対話2 意識の中の旅人との対話

3: 33−38


33 意識の中の旅人: 詳しいご説明有難うございました。
 
 要は自分自身にとって一番喜びを感じることに素直に取り組みなさい。そうすることが結果的に、霊性回復への近道となりますよ、と言うことですね。喜びを感じること、楽しい事は努力無しに、自然と楽しみながら行える訳ですから。
 
 わたしは今世のうちに何とか霊性を回復したいと強く思っています。従って毎日の生活の中で常に、『霊性を回復するぞ』と言う強い信念を抱きながら過ごしています。
 
 それでは見張り人さんに、<霊性を回復しようとする人の卒業論文とは何なのか、霊性を回復したいと思う人は何をしなければならないのか>の解説をお願いしますがその前に少し脱線してわたしが今朝した体験を書かせてください。
 
 私たちが普段現実と感じている外界の世界は、私たち霊的存在が創造(想像)したものであると、言われていますが、その事を今朝実際に体験することが出来ました。
 
 今朝いつもの様に7時に目を覚ましました。外は台風が接近していることもあり雨風共に激しくなっていました。さらにこう言う天気であるにもかかわらず私の心は何か清々しい気分になっている事に気付きました。ふと窓の外を眺めると、曇り空にも関わらずいつもより景色が綺麗に感じられました。寝巻からワイシャツに着替えてリビングルームに向かうとどうでしょう、部屋の中が明るく見えるではありませんか。部屋の中にいた両親の顔もいつもより輝いて見えました。つまり寝て起きたら、周りの現実が変わってしまったのです。
 その後いつもの様に会社に出勤しましたが、雨の日であるにも関わらず、オフィスの中が明るく見えたのです。見張り人さんが最初の対話で言っていた、『体験すること』と言うのはこういうことを仰っていたのですね。
 
 見張り人さんは、こう言った経験はございますか。

34 夜明けの見張り人: とても良い体験をなさいましたね。私も何度か体験したことがありますが、これも、実際に体験した人でないと信じられないような出来事だと思います。
 
 出典など忘れましたので正確ではありませんが、仏教にこんな言い伝えがあります。悟りを開いた人にとってはどんなものでも美しく見えるということを聞いたひとが、ある高僧に腐りかけた犬の死骸を指差して、「あれも美しく見えますか」と聞いたそうです。すると、僧は答えました。「あの犬の牙が白く輝いているのが、何ときれいなことだろう!」と。
 この話を聞いた人は、高僧が汚いものの中に何かきれいなものを探し出す努力をしているように思うかも知れません。
 けれども、私はそうは思いません。この高僧にとっても犬の死骸は死骸に見えたはずですが、それは、たとえて言えば、水晶を刻んでつくった彫刻のように見えていたのではないかと思います。きらきらと光を放って美しく輝く犬の死骸! そんなものを、皆さんは想像できるでしょうか。
 
 霊性の道を歩んで行くと、時折、このような時間を体験することがあります。あらゆるものが透明になり、光を放ってきらきらと輝き、言い知れぬ静けさ、穏やかさ、喜び、充足感があたりを覆っている・・・あらゆるものに深い愛と親近感を感じる・・・そのような時間を体験することがあります。
 旅人さんが以前おっしゃった「時間が止まる」体験と違って、「世界が美しく見える」という体験は半日から長い場合は二、三日続くこともあります。そして徐々にいつもの状態に戻っていきます。
 
 「人間というのは黄金の指輪のようなものだ」と言った人があります。人間だけでなく、あらゆるものが「黄金」でできています。形が指輪になろうと、人を殺すナイフになろうと、黄金であることには変わりありません。
 人間も世界も、本質はこのようなものなのです。それは黄金にもダイヤモンドにもたとえられないほどの、美しく尊いものなのです。
 
 けれども、私たちの目には、ふだんは、それが見えなくなっています。霊性を回復するとは、このような人間と世界の本当の姿を見るようになることです。
 
 では、いったい、なぜ、私たちはそれをふだん見ることができないのでしょうか。そして、なぜ、時折、そのようなものを体験する人がいるのでしょうか。
 実は、きょう、「霊性回復を目指す人がしなければならないこと」としてお話しようとしていたことが、これに密接に関係しています。
 
