対話2 意識の中の旅人との対話

5: 58−67


58 夜明けの見張り人: 「思い出すだけでよいはずですね」とおっしゃるのは、まったくそのとおりです。
 
 この対話の中か、アリスとの対話の中か、どこかに書きましたが、一つのたとえをお話しておきます。
 
 ひとりの少年が「熊のプーさん」の絵本を読み、自分は熊のプーさんだと思い込んだと考えてください。少年は、すっかり熊になりきっていて、よつんばいで歩き、蜂蜜をなめ、穴の中に鼻を突っ込みます。
 けれども、どんなに少年が自分は熊だと思い込んだとしても、周りの人には、少年が人間であって熊でないことはわかっています。
 
 実は、私たちはこの少年のような状態になっているのです。私たちは、自分の本当の姿を忘れて、「人間」という物質の塊であると思い込んでいるのです。けれども、周りの霊たちには、私たちが人間ではなく霊であることがわかっています。なぜなら、今でも、私たちは霊だからです。
 
 自分を熊だと思い込んだ少年が人間に戻るために必要なことは、自分が人間であることを思い出すことだけです。それと同じように、私たちが霊性を回復するために必要なことは、自分が霊であることを思い出すことだけです。

59 意識の中の旅人: 熊のプーさんの話は私も覚えています。アリスの対話の中で出てきましたね。
 
 この1ヶ月間の間、実に色々な人と霊性に付いて話をする機会を得ました。その中には対話47で述べた占い師も含まれます。そして気付いた事は、その人達の殆どの考えとして、人間が霊的な存在である事は認めているものの、人間は霊界で罪を犯したからか、もしくは、魂(霊的存在の人間)が未熟だから修行の為に肉体を持って現在生活をさせられている、と考えていたことです。
 
 そう言った話を最初私は、「何かおかしいぞ」と言う感覚で聞いていました。ですがある時ふと、重大な事に気付いた様なひらめきを得ました。
 それは、「人間が罪人だ、」という考えも私達霊的存在がこの地球で神を忘れて生きるというゲームを始めた時点で、筋書きを面白くする為に敢えて自らが作り出した現実ではないかというものです。ですが今現在、私も含めて地球上に肉体を持って生まれてきている霊的存在は、そのような計画を当初立てた事すらも忘れてしまっているのではないでしょうか。
 
 世界が明るく見えるとか、静寂性に包まれるといった当初数多く経験した神秘体験を最近は余りしなくなりました。しかしながら、上記の様な素朴なひらめきや気付きは最近になって逆に増えてきた様な感じがしています。 

60 夜明けの見張り人: 「人間が罪人だという考えも、自らが作り出した筋書きだ」という点は、そのとおりだと思いますが、このときの「自ら」という言葉が、霊的人間のほうを指すのか、肉体人間のほうを指すのかということについては、考える余地があると思います。
 
 私は、あらゆることを「霊的人間」が計画したことだと考えるのは、自分の責任を取りたくないエゴの考えである、と考えています。
 
 現在地球の人間になっている霊的存在は、「自分が霊であることを忘れたら何が起こるか」ということを体験するために、あるいは、そのとき起こることを実演して見せるために、自らの存在の本質を忘れたのです。
 その結果として、世界と自分の本質に関するさまざまな憶測や学説が生まれました。「人間は罪を犯して、霊的世界から追放された」という考えも、そのようにして生まれたものだと、私は考えています。そのような考えを生み出したのは、自分が霊であることを忘れた霊、つまりエゴなのです。エゴは、自分と世界の状況を理解するために、自分が納得できる説明を作り出さなければならなかったのです。
 
 現在、人間世界に対して、いわゆる「霊的存在」つまり「物質の肉体を持たない存在」たちからの働きかけがたくさん行われています。
 その中には、シリウスやプレアデスなどの星の住人もいます。あるいはニビルやグレイやエササニなどといった、聞いたこともない星の住人を名乗る存在たちもいます。また、ガブリエルやミカエルといった天使の名を名乗る存在もあります。キリストや弥勒菩薩の再臨を名乗る存在もあります。サンジェルマンや聖母マリヤやマーリンといった伝説や実在の聖者の名を名乗る存在もあります。さまざまな神の名を名乗る者もあります。そしてまた、「霊的世界においては名前には意味がない」といって、名前を名乗らないものや、チャネラーの前世の名前などを適当に借用する存在もあります。
 
