対話2 意識の中の旅人との対話

2: 18−32


18夜明けの見張り人: 第一に、この対話では、「あれは悪だ」という代わりに、『良く無い行為』、『マイナスの概念』という言い方をしようというご提案ですが、私も賛同いたします。これについては、旅人さん自身も「言葉のマジックのような気がするが・・・」といわれましたが、同じような感想をもたれる方もあると思うので、少し説明をしておきたいと思います。
 
 「あれは悪だ」「悪いことだ」という言い方は、自分の価値判断を表明しています。これに対し「本人にとって、あるいは、人類にとって、良くない行為」と言うのは、因果関係を示しているのです。それは「燃えている火をつかめばやけどをするよ」というのと同じです。
 人間にとって必要なのは、価値判断の押し付け合いをすることではなく、物事の正しい因果関係を把握して、その因果関係にもとづいて、自分たちに望ましい結果をもたらすような行為や思考の習慣を作ることです。
 表現の仕方ははいろいろあると思いますが、自分が価値判断をしているのか、因果関係を客観的に見ているのか、それを冷静に判断する必要があると思います。
 
 次に、ドラマの作者の問題ですが、大きな意味で、神(あるいは宇宙)が作者であるというのはそのとおりですが、私は、「ドラマを見せる者」と「ドラマを作る者」を分けて考えています。そのほうが、ドラマの内容についての責任が誰にあるかがはっきりするからです。
 
 ドラマを私に見せてくれる者(体験させてくれる者)は、神(宇宙)自身であると私は考えています。私はそれを体験劇場という言葉で表します。私たちは、神が経営する体験劇場の観客(体験客?)なのです。神が人間を創ったのは、人間がそのような体験劇場のドラマを無数に体験するためなのです。
 けれども、個々のドラマの筋書きを書いているのは、神自身ではありません。それは私たち自身なのです。私の体験するドラマの筋書きは私が書いています。あなたが体験するドラマの筋書きはあなたが書いています。神が創った劇場で、私たちは、自作自演の演劇を上演し、それを鑑賞(体験)します。したがって、私のドラマにおける地球がどのような世界であり、そこにどのような人間がいて、何をしているか、ということは、すべて私自身に責任があるのです。同じように、あなたが体験するドラマの責任はすべてあなた自身にあります。
 このように、世界で起きていることのすべては自分の責任である、ということを自覚することが、霊性への道におけるもう一つのハードルです。
 
 対話14で、自分と他人の分離という意識を乗り越えることが、霊性への道における最大のハードルだといいましたが、本質的には、今度のハードルも同じものですね。自他の分離がなければ、一見、「他人がやっていることだから自分には責任がない」と思われるあらゆる行為が、すべて自分の責任であることは自明の理(わかりきったこと)です。
 
 「善も悪もない」という考え方が重要であるというもう一つの根拠がここにあります。「あれは善でこれは悪だ」という考えは、エゴが好んで使います。エゴは、絶えず自他を分離し、自分対他人、自分対世界、という対立の構図を描き、「自分は正しいが、あいつが悪い」「自分は正しいが、世界が悪い」という見方をしたがるのです。
 けれども、すべてが自分の責任なら、あいつが悪い、と言っても、それは自分の責任なのです。戦争するやつはけしからん、と言っても、戦争しているのも自分なのです。
 自他一体の世界では、善悪の分類が意味を失います。善が悪を指弾する理由がなくなります。なぜなら、どちらも自分だからです。その代わりに、何がこの状況をもたらしたか、という原因究明、因果関係の追及が重要になってくるのです。そして、正しい因果関係に従った生き方(意識の持ち方)を「自分」がすることができるようになれば、世界が変わるのです!・・・これが、自他一体の世界です。
 