 「霊性回復を目指す人がしなければならないこと」というのは、自分の意識の中をクリアにすることです。こころの大掃除をすることです。
 私たちの心には、いま、たくさんの「ごみ」が溜まっています。それが、私たちが世界の本当の姿を見ることを妨げているのです。
 
 「ごみ」というのは、一言で言えば、物質世界の常識のすべてです。それについては、このサイトのほかのページに書いていきますので、詳しいことは省略します。ご質問があれば、また少しずつお話することもしますが、きょうは、とりあえず、旅人さんの体験とも関連させて、ひとつのたとえ話をすることにします。
 
 私たちの心はいま、厚い雲に覆われた薄暗くて寒い世界のような状態になっています。地面にも樹木にも緑はなく、冷たい氷が硬く凍り付いています。寒い風が一日中吹きまくっているので、私たちはただ、寒さから身を守るのに精一杯です。
 この世界を覆っている厚い雲や冷たい氷が、実は、私たちが心の中に持っている「物質世界の常識」なのです。
 
 霊性を回復するためには、私たちが物質世界を体験するための強固なよりどころとなっているこの「物質世界の常識」を捨てていかなければなりません。そうすると、雲が薄くなり、やがて、ところどころに切れ目ができて、そこから太陽の光が差し込むようになります。そうすると、氷に覆われた冷たい世界でさえも、美しく光り輝いて見えます。
 
 これが、旅人さんが体験した「世界が美しく見える体験」です。
 
 けれども、地面が氷に覆われている状態では、太陽光線が差し込むと、その氷が蒸発して、再び雲になります。雲の切れ目もやがてふさがり、世界はもとの薄闇に戻ります。「世界が美しく見える体験」が長続きしないのは、このためです。
 
 このようなことを繰り返しながら、「物質世界の常識」を次第に捨ててゆくと、それにつれて光が射している時間が長くなってきます。そして、私たちが本当に霊性を回復したときには、心の中は、頭の上に青空が広がり、地面には緑の草木が成長して美しい花をつけ、小鳥が歌い蝶が舞う、美しい世界に変わります。心の中がこのような美しい世界に変わったとき、私たちが体験する外の世界も、本当に美しく変わるのです。それは、氷の世界が美しく見えているのではありません。本当に美しい、生命と愛に満ち溢れた暖かい世界になるのです。
 
 旅人さんがこの体験をなさったのは、先日からエゴと仲良しになったり、善悪の判断をしない、ということを学んだりして、かなり急速に「物質世界の常識」の一部を手放されたからだと思います。この体験は、わりに初期の段階に起こることが多いようです。けれども、少し先に進むと、地面に凍りついた氷が蒸発を始め、かえって雲が厚くなったように感じることさえあります。落胆せずに根気よく歩み続けてください。いつかは、本当に心の中が晴れ上がるのを体験されるでしょう。

35 意識の中の旅人: 解りやすい説明、有難うございました。
 
 見張り人さんが仰ったように、2.3日で見え方が元に戻りました。が、それ以来自分の心の中が常に静まっているように感じられます。どんな感じかと聞かれても説明するのが大変難しいのですが、不安や恐怖、罪悪感と言ったマイナスの観念が無く、自分が今存在している事に、素直に喜びを感じられると言うことができます。
 
 それでは見張り人さんの「霊性回復を目指す人がしなければならないこと」に付いての話の続きをお願いします。

36 夜明けの見張り人: 「霊性回復を目指す人がしなければならないこと」というのは、前回の「自分の意識をクリーンにすること」ということで尽きているのですが、それではあまりにも愛想がないので、少したとえを変えてお話します。
 
 このホームページをご覧になっている方は、「エゴとは自動操縦装置である」という話をお読みいただいていると思います。まだ読んでいない方は、エゴに気づくエゴの正体を知るエゴを統合する、を読んでください。
 
 エゴは、霊的存在である人間がこの地球の上の物質世界で生活するために用意した心の自動操縦装置です。霊性を回復するためには、これを霊として生活をするための装置につくり変えなければなりません。
 