 そのような霊的存在たちが語る物語もさまざまです。「悪い宇宙人」がいて、人間を誘拐したり、遺伝子操作で人間を作り出したというような説から、あらゆることは幻想であるから、ただ目覚めればよい、という説まで、無数のスタイルの話が語られます。
 
 旅人さんは、このような状況をみてどう思われますか。どれかが正しくて、どれかが間違っていると思われますか。
 
 これは、私たちの想像力と選択の能力が試されているのです。あなたは、どの物語を採用しますか、という問いかけなのです。
 自分の本質を忘れようと忘れまいと、「よい」霊であろうと「悪い」霊であろうと、「自分の意識の中に住む」という霊の本質は変わりません。私たちは、自分が選んだ物語の中の主人公になるのです。世界の正しい姿というものが、どこかに存在しているわけではありません。あなたが採用した物語が、あなたの世界になるのです。自分の世界の主人公は自分であるということを、深く深く考え抜いてください。

61 意識の中の旅人: <私は、あらゆることを「霊的人間」が計画したことだと考えるのは、自分の責任を取りたくないエゴの考えである、と考えています>という事についてですが、私も見張り人さんに賛同致します。
 エゴを、自分が霊で有る事を忘れる為に霊的人間が作り出したもの、と考えるならばエゴは霊的人間が作り出したものという考えですね。その際霊的人間はエゴの基本的な性質のみをプログラムしただけでしょう。
 ここで見張り人さんに習って、ひとつの例を示してみましょう。
 
 コンピュータの世界で人工知能(AI)というものが有ります。現在のコンピュータは所謂ノイマン型と呼ばれている方式ですから、人間が作成した命令集(プログラム)が無ければ動作しません。人工知能と言われるものもコンピュータが実際に知能を持っている訳では無く、プログラムによって知能が有るかの様に見掛け上の動作をさせているに過ぎません。
 ここでプログラムを作成したプログラマやSEを霊的人間に、人工知能システムをエゴと例えることができます。霊的人間は3次元世界で快適に生活できるようにと肉体の自動操縦装置であるエゴシステムを開発したのです。
 
 そう考えていくと「人間が罪人だ」と考え出したのは、自分に都合の良い様に、エゴが考えた事だとも言えます。すなわちエゴは肉体の生命機能を保持させる為、『自分中心主義的』に物事を判断する様、プログラムされているからです。
 
 現在霊性を回復しようとしている私達にとって、エゴを自動操縦装置として放置しておくのでは無く、時と場合によっては霊的人間であるコンピュータのオペレータが積極的に介入することが必要となります。そして最終的に霊的存在で有る人間が、エゴというコンピュータシステムを使用しなくても済むようになった時、完全に霊性を取り戻しているのではないでしょうか。もしくはエゴというコンピュータシステムを残したままでも必要な時霊的存在で有るオペレータがそれを自由に操作する方法を習得すれば(又は思い出せば)逆に霊的存在にとってエゴシステムは便利な道具となるでしょう。
 
 次に、見張り人さんの質問に答えてみましょう。
 <旅人さんは、このような状況をみてどう思われますか。どれかが正しくて、どれかが間違っていると思われますか>と言われましたが、私の考えを結論から先に述べてしまうと、どれが正しくて、どれが間違っているか現時点でこだわる事自体が無意味ではないかと思います。それは考え方によってどうにでも解釈できるからです。
 