 最後に、「良いカルマ、悪いカルマ」の問題を取り上げましょう。
 <私が以前入っていた団体では、人間として肉体を持ってこの3次元に生まれて来たのは、悪いカルマを清算する為だ、と教えています>ということですが、このような教えが古くから伝えられているのは事実です。そして、これを聞いた人々は、カルマというものを「罪と罰」のような関係で捉えます。
 けれども、カルマの問題を考えるとき、私たちは、一人一人、ある目的をもって長い長い転生の人生(霊生?)を送っているものであることを頭においてください。たとえて言えば、私たちは絵描きのようなものです。絵描きは作品として絵を描きます。私たち、霊的存在は、作品として「人生」を作り出します。地球の上における一つの人生は、私たち霊的芸術家の作品なのです。
 いま、一つの作品が出来上がったとしましょう。作者は自分の作品を眺めて、満足する場合もあれば、どうも出来が良くない、自分が意図したものになっていない、と感じることもあります。もし自分の作品に満足できなかった場合は、作者はどうするでしょうか。同じテーマで、もう一度描いてみようと考えるのではないでしょうか。
 「悪いカルマを解消するために、もう一度地上に生まれてくる」というのは、こういうことを言っているのです。自分の作り出した「人生」という作品に満足できなかった霊は、今度こそは「自分らしい作品」を作るぞ、とまた同じテーマを持った人生に挑戦するのです。それは「罪と罰」の関係ではありません。それは、より完璧な人生を作り出そうとする芸術家の挑戦なのです。
 
 旅人さんは、<魂(宇宙)とは、それらの経験を重ねる事によって得た情報を蓄積していく事によって無限に成長・進化していくものである>と言われました。そのとおりです。そして、その過程で、「完璧な人生」を追及する私たちは、何度も人生のやり直しをします。それがカルマという形の教えとして伝えられたものと思います。
 そして、そのいわば「人生に習熟する過程」を効率的に通過する方法が、旅人さんのおっしゃる<良い・悪いと言った固定観念をなるべく捨てて、宇宙のありのままに生きなさい>ということなのです。これについては長くなりますので、次回のテーマとすることにしましょう。
 
19意識の中の旅人: 私の対話に詳細な説明を加えて頂き、有難うございました。
 前回の対話で見張り人さんはドラマの作者として、次の様に説明されました。
 <個々のドラマの筋書きを書いているのは、神自身ではありません。それは私たち自身なのです。私の体験するドラマの筋書きは私が書いています。あなたが体験するドラマの筋書きはあなたが書いています。>と言われました。
 これに付いては私自身も賛同いたします。ただ、この対話を初めて読まれる方の為に私がもう少し補足したいと思います。
 見張り人さんも『魂のインターネット』で書かれている通り、私たち人間の意識は表面意識(エゴ)、潜在意識、無意識と3つの階層に分かれています。そして普段私達は表面の意識を「自分自身」と考えています。さらに残りの2つの階層の意識は表面の意識とは交流できない状態にあります。その為に私達は普段現実に起こる出来事を「偶然の産物又は、自分には関係無く起きる出来事であって自分ではどうする事も出来ないもの」と考えますが、自分の現実は確かに私達自身が作り上げているのです。潜在意識や無意識のレベルで。
 従って潜在意識や無意識に注意を向ける事によって自分に都合の良い現実を選ぶ事が出来る様になります。色々な宗教で言われる祈りや瞑想とは、自分の内面に意識を集中する為の道具であった訳です。
 それでは見張り人さん、続きをお願いします。
 
20夜明けの見張り人: 旅人さんに補足していただいて、意識の問題がわかりやすくなったと思います。ありがとうございました。
 
 さて、対話18で積み残した宿題にもどります。
 旅人さんは対話17で次のようにおっしゃいました。
 <良いカルマ・悪いカルマなどと言う区別は無い。カルマとは単に長い転生の間に魂が経験した記憶(情報)に過ぎないからである。魂(宇宙)とは、それらの経験を重ねる事によって得た情報を蓄積していく事によって無限に成長・進化していくものである。
 ただ、折角3次元の肉体を持って今存在しているので有るから、その間の人生を楽しく生きる為には、良い・悪いと言った、固定観念をなるべく捨てて、宇宙のありのままに生きなさい。そうすれば、何も苦労することは無いよ、と。>
 