 エゴを、飛行機の自動操縦装置と同じようなコンピュータシステムであると考えてください。エゴを改造するためにしなければならないことは、次の三つです。
(1)目的を設定する
(2) 古いOS(オペレーティングシステム)を捨てる
(3)新しいOSを入れる
 
 今回は、第一の「目的を設定する」ということについてお話します。
 飛行機の自動操縦装置は、自分で目的地を設定することはできません。心の自動操縦装置も同じです。あなたのエゴの目的はあなたが設定しなければならないのです。
 エゴに目的を設定するためには、あなたがその目的を自分の最高の存在目的であると決めることが必要です。自分がいまここにいる存在目的は霊性を回復することであるということを固く決意して、それを全生活の最高の目標に据えてください。そうすれば、それが次第にエゴにも浸透していきます。
 
 もしあなたが、「そうは言っても、目先の物質世界の楽しみも捨てきれないなあ」とふらふらしていたら、エゴもふらふらします。 
 別にふらふらするのが間違っているとか、良くないという意味ではありません。ただ、ふらふらしていたら、いつまでたっても目的地には着きません。
 「どちらが正しいか」という問題ではなく、「どちらを選ぶか」という選択の問題です。選択の権利は常にあなたにあります。同時に、選択する責任もあなたにあります。今世であわてて霊性を回復しなくても良いと思う人は、来世まででも、再来世まででも、好きなだけ延ばしてかまいません。神(宇宙)は無限に待っていてくれます。けれども、前回申し上げたように、無限に待ってくれるということは、逆に言えば、あなたが主体的に動かない限り、自然に霊性が回復されることは決してない、ということなのです。
 
 エゴにしっかりと目的を設定することができると、エゴは、一生懸命、霊性回復のために働くようになります。
 
 昔こんなSF(空想科学小説)を読んだことがあります。
 
 原子力潜水艦が潜水したまま北極海の下を通って、何千キロも航海して米国の基地に帰って行きます。潜水艦には自動操縦装置がついていて、それによって潜水艦は自動的に目的地に向かって進んでいきます。乗組員はほとんど何もすることはありません。
 ところが、突然不可解なことが起こり始めます。潜水艦が本来とるべき道から外れて、どんどん違う方向に進み始めるのです。乗組員は自動操縦装置の故障かと思って調べますが、どこにも異常はありません。乗組員は、特別危険もなさそうなので、しばらく様子を見ることにします。
 そのうちに、潜水艦は突然また方向を変え、最初に設定した目的の基地に向かって帰ってきます。潜水艦は、なぜか、北極海の下を大きく迂回して通ったのでした。
 そして、基地に着いたとき、乗組員は基地の要員から、北極海で海底火山が爆発したということを知らされます。爆発が起こったのは、もし潜水艦が最初の予定コースをまっすぐ進んでいたら、ちょうどその火山の真上にいたはずの時刻でした。基地では、潜水艦が間違いなく爆発に巻き込まれたと思って、大騒ぎになっていたのでした。
 「自動操縦装置が海底火山の爆発を予知して避けて通った」というのがこの話の目玉ですが、もし、エゴに目的をしっかりと教えることができたら、エゴはこの「賢い潜水艦」以上の働きをしてくれます。まず、しっかりと、あなたの体と心の隅々にまで、霊性回復を目的とすることをしみこませてください。
 
 エゴに目的が設定できたとすると、次にするべきことは、エゴのソフトを入れ替えることです。エゴという自動操縦装置は、コンピュータと同じように、さまざまなソフトによって動いています。もしエゴに入っているソフトが古いままだったら、エゴが霊性回復のために働こうとしても、効率が悪かったり、間違った行動をとったり、し続けます。霊性回復を効率よく進めるためには、古いソフトを捨て、新しいソフトに入れ替える必要があります。次回は、その話をしましょう。