 私達が今『現実』と感じているものは霊的存在が自分達の意識の中に作り出したものであるという基本原則をもう一度思い出して下さい。そこから導き出される考えとしては、次の様な複数の考え方ができるでしょう。プレアデスやエササニ星人の様な存在は
・私達の様な肉体を持った霊的存在。
・肉体を持たない霊的存在。私達の現実(自分が霊的存在で有る事を忘れたらどうなるかというゲーム)には参加していないが、私達の霊性回復の為にチャネリング等でメッセージを伝えて来ている。
・肉体を持たない霊的存在。私達の霊性回復の為に敢えて危険を冒し、私達の現実世界ゲームに参加している存在。チャネリングや肉体レベルでメッセージを伝えて来ている。
・私達自身(エゴではなく霊的人間の方を指す)が自分自身の気付きの為に予め用意して置いたシナリオ、創造物。
 まだ他にも色々な考え方が有るのかも知れません。ですが重要な事は彼らが誰で、どこから来ているかという事ではなく、彼らが送って来ているメッセージの内容に注目すべきなのです。
 
 それは私達人類にとって、良い結果をもたらすか・良くない結果をもたらすかを、冷静に判断し、良い結果をもたらすものであれば毎日の生活に取り入れれば良いだけです。その時でも内容を鵜呑みにして取り入れるのではなく、自分の生活スタイルに合う様にカスタマイズすることが大切です。良くない結果をもたらす内容であった場合にはシカトしていれば良いだけです。ネガティブな存在は私達が相手をしなければその内諦めて去っていくでしょう。彼らもきっと地球人類がそのようにしてくれる事を願っていると私は思います。
 
 対話の最初の方でも述べた様な気がしましたが、私達はすぐに物事や相手を、良いもの・悪いものと対極的に分けたがります。一見して悪いものと感じるものでも、直感を研ぎ澄ませて観察し直してみると私に気付きを与えてくれるポジティブなものを含んでいたりすることがあります。これは特に最近毎日の生活の中で、特に職場の人間関係の中で顕著に感じる様になってきています。
 
 それから私達にとって良いものの見分け方ですが、簡単な方法がひとつあります。
 まずは直感を研ぎ澄ませ、心をつとめて静寂にした状態でそれらの情報に触れてみて下さい。心の内面から喜びというかワクワクした気持ちがわき上がって来るものであれば私達にとって良い結果をもたらすポジティブ存在です。
 
 逆に、ただ不安や恐怖・困惑といったものしか得られないのであったなら、それは私達にとって良くない結果をもたらすネガティブ存在です。その場合にはすぐにそれらから遠ざかり、シカトして下さい。
 
  長くなりましたのでこの辺でバトンを見張り人さんに返します。
  今この対話を書きながら、珍しくワクワクした気分を味わっています。理由は分かりませんが、今年は去年以上にこの対話が充実したものになる様な予感がしています。

62 夜明けの見張り人: 今度の旅人さんのお返事については、私は何も言うことがありません。まったく、そのとおりです。
 
 いろいろな情報が、いろいろなところから、いろいろな形で伝えられてきます。重要なことは、その中から、自分が取り入れたいものを取捨選択するということです。直感によって選ぶというのも大事な点です。自分が「共鳴する」情報を取り入れてください。自分が取り入れなかったものは、そのまま通り過ぎるに任せればいいのです。
 
 このようにして自分で選ぶということは、その情報が自分にとって重要であることを自分がすでに知っているということですね。知っているなら、なぜ外から来る情報を取り入れなければならないのでしょうか。
 実は、情報は外から来るように見えますが、本当は自分の内面から湧き出してきているのです。それを、ちょうど鏡に映してみるように、私たちは外から来るかのように感じているのです。いろいろな情報が外から来るように見えていますが、それは自分の内面にあるものを私たちが思い出すプロセスなのです。
 
 では、私たちが、これは要らないといって無視してしまう(旅人さんはシカトといわれますね)情報まで、やってくるのはなぜでしょうか。
 それは、私たちの心の中に、不要なものもいっぱいあるからです。外から来る情報を取捨選択するのは、自分で自分の心を整理しているのです。これを意識的に行うことによって、私たちは自分の心の掃除をすることができます。そして、不要な想念がなくなっていけば、私たちは次第にクリアに真実を見ることができるようになります。それが霊性を回復するということなのです。