 これに対して、私の感想を聞きたいとのことなので、お話いたします。
 
 旅人さんがおっしゃった<良い・悪いと言った固定観念をなるべく捨てて、宇宙のありのままに生きなさい>ということが、「人生に習熟する過程を効率的に通過する方法」であるのはまちがいありません。けれども、この言葉は、見かけ以上に深い意味を含んでいると、私は考えています。
 
 まず「良い・悪いといった固定観念を捨てて」ということですが、確かに、世の中の出来事や他人の行動について、このような判断を捨てるのは、比較的やさしいと思います。けれども、私たちは、自分の身に起こる出来事に対して、やはり「良い・悪い」、「好き・嫌い」、「楽しい・苦しい」といった判断をします。この判断を捨てるのは、それほど簡単ではありません。
 実は、私たちは、このような判断に基づいて、自分の次の行動を選択していきます。できるだけ、苦しいことが少なくなるように、楽しいことが多くなりますように、というのが私たちの基本的な行動指針なのです。もし私たちが、まったく受動的に、川の水に押し流されるようにして生きているのであれば、「判断するな」といわれたら、黙って目をつぶっていればいいのですが、実際はそうではありません。私たちは、自分で主体的に行動を選択していかなければなりません。もし、このような判断をすべてやめてしまったら、何を基準にして行動を選べばいいかわからなくなってしまいます。
 
 そのときに出てくるのが「宇宙のありのままに生きる」という言葉です。この言葉には二つの意味があると思います。一つは、起こってくる出来事のすべてをそのまま受け入れて、という意味です。もう一つは、宇宙のメッセージ(直感)にしたがって、という意味です。行動指針としての判断の代わりになるのは、あとの意味です。
 自分で判断する代わりに、直感によって行動する・・・これが、旅人さんのおっしゃった言葉の意味だと、私は思います。これが本当にできる人は、確かに超特急で「人生の芸術家」として成長してゆくことでしょう。けれども、私たちは、非常に多くの場合、直感を聞き逃します。場合によっては、聞こえていても聞こえないふりをして直感を無視し、自分の判断に頼ろうとします。なぜ、それほどまでに、直感を聞くことが難しいのでしょうか。それは、実は判断の主体が違うからなのです。
 
 善悪、好悪、苦楽を判断するのはエゴです。対話6で「いやなカルマ」「好ましいカルマ」という言葉を使いましたが、この「いやな」「好ましい」という判断をするのもエゴです。これに対し、直感を発信するのは宇宙です。魂と言っても、ハイアーセルフと言ってもかまいません。とにかくエゴではありません。そのために、もし直感にしたがって生きようとすると、エゴは自分の仕事がなくなります。自分で判断する代わりに、直感の言うことに黙って従う召使になってしまいます。このために、エゴは直感に従うことを嫌がるのです。エゴにとって都合が良い直感が来たときはそれを意識に上らせますが、都合の悪い直感が来たときには、それが意識にのぼる前に削除することさえやってのけます。
 
 「宇宙のありのままに生きる」というのが理想であり、それができる人にとっては、それは確かにもっともスムーズな、快適な道になります。けれども、それはエゴの価値観を全部捨てることができた人だけが、進むことのできる道です。「宇宙のありのままに生きる」道が、エゴにとって楽な道であるとは、限りません。
 
 一つの例をお話しましょう。
 ある女性が「無条件の愛」を学ぶ決心をしました。彼女は「無条件に愛することができるなら、どんなことでも喜んで受け入れます」と神に祈りました。ところが、彼女に起ったことは破滅的なことでした。彼女は長年つれそってきた夫に捨てられてしまったのです。彼女は悩み苦しみ、神に祈って「どうしてこうなったのか」と問いただしました。するとこういう返事が返ってきました。「あなたは、無条件の愛を学ぼうとしたのではないですか。これは無条件の愛を学ぶとてもいいチャンスですよ」 (アイリーン・キャディ『愛の波動を高めよう』山川紘矢・山川亜希子訳、日本教文社)
 
 神(宇宙)の価値観とエゴの価値観は、これくらい違うのです。
 
 この女性は、たぶん「愛」ということをテーマにして、この人生に生まれてきたのだと思います。私たちは「人生」という作品を作る芸術家です。けれども、そのテーマ、制作過程、作品である人生が、エゴにとって楽なものであるかどうかは保証のかぎりではない、と私は考えています。

