宙の根源的な愛」とは、あらゆるものに生命を与える力です。私たちは、生物と無生物を区別します。あるものには生命があり、あるものには生命がないと思っています。けれども、本当は、存在するあらゆるものに生命があります。よく信仰深い人は「生かされている」という言葉を使います。自分の力で生きているのではなく、宇宙の力によって生かされている、すべてのものが互いに生かしあっている―――これが根源の愛の働きです。
 
 「宇宙の根源的な愛」とは、あらゆるものに自由を与える力です。あらゆるものは、自分の意思によって、自分の意思するとおりに存在する自由が与えられています。私たちは、場合によっては不自由であったり、制約を受けたり、何かに支配されたりしていると感じているかも知れません。けれども、実は、それも含めて自由のうちである、というのが、根源的な愛の働きです。
 
 「宇宙の根源的な愛」とは、あらゆるものを一つにまとめ、統合している力です。あらゆるものが自由であるにもかかわらず調和し、多数であるにもかかわらず一つであり、分裂しているように見えて統合されている、というのが、根源の愛がつくり出す魔法の世界なのです。
 
 愛とは、人間の間にだけあるのではありません。あらゆるもののあらゆる存在形態の根源はすべて愛なのです。

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