63 意識の中の旅人: <実は、情報は外から来るように見えますが、本当は自分の内面から湧き出してきているのです。それを、ちょうど鏡に映してみるように、私たちは外から来るかのように感じているのです。>
 このことに関して、私は最近、遅まきながら、大変大事なことに気が付きましたので、この対話を読んでくれているであろう、たくさんの人達の為に、ここに書き記しておきます。
 
 それは、瞑想のように、自分の内面を静かに見つめる事は霊性回復のプロセスのひとつとして大変大切な行為です。ですがそれと共に、自分の目の前の現実を良く観察することも重要だと言うことに気付いてください。なぜなら見張り人さんが述べられているように、自分の現実とは『鏡に映し出された自分自身の内面』だからです。
 
 普段の現実で嫌なことがあった場合、私を含め多くの人々は、嫌な気持ちになったり、悩んだりします。この状態は自分が現実の創造主だということを忘れ、自分の現実にただ反応しているだけの状態と言えます。
 
 現実を自分にとって良い方向へと軌道修正したければ、固定概念や物事に対する考え方といった内面の意識を少し修正するだけで良いのです。
 
 まだ1週間ほどですが、私は毎日そのことを意識して実践しています。
 
 ひとつの例を上げてみます。
 会社員であれば社内に一人や二人は肌が合わない上司や同僚がいるのでは無いでしょうか。いままで私は仕事上付き合いが無いことを良いことに、その様な人達とは余り話をしませんでした。
 ですがここで『なぜ自分はその相手と肌が合わないのか?』と自分に問い掛けてみました。そして出て来た答えは、『ぶっきらぼうで愛想が無い』といった他愛も無いものでした。次に、『ぶっきらぼうとは何を基準に考えたんだ?』と更に自分に問い掛けて見ることにしました。そして最終的に出て来た答えとは、『自分が今まで生きてきた中で蓄積した価値観や概念に基づいて、自分自身が内面に作った勝手な基準』であることに気付いたのです。それさえわかれば後は、そんなものは静かに手放すだけで良いこともわかってきます。実際そうしてみました。
 
 気付いてみると、今まで『肌の合わない人』と捉えていた人に対して、ごく普通の同僚と変わらなく接している自分がそこにいたのでした。
 
 このように何かを変えたいと思ったなら、まず自分が少しだけ変わるだけで良かったのです。
 
 現実で起こる現象に対して、良い・悪い、などと意味を付けているのは私達人間です。本来現象に意味は無いのです。あるのはプロセスのみです。仏教でもすべての出来事は“空”(中立である)と言っていますが、まさにその通りなのでしょう。
 
 あともうひとつ、大切なことを述べておきます。
 
 精神世界関係の道を志す人の中には、現在の現実から逃避して瞑想や祈りのようなものだけが内面と対話する手段だと思い込んでいる人が少なくありません。私も恥ずかしながら、一時はそういった時期もありました。
 
 ですが私はあえて、「現在の現実にどっぷり使って、自分の現実を大事に生きなさい」と言います。
 
 なぜなら目の前の現実は『自分の内面そのもの』だからです。
 自分の現実とは『鏡に映し出された自分自身の内面』なのです。
 
 現在の現実から逃避することはすなわち、『自分の内面から眼をそむける』事でもあるのです。これを皆さんも良く考えて見てください。

64 夜明けの見張り人: 今回の旅人さんのお話は、まったくそのとおりです。私たちは、外の世界という客観的な(つまり自分とは別の)世界の中に、自分というものが存在していると考えています。私たちのエゴが認識する世界は、常に「自分対世界」という対立の構図の中で描かれています。
 けれども、実は、「自分も世界も」自分なのです。
 