21意識の中の旅人: 詳しいご説明有難うございました。
 
 前回の対話で見張り人さんは<もし直感にしたがって生きようとすると、エゴは自分の仕事がなくなります。><それはエゴの価値観を全部捨てることができた人だけが、進むことのできる道です。>と仰いました。
 
 これもある意味で正しいのですが、霊性回復をスムースに進める為には、エゴを好ましくない者として敵視するのではなく、エゴを味方に付ける事が必要だと私は考えます。
 それは、エゴと親友になる、エゴと深い信頼関係を築く、と言うことになります。
 
 それにより価値観が幾らか残ったままでも、霊性回復への道を急速に進む事が可能となります。
 
 次回は、私が実際の体験談を述べたいと思います。
 ひとまずバトンを、見張り人さんへお返しします。

22夜明けの見張り人: エゴを味方につけるというのは、私も大賛成です。
 エゴは人間にとって余計な邪魔者ではありません。エゴは人間がこの地上で生活するためになくてはならない心の機能なのです。誰もエゴを敵に回して勝てる人はいません。逆にエゴを味方につければ、霊性を回復するための強力な応援を手に入れたことになります。このことは、ホームページの「エノクの会」の11−13「エゴに気づく」「エゴの正体を知る」「エゴを統合する」に書いていますので、ご覧ください。
 
 旅人さんの体験談をぜひお願いいたします。

23意識の中の旅人: それは私が今まで入っていた団体を離れようと決心した前後の事にまでさかのぼります。
 
 対話3にも書きましたが、私がその団体に入った理由が『死後、恐ろしい世界に行く事への恐れ。』からである事にやがて気付きます。そしてその後、その様な動機からでは霊性回復への道を進むこと(真実を知る事と言っても良いでしょう)は出来ないと直感的に感じる様になっていきます。そして結果的に今まで入っていた団体を離れる事を決心するに到りました。
 
 ですが、いざ団体に退会届を出す段になって、エゴが激しく抵抗して来ました。私の意思決定もしばらく揺らぎました。
 
 私はその日の晩自室で静かに瞑想し、エゴとの対話を試みました。
 しばらくするとエゴは小さな女の子の人格を持って現れ、弱々しい声で私に次の様な事を訴えかけて来ました。
・死ぬ事への、非常なまでの恐れ。死ぬと何もなくなっちゃうの?
・ 地獄と言うような世界は存在するの?
・地獄に行ったら永遠に苦しまなくてはならないんでしょ?
・その団体に入っている限り地獄に行くことは無いと思うけど抜けたら、地獄に行く可能性が出てくるんでしょ。?
・魂は永遠だと言うことは聞いているけど、肉体が死んだら私(エゴ)はなくなっちゃうんでしょ。?

特に下2項目に付いて、エゴは異常なまでに恐怖を抱いていました。
 
 そこで私は心の中で思いっきりエゴを抱きしめてあげる事にしました。思いっきり愛してあげる事にしました。
 またエゴに対して「何も恐れることは無いよ。僕を信頼してついておいで。地獄なんて無いの。今存在しているものは消滅することなんて無いのよ。だから、僕も君(エゴ)も消滅することは無いのよ。」と何度も言い聞かせました。
 最初は私の言葉を疑っていたエゴでしたが、私の心からの愛に気付いてか心を開いてくれたのです。
 そして気が付いて見ると私とエゴは、かけがえの無いパートナーとなっていました。
 それに合わせ、私の意識もすぅーと軽くなっていました。私の意思決定を迷わすものは既に心の中から消えていました。
 
 私はすっきりした気分でその団体宛てに退会届を送りました。私を半年間導いてくれた事に感謝をしながら。
 
 その団体を離れてから2ヶ月が経ちました。現在でもエゴは私の霊性回復への道に対して、全面的に協力してくれている様です。エゴは魂からの声(直感)をなるべくフィルターすることなく表面の意識に届けてくれているのがはっきりと感じて取れます。
 