37 意識の中の旅人: ご説明有難うございました。これを読まれている皆さんも「霊性を回復する」ことがどう言うことか、少しずつ解って来たのではないでしょうか。
 
 それではエゴの<古いソフトを捨て、新しいソフトに入れ替える>方法に付いてお話してください。その後で私から霊性を回復する為のひとつの道具で有る『瞑想』に付いて私のこれまでの経験を交えながら、話していきたいと考えています。

38 夜明けの見張り人: 旅人さんの「瞑想」の話はしばらく待っていただいて、OSを入れ替える話を先に済ませたいと思います。
 
 次にしなければならないことは、古いOSを捨てて新しいOSに入れ替えることです。それは、コンピュータのOSを新しいバージョンに変えるのと同じような作業です。
 ただ、コンピュータの場合と違うところは、私たちが、自分の意識のOSが何かということを正確には知らず、誰も新しいOSをCDに入れて渡してはくれない、ということです。私たちは、自分で、自分の古いOSのコンポーネントを見つけてアンインストールし、新しいOSのコンポーネントも自分でさがして、インストールしなければなりません。
 
 古いOSというのは、私たちが持っている「常識」のことです。ここで、常識にわざわざ括弧をつけたのは、それを疑うことなど思いもつかないような根源的な常識だからです。
 
 旅人さんは、霊性を回復するために、私たちが潜在意識の中に持っている恐れや不安や怒りなどの感情のしこり、古い事件のトラウマなどを解消しなければならない、あるいは過去のカルマを清算しなければならない、という話は聞いたことがあるでしょう。
 けれども、このようなものは、コンピュータにたとえるなら、データファイルに過ぎません。これらのデータをすべてクリアしたとしても、古いOSが残っていたら、そのようなデータファイルをまた作り出してしまいます。したがって、私たちが根本的に変わるためには、OSそのものを変えてしまう必要があるのです。
 
 コンピュータのOSがたくさんの部品(パーツ)からできているように、私たちの意識のOSもたくさんの部品からできています。そのすべてを列挙することは不可能ですから、ひとつの例をとりあげましょう。
 
 人間は誰でも、何か適当な量の食べ物を食べていなければ、やがて衰弱して餓死してしまいます。これは、誰も疑うことのできない「常識」ではないでしょうか。
 けれども実は、これも、私たちが、心の奥底に「人間は食べ物を食べなければ生きていけない」という観念を持っているからなのです。私たちは、自分が持っている観念を実際に体験するのです。したがって、もし、この観念を捨てることができたら、人間は何も食べなくても生き続けることができます。
 旅人さんは、このことを信じることができるでしょうか。
  
 注意しなければならないことは、「『食べなければ死ぬ』という観念を捨てれば、食べなくても死ななくなる」ということを信じるのと、実際に「食べなければ死ぬ」という観念を捨てるのとは違う、ということです。それは「この道を歩いて行けば富士山に登れる」ということを信じるのと、実際にその道を歩くのとの違いです。
 ですから、私の言うことを信じたとしても、それですぐに「食べなくても死ななくなる」わけではありません。あわてて食事をやめたら間違いなく餓死しますから、急がずあわてず、じっくりと「意識のOSとはそういうものなんだ」ということを考えてください。
 「食べなければ死ぬ」という観念を捨てるのは簡単ではありませんが、現在すでに、世界で数千人の人がこの「何も食べずに生きる」ということに取り組んでいて、実際に一切の飲み食いをせずに何年も生きている人がいるそうです(ジャスムヒーン著、埴原由美訳、『リヴィング・オン・ライト』、ナチュラルスピリット社)。
 
 私たちの意識のOSとは、この『食べなければ死ぬ』という観念のような、私たちの存在の最も深いところを形成している観念のことです。私たちは、それを自然の法則だと考えています。けれども、どんな法則であろうと、それは私たちの意識の中にある観念です。私たち(人間だけでなくあらゆる存在)は、意識の土台としてどんな観念を持つかを決めることによって、自分というものを定義するのです。
 これまで、私たちはそのようにして、地球世界に住む物質的存在としての自分を形成してきました。霊性を取り戻すということは、このような私たちの存在の根底を形成している観念を、霊的存在としての観念に入れ替えることなのです。
 
 次回は、新しいOSについてお話します。

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