 このことを理解するために、夢を考えてみてください。
 たとえば、昔、私は弟と喧嘩をする夢を見たことがあります。私は弟と喧嘩をし、弟が私に向かって投げたものが妹の大切なものを壊し、妹が悲しみました。私は、弟と離れるために家出をしました。
 現実の世界で弟と仲が悪かったわけではありません。これは夢の中の出来事です。夢の中に、自分がいて、弟や妹がいました。夢を見ているときには、その喧嘩をしている世界が現実のように思われていました。夢の中では、弟と私は別のものだと思っていましたが、実は、夢の中に出てくる人物は、すべて自分自身の人格の一部なのです。
 
 私たちが客観的な現実だと思っているこの物質世界も、実は夢なのです。あなたが住んでいる世界はあなたの夢であり、私が住んでいる世界は私の夢です。その中に登場する人物は、自分も他人も、すべて自分自身の心の一部なのです。
 
 ただし、私たちが普通に見る夢と違って、物質世界は、私たちの肉体が見ている夢ではありません。それは、霊である私たちが見ている夢なのです。
 
 私たちが霊性を回復するということは、この夢から覚めることです。そうすれば、夢の中で喧嘩をしていた私が、醒めてみれば弟と仲がよかったように、あなたの周りで起こっている戦争や犯罪や災害などが、みんな、実は存在しなかったのだ、ということがわかるでしょう。

65 意識の中の旅人: この話題に関してひとつ思い出した事があります。私が夜、家でボーっとしていた時のことなのでずが、不思議な感覚におそわれた事があります。
 
 その感覚とは、「私が霊性を完全に回復したなら、実は宇宙には私と言う意識(魂と言っても良いでしょう)しか存在してなくて、本当は孤独な存在なのかも知れないな」という様な事が2、3秒、頭をよぎりました。そしてその間、以前の様にとても安らかな気分になったことを覚えています。
 
 つまり、見張り人さんが言われるように、私が他人だと思っている存在も、エササニやアヌンナキと言われている宇宙存在も、更には、地球や他の惑星、物理法則までもが実は私が見ている夢の中の登場人物に過ぎず、夢から醒めて見れば、私しかいなかったと言う可能性もあるな、ということなのです。
 
 案外、真実を突いているのかも知れないと、見張り人さんの対話を読んでいて改めて思いました。

66 夜明けの見張り人: 「夢から醒めて見れば、私しかいなかったという可能性もあるな」というのは、可能性ではなくて真実です。けれども、真実にはいろいろな階層があることを知っておいてください。小さな真実と大きな真実、もっと大きな真実、もっともっと大きな真実・・・というのがあるのです。
 以下に「真実に階層がある」とはどういうことかを説明します。
 
 いま、旅人さんは、自分が見ている宇宙とその中にある星や地球、その上に住むすべての生物が、自分の夢かもしれないと言われました。そのとおりです! それはあなたの夢です。けれども、だからといって、あなた以外のものがいないわけではないのです。
 
 あなたの友達はあなたの夢です。けれども、あなたの友達がいないわけではありません。あなたの友達も自分の夢を見ています。そして、その夢の中にあなたがいます。
 あなたの夢の中に友達がいて、友達の夢の中にあなたがいる。この絡み合った夢の構造が理解できますか。
 
 まずこのあたりから、少しずつ話を進めていきましょう。

67 意識の中の旅人: <あなたの夢の中に友達がいて、友達の夢の中にあなたがいる。この絡み合った夢の構造が理解できますか。>
 これに付いて私が以前、実際に体験した出来事を例にあげて説明したいと思います。
 
 私が仲の良い親友と旅行に行ったときの事です。夜ホテルの部屋でベッドを並べて仲良く眠りに付きました。それからその夜、鮮明で強いインパクトのある夢を見ました。
 朝起きてから隣で一緒に寝ていた親友に、昨夜見た夢の内容を話すと、その親友も同じ夢を見ていた事がわかり、お互い驚いたという出来事がありました。
 
 何年も経った現在でも夢の内容は薄れることなくはっきりと覚えています。もしかしてこれはただの夢ではなく、2人一緒に別の世界へ幽体離脱して行ったのではないかと考えた程でした。
 
 見張り人さんの言う“夢の階層”とは、こういった感じの事を言うのでしょうか?

inserted by FC2 system