 対話11に書きましたが『マイナスの観念を癒す方法』もエゴの協力が無ければ完成させる事は到底不可能だったと私は考えます。
 
 以上が私の体験の簡単な説明です。

24 夜明けの見張り人: ありがとうございました。とてもすばらしいお話だと思います。旅人さんは、このような心の内面を取り扱うことについて、特別の能力を持っていらっしゃると思います。
 エゴとしっかりパートナーになることができれば、霊性への旅は、必ずしも楽だとは言いませんが、とても速くなります。今後とも、旅人さんが順調に旅を続けられることをお祈りします。
 
 ただ、このような体験談を読む一般の人のために、すこし補足しておきたいと思います。
 
 自分の心の中を知る方法は、人によって非常に違っています。旅人さんのように、鮮やかなイメージを見ることのできる人もあります。そのような人はヴィジョナリー(見る人)と呼ばれます。
 けれども、このような視覚的イメージを見ることのできない人もたくさんいます。見えないけれども、声が聞こえるという人もいます。そのような感覚的なものは何もないけれども、なんとなく感じたり、考えが浮かんだりするという人もいます。
 それから、そのような反応をまったく感じられない、という人もたくさんいます。
 
 旅人さんのような体験談をきくと、特に反応を感じられない人は心配になります。私はだめなのではないか、とか、やり方がまちがっているのではないか、と不安になります。
 けれども、「他人と比較しない」というのが、霊性の道の絶対条件であることを覚えておいてください。他人と同じことができるとか、できないとか、いうことは、霊性への道にとって何の意味もないのです。あなたの道は、ほかの誰とも違います。世界中の人を呼び集めてきてみても、あなたと同じ道を歩く人は一人もいないのです。このことをしっかり覚えていてください。
 
 何も感じられなくても、心配ありません。ただ、自分がしようとしていることに意識を集中し、確固とした決意をもって取り組んでください。
 
 旅人さんの、今回のテーマを例にとれば、「エゴと仲良し」になることが大事なのです。ただ、仲良しになるといっても、エゴの言いなりになるのではありません。エゴに対して、自分が霊性の回復に取り組んでいることを理解させ、エゴが霊性回復の協力者になってくれるようにすることが重要なのです。そのことに、断固とした決意で、取り組んでください。
 
 旅人さんが書かれているように、エゴは、「霊性を回復すれば自分は不必要になって、捨てられてしまうのではないか」ということを非常に恐れています。それに対して、どのように対応すればよいのか、を旅人さんが示してくださいました。とても、参考になる体験談だと思います。ありがとうございました。

25 意識の中の旅人: 私の対話に解りやすい説明を加えて頂き有難うございました。この対話を読んでくれている他の方にとって、とても解りやすい説明ですね。
 
 この対話もこれで一息付いた感じですね。では見張り人さんの方から、質問でも何でも良いです、何か書いて頂けますか。私で答えられる範囲で答えて見たいと思います。
 また、新しい話題を振って頂いても勿論構いませんよ。
 
 特に無ければ、次回は私が最近感じた事に付いて、書きたいと思います。

26 夜明けの見張り人: 「最近感じたこと」を書いていただきたいと思いますが、その前に、エゴの小さな女の子と仲良しになってから、日常の生活において、何か感じ方や考え方が変わったと自覚されているようなことがおありでしょうか。もし何かあったら、少しそういうことをお話ください。
 私も「エゴを愛しなさい」という話をときどきしますが、エゴを愛するとエゴがもっとのさばってきて、収拾がつかなくなるのではないかと恐れる人がいます。旅人さんの話を聞けば、そういう人に、「エゴと和解する」あるいは「エゴを愛する」とどういうことになるのか、ということがわかっていただけるのではないかと思います。

27 意識の中の旅人: エゴと仲良しになってから自分自身がどう変わったか。言葉で表現するのは大変難しいことです。ですがこの対話を読まれている皆さんの為に、頑張って書いて見ることにします。
 
 まず、日常の生活そのものはエゴと仲良しになったからと言って特に変わった訳ではありません。日常生活の中で起こる事に対して私の心の感じ方が変わったと言うことができます。これだけでは何の事か解らないと思いますので、例を上げてお話ししましょう。
 
 私は普段は普通の会社員をしていますので、まずは、仕事上の事からお話ししたいと思います。
 
 お恥ずかしながら私は今まで会社の中の仕事に対して、『興味のある仕事・つまらない仕事、または、出来ればやりたくない仕事』と自分の勝手な価値判断によって意識の中で選別していました。手を抜いたりはしませんが、アルバイトでも出来る様な単純作業などは特に給料を貰う為と割り切ってしょうがなくやっていたのは事実です。
 しかしエゴと仲良くなった事によりそう言った物事に対して勝手な価値判断をしなくなっていきました。どんな仕事でも必要だから有るのです。どれが重要で・重要でないとか、どの仕事に価値が有って・どれに価値が無いとか分けることなどできないのです。今までそれを勝手な固定観念で選別し、私の意識を迷わしていたのはエゴです。しかし、エゴと仲良くなったことにより、エゴ自身も私と共に霊性回復に向かって進んでいるように感じて取れます。従ってエゴも今までの様な固定観念のフィルターを通して外の現実を見ることを徐々に止めて来ているようです。
 
 それから今まで嫌いだと思っていた人とも違和感なく付き合えるようになりました。また周りの人も私を温かい目で見守ってくれているようです。以前より。
 これも今までの固定観念を通して物事を見なくなった結果と言えます。
 
 それから自分の意識が以前より安らいでいるようです。
 どういうことかと言うと、今までは現実に起こる事に対してその都度、『嬉しい・不安だ・嫌いだ・辛いよ』と意味付けをしていました。それによって私の意識は休む暇が有りませんでした。当然ストレスを溜める原因にもなっていました。ですが、エゴが今までのような固定観念と言うフィルターを余り使わなくなったことにより、現実で起こった事をただ客観的に捉えるだけになってきました。例えて言うと、『現実』と言うテレビドラマを観ているような感じと言えます。テレビドラマで悲しいシーンが有れば思わず涙を流してしまうこともあります。しかしそれ以上深く思いを巡らせて考えることはありませんね。そう言った感じと言えば解ってもらえるでしょうか。
 
 ここに上げたことはほんの一部です。到底全部は書き切れませんので、機会が有ればまた別の場所で述べたいと思います。
 
 エゴと仲良しになることは貴方の人生をすばらしいものにすることだと私は、はっきり言っておきます。エゴと仲良くなったからと言って貴方の人生にマイナスになることは何一つ有りません。
 
 沢山の人が、これから起こる人生をテレビドラマや映画を観るように、ワクワクした気分で楽しんで送れることを祈っています。

28夜明けの見張り人: ありがとうございました。これを読まれた方は、エゴと仲良しになるということが、エゴの言いなりになることではないということがわかっていただけると思います。
 
 大事なことは、エゴと仲良しになる前に、自分が霊性回復を最高の目標にするのだ、という断固たる決心をしておくことです。自分がふらふらしていたら、エゴはついてきません。エゴは、しっかりした目標を与えてもらうことを待っているのです。
 
 それでは、旅人さん、対話25でおっしゃった「最近考えていること」というのを、話していただけますか。

29 意識の中の旅人: それでは予定していた通り『最近考えていること』を書きたいと思いますが、その前に、これは前回の対話から考えが変わって、私の意識の中ではどうでも良いことになってしまいました。それどころか、大変重要なことを、私が気付くきっかけになったのです。
 
 それは最近私の周りでは、『霊性に目覚めかけている人』と、『物質世界にどっぷり浸かっている人』と2つのタイプの人間が存在することに気付いたのです。逆に、中間的な意識の人間は段々減って来ているようです。
 
 霊性に目覚めかけている人は、仕事やプライベートを含め、全ての現実を霊性を回復する為のプロセスと考えて人生を楽しんでいます。
 
 逆に、物質世界にどっぷり浸かっている人の場合は、人間は死んだらそれまで、人生は一回きりと考え、物質や金銭、地位等に執着し、結果としてストレスを溜め込んでマイナスの概念に縛られて生きています。
 
 そして私は、どうしてこういった両極端の人がますます増えてきているのかと考えていたのです。そして物質世界にどっぷり浸かっている人は何か劣っているのかとも考えていました。
 
ですが昨日あることに気付いたのです。
 
 物質世界にどっぷり浸かっている人は、まだ物質世界を楽しんでいる。物質世界で学ぶことが残っているだけのなのです。いずれ彼らも遅かれ早かれ霊性を回復するでしょう。
 
 他人と比較してどうこう言う。こういう考えこそ私たちが霊性を回復する間に捨てなければならない概念だったのです。
 
 誰でも人間は一人一人平等に尊いのです。肌の黒い人も白い人も、お金の有る人も無い人も、仕事の有る人もホームレスの人も、善良な市民も刑務所の中にいる凶悪犯も、皆尊いのです。
 
 このことについて、見張り人さんはどう思われますか。

30 夜明けの見張り人: 私もまったくそのとおりだと思いますが、少しだけ補足して、お話しておきたいと思います。
 旅人さんは「物質世界にどっぷり浸かっている人は何か劣っているのかとも考えていたが、そうではない」ということに気づかれました。けれども、「彼らはまだ物質世界を楽しんでいる」「いずれ彼らも遅かれ早かれ霊性を回復するでしょう」という言い方には、早く霊性を回復するほうが進んでいる、というニュアンスが感じられます(そのおつもりではないかもしれませんが)。
 いま物質世界を楽しんでいて、まだ霊性の回復などしたくないと考えている人も、いずれは霊性を回復するだろう、というのは真実です。すべての人が必ず霊性を回復するからです。けれども、地球の時間で先に霊性を回復する人が進んでいるというわけではありません。それはそれぞれの人の役割が違うということなのです。
 霊性に関する本の中で、地球世界が学校にたとえられることは多いのですが、そうすると、早く卒業するほうが優れているというニュアンスを帯びることになります。私は、学校ではなく劇場だと考えています。この劇場の中で、すべての魂は、あるテーマをもって人生を作り出します。転生を繰り返しながら、いくつもの人生を使って、一つのテーマを追いかけます。いわば人生の大河ドラマを演出しているのです。
 地球の上のドラマは、霊性を忘れるということを出発点にしていますから、どの魂が作る大河ドラマも最後は霊性を回復して終わります。けれども、そのドラマが長いか短いか、ほかの魂のつくるドラマとどちらが先に終わるかということは、その魂が追いかけているテーマによって決まることであって、先に終わるほうが優れているわけではないのです。
 
 現在、霊性に関心を持つ人と持たない人の両極端が多くなって、中間が少なくなっているようだというのは、地球が近いうちに進化するという話と関係があるかも知れません。いま霊性に関心を持っている人は、地球の進化に乗り遅れないようにと思って一生懸命です。けれども、これも、その人にとってのタイミングが来ているということであって、今回の進化に乗らない人が劣っているわけではありません。今回の地球の進化に乗らない人は、他の星に行って自分の大河ドラマを続けます。そして、どこかの星で、進化のタイミングに乗るチャンスを待つのです。星には星のドラマがあり、人間には人間のドラマがあります。そのすべてが対等の位置づけで絡み合い、さらに複雑で味わいのあるスーパードラマを作り上げているのです。

31 意識の中の旅人: 詳しい解説、どうも有り難うございました。要は人それぞれだと言うことですね。他人と比較することはエゴの良くない癖だと見張り人さんも以前仰いましたね。
 
 一言でいえばそれぞれの人間が体験したい現実を選んで体験しているだけと言うことですね。
 
 私や見張り人さんは物質の世界を充分長い間の転生を通じて楽しんできました。そしてこの物質世界というドラマをもうじきフィナーレにしようとしていると言えば良いでしょうか。
 
 <地球の進化に乗り遅れないようにと思って一生懸命です。>これに付いて少し私なりに補足しておきたいと思います。
 
 これを読まれた方は、霊性に関心を持ってきている人は、なにか努力して事を起こさなくてはいけないと思うかも知れません。それは今まで私たちは昔から親や教師を通じて、何か素晴らしいことを成し遂げる為には、苦労して努力しなければならないと教えられてきたからです。
 
 しかし今霊性に関心を持っている人は、今その時期が来ているのです。
 見張り人さんも<その人にとってのタイミングが来ているということであって、>と表現しています。
 現在の生活を今まで通り続けて下さい。意識全体でエンジョイしながら。私からの願いです。
 
 私は最近有ることに気が付きました。『今世で出来なかった事は来世でやればいいさ。魂は永遠なんだから。』と言うようなのんびりした気持ちで人生を楽しんでいます。
 このことに付いて、見張り人さんはどう思われますか。

32 夜明けの見張り人: 「タイミングが来ている」「努力する必要はない」というのは、どちらも本当です。けれども、だからと言って、何もしないでよいわけではありません。この微妙なニュアンスを感じ取ってください
 
 これは、来世、再来世までかかってのんびりやろうという人が間違っているとか劣っているという意味ではありません。ただ、いますぐ霊性回復に取り組みたいなら、しなければならないことがありますよ、という意味なのです。この違いを理解してください。
 
 「タイミングが来ている」というのは、たとえて言えば、学校の卒業の時期が来ているというようなものです。あなたが大学の2年生や3年生であるなら、まだ卒業の時期ではありません。けれども、4年生になったら卒業が近づいています。卒業論文を書いたり、卒業試験の準備をしたりしなければなりません。4年生になったからといって、ただで卒業させてくれるわけではないのです。
 卒業するつもりのない人は、論文も試験も無視していてかまいません。霊性回復は、この世の学校とは違って、何年留年しても叱られたり追い出されたりすることはありません。けれども逆に言えば、論文や試験に取り組まなかったら、何万年かかっても卒業できないということなのです。
 
 私はよく霊性回復を山登りにたとえます。ふもとの野原でお弁当をひらいて、山は来年登ればいいさ、と言っているのも結構です。山は逃げはしません。何万年でもあなたが登って来るのを待っています。
 けれども、ふもとで座っていては、いつまでたっても山には登れません。山に登るためには、立ち上がって歩くことが必要なのです。
 「タイミングが来ている」というのは、誰かがあなたを山の上まで担ぎ上げてくれるという意味ではありません。もしあなたが本当に山に登りたいなら、いつかはあなた自身で立ち上がらなければならないのです。
 
 それでは、やっぱり霊性を回復するためには「努力しなければならない」のでしょうか。いいえ、もし、あなたが本当に霊性を回復したいと思っているなら、霊性回復のためにすることは、何であれ、心からの喜びであるはずです。山登りの好きな人にとっては、頂上に向かって歩くこと自体が喜びではないでしょうか。一歩歩くたびに、頂上に近づいていきます。他人の目には、どれほど苦しそうに見えたとしても、山に登りたい人にとってはそれが喜びなのです。
 「努力する」必要はありません。ただ、あなたが本当に心の底からしたいと思うことをすればいいのです。心のうわべのほうが求める喜びでなく、心の奥の奥の奥のほうから来る喜びのサインに気づいてください。あなたの魂が何をしたがっているかに気づいてください。それがあなたの卒業論文なのです。
 
 この対話を読まれている方は、すでに卒業論文に取り掛かっています。それは、あなたがこのホームページを読みに来た、ということ自体が示しています。
 あなたは、誰に頼まれて、このホームページを読みに来たのでしょうか。誰に頼まれたわけでもなく、誰かに「読まなければならない」と指示されたわけでもなく、ただ何かこのようなものを読みたいという内側からの声に促されて、このホームページを探し当てたのではないでしょうか。
 このようなものを読むのは、あなたにとって、「努力」でしょうか、それとも「喜び」でしょうか。
 
 もし、喜びなら、それがあなたにとっての卒業論文なのです。このサイトの中で、あなたが最も共鳴する言葉を捜してください。魂が震えるような言葉に出会ったら、心の中にその言葉を抱きしめてください。
 
 次回には、霊性を回復しようとする人の卒業論文とは何なのか、霊性を回復したいと思う人は何をしなければならないのか、ということをお話しましょう